分子研の散歩道1 研究者のよこがお

 

TOPページ > 大森 賢治

「近接場光学顕微鏡」の研究者(岡本裕巳先生)

「量子(りょうし)」という言葉を聞いたことがありますか?  三省堂の『スーパー大辞林』によれば、“連続的でなく,ある単位量の整数倍に限られる値(とびとびの値)で表される,物理量の最小単位”、と説明されています。1900年にプランクという人が提唱した考え方です。“量子の世界”は、私たちが日常体験する世界とはかなり異なっています。物体は見方によって粒子になったり、波になったりするのです。でも、私たちは、この量子の世界をまだ完全に理解できてはいません。

先生は、光を精度よく制御する技術を開発し、量子の世界をより深く理解するというテーマに挑戦しています。
世界をリードする先生の研究は、世界中の物理学関係者からも注目されています。

もっと詳しく知りたい方は、下記をご覧ください。
https://www.ims.ac.jp/research/group/ohmori/
ビデオ:http://www.ims.ac.jp/public/vlibrary.html


研究者になったのはなぜですか?

“成り行き”ですね。
高校の頃からバンド活動を始め、大学学部の始めの頃は、バンド活動に熱中しました。半端じゃなかったですね。正直、プロを目指していました。

自分で詞や曲を書き、目黒の鹿鳴館や渋谷の屋根裏なんかでやってました。鹿鳴館では月一の企画も持ってました。当時、同じライブハウスでがんばっていた連中の中には、後日メジャーで成功した人たちもいて、私も当然メジャーを目指したんですが、途中でいろんなゴタゴタがあってだめになったんです。商業主義の音楽というのも肌に合わなかったですね。結局親の説得もあって大学へ戻ることにしました。そして、深く考えることなく、工学部の応用化学科に進みました。

4年生で卒業研究を始めたのですが、装置作りからやったんです。反応するための“ライン”と呼ばれるものを作るために、ガラス細工もやりました。ある時期、ガラス細工ばかりやっていたことがありますね。複雑なものも作ってましたよ。やるとハマるタイプなんです。

バンドへの熱が研究へと向かったということですね!! 後は研究まっしぐらでしたか?

修士課程に進学するかどうかは迷いました。結局進学し、修士から博士への段階ではもう迷いませんでしたね。卒業研究から始めた仕事が、修士課程でうまくいき、いいジャーナル誌に載ったことが弾みになったと思います。

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