私は、コロラド州デンバーで開催されたAPS March Meetingに参加し、ポスター発表を行いました。APS March Meetingはアメリカ物理学会が主催する大規模な国際会議で、日本物理学会に近い位置づけでありながら、専門分野ごとの密度は想像以上でした。会場では多数のセッションが並行して開催されていました。どの発表を聞きに行くかを選ぶこと自体が難しいほどで、自分の研究分野に近い話題を一日中聞くことができる環境がありました。
ポスター発表では、私が所属する大森グループの量子コンピュータ研究について紹介し、その中でも特に、レーザー光で捕まえた単一原子の状態を、原子を失わずに高い精度で読み出す手法について発表しました。大森グループでは、原子を一つずつ量子ビット、すなわち量子情報を担う最小単位として使う中性原子型量子コンピュータの研究を進めています。この方式では、一つ一つの原子の状態を正確に読み出す必要があります。一方で、読み出しのために光を当てると、原子が加熱されたり、捕獲場所から失われたりすることがあります。今回のポスターでは、原子をなるべく失わずに状態を判別するために、どのような実験的工夫を行ったのかを中心に議論しました。
ポスターには、量子コンピュータを研究しているグループの学生や研究者が多く来てくれました。分野内の人からは、具体的にどのような方法を使ったのか、どの技術的要素が性能向上に寄与しているのか、今後さらに性能を上げるには何が制限になるのかといった質問を受けました。特に印象に残っているのは、同じような先行研究に取り組んでいるグループの研究者から、「この研究はこれからどこに向かうのか」と聞かれたことでした。自分が今後やりたいことを話すと、それに対して具体的な技術的課題や研究の方向性について深く議論できました。
分野外の研究者からは、原子を使った量子コンピュータがどのように動作するのか、なぜ原子を一つずつ並べて制御するのか、といった基礎的な質問も受けました。普段は近い分野の人と話すことが多いため、前提を共有しているつもりで説明してしまいます。しかし、分野外の人に説明する際には、なぜ単一原子を量子ビットとして使うのか、なぜ原子の状態を正確に読み出すことが量子コンピュータ全体の性能に直結するのかを、背景から説明する必要がありました。ポスター発表で最も面白かったのは、発表内容を一方的に説明することではなく、ポスターをきっかけに会話が始まることでした。どのような研究グループの人が自分の研究に興味を持つのかを直接知ることができ、自分の研究の見え方を確認する機会になりました。
学会では、大学や研究機関による発表だけでなく、Google Quantum AIをはじめとする企業による研究紹介も行われていました。量子コンピュータ研究は、基礎科学の延長であると同時に、すでに大規模な技術開発の段階に入っていました。また、学会後の夜には量子技術関連の企業が研究者向けのレセプションを開いており、学生、ポスドク、教員、企業研究者が近い距離で交流していました。有名な研究室同士がホッケーゲームで対決するイベントもあり、日本の学会ではあまり見ない、分野全体が一つのコミュニティとして動いているような雰囲気がありました。
APS March Meetingの後、私はコロラド州ボルダーにあるJILAのRegal Groupに約1か月間滞在しました。JILAはコロラド大学ボルダー校とNISTの共同研究機関であり、原子・分子・光を扱う研究分野において世界的に高い存在感を持つ研究機関です。今回の滞在では、トップレベルの研究機関で研究者たちがどのように研究に取り組み、どのように議論し、どのような生活を送りながら研究を続けているのかを知りたいと考えていました。また、博士課程修了後に自分がどのような環境で研究をしたいのかを考える機会でもありました。
滞在中は、レーザー光で捕まえた複数の原子を冷却するためのレーザーシステムの開発に取り組みました。この実験では、冷却に用いる光が原子同士の衝突を誘起し、原子が失われる場合があります。そのため、光支援衝突を避けながら原子の運動を冷やすためのレーザーシステムを扱いました。この作業を通して、装置開発における細かな制約をどのように整理し、研究の目的に結びつけて議論するのかを間近で見ることができました。
Regal Groupで特に印象的だったのは、一つの研究テーマに対して非常に深く議論し、さらにそれをどのように表現すればよいかまで丁寧に考えていたことでした。単に実験結果を得るだけではなく、その研究が分野の中でどこに位置付けられるのか、どのような言葉で説明すればターゲットとする読者や聴衆に伝わるのかを、時間をかけて議論していました。外から自分たちの研究がどう見えるのかを意識しながら、研究の意義を組み立てていく姿勢は非常に参考になりました。
JILAで強く印象に残ったのは、原子・分子・光を扱う研究コミュニティの大きさでした。昼食の時間には、複数の研究グループの学生やポスドクが自然に集まり、研究の進捗や分野内のニュースについて話していました。もうすぐ論文を出すという話や、Google Quantum AIによる中性原子型量子コンピュータ研究への参入も、日常的な会話の中で話題になっていました。JILAには近い分野の研究グループが多く集まっており、研究テーマが異なっていても共通の言葉で議論できる環境がありました。実験で必要な物を別のグループに借りに行くことも自然に行われており、独立した研究室が並んでいるというよりも、大きな研究コミュニティの中で研究しているような連帯感がありました。
ボルダーでの生活も印象深いものでした。私はAirbnbでコリビング(共同生活)形式の家に滞在し、家の人たちと食事をしたり、子どもの誕生日会や週末のフットボール観戦に参加したりしながら過ごしました。研究者の働き方も人それぞれで、長時間研究室で過ごす人もいれば、決まった時間で仕事を切り上げる人もいました。以前に海外に滞在した際には、文化や生活環境に慣れることが難しく、刺激を受ける一方で精神的にきつい部分もありました。しかし今回は、大森グループで日頃から国際的な研究環境に触れていたこともあり、研究面でも生活面でも自然に楽しむことができました。
今回のAPS March MeetingとJILA滞在を通して、世界の研究者を以前より身近に感じられるようになりました。海外で研究を続けることも、自分にとって遠い選択肢ではなく、現実的な進路の一つになりました。また、研究内容だけでなく、どのような環境で、どのような人たちと議論しながら研究を進めたいのかを考える機会にもなりました。