分子科学研究所

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大学院教育

総研大生コラム - 望月 建爾さんの体験記

ケンブリッジ滞在記

望月 建爾さん
機能分子科学専攻4年(執筆当時)
分子研レターズ 67号 掲載(2013年3月)
グループメンバーと大学近くの野外カフェにて

2012年の5月に、13時間のフライトと、3時間の高速バスの移動を終え、半年間滞在するケンブリッジにたどり着いた。目の前には、Parker’s Pieceと呼ばれる、象徴的な巨大広場。天気は、予想通りの小雨。『遥かなるケンブリッジ』(藤原正彦)の雰囲気が、そのまま広がっており、知らない街に来た感覚がしなかった。藤原氏の本を読んだ一年ほど前は、自分がこの場所に研究に来るとは、想像していなかったはずなのに。

 岡崎では、氷の融解ダイナミクスや水溶液の分子構造など、水を主役にした研究を続けている。総研大海外派遣制度に応募する時、水関連の研究室に行く事が頭によぎったが、それでは自分のフィールドが広がらない。興味はあるが、経験した事がない、生体高分子の構造変化関連の研究ができるグループに行こうと考えた。資金は日本から持っていくのだから、実績がない私でも受け入れてくれるだろう、と希望を持って。快く受け入れてくれたのは、英ケンブリッジ大学化学科のDavid Wales教授だった(http://www-wales.ch.cam.ac.uk/)。彼は、エネルギーランドスケープの視点から、クラスターの構造変化や生体高分子の反応機構を分子レベルで捉える研究の大家である。生体高分子に限らず、あらゆる分子のダイナミクスは、エネルギーランドスケープを感じて起こっている。その為、Davidグループで研究を行い、技術と視野を広げる事は、岡崎での水の研究やUVSORで行われている二成分系

液体の局所構造研究にも役に立つ事が期待できた。

 研究室は、十数人のメンバーで構成されており、日本の理論系グループと同じように、それぞれ独自の生活リズムで活動し、研究室に居る時間もバラバラだった。中には、ロンドンの自宅から週に一度だけケンブリッジを訪れるポスドクもいたが、問題なく研究は進んでいるようだった。印象的だったのは、毎日朝と昼に二回のコーヒータイムが研究棟内の喫茶店で開かれる事だった。強制的ではないが、リフレッシュと情報交換の場として、一日のリズムに組み込んでいる人が多かった。話題は、イギリス人が大好きな天気の話から始まり、週末に行った小旅行や最近話題のニュースなど身近で取り留めのない話から、行き詰まっている研究についての真剣な話など、多岐にわたっていた。私も毎日参加し、多人数での英会話に苦戦しながら、楽しんでいた。

 ケンブリッジで取り組んだ課題は、「生体高分子のリガンド結合自由エネルギー計算方法の新規開発」。生体高分子の機能発現メカニズムの解明や創薬のスクリーニング法に繋がる基本的で重要な課題である。課題はすぐに決まったものの、生体高分子を扱った経験が無い私が、高速スタートをきれるはずがない。当初、グループメンバーは、“研究”ではなく“勉強”をしに来た客として、私を見ていたのではないだろうか。英語が堪能ではない私が、それを払拭するには、言葉ではなく目に見える結果を出し、周りの人間を巻き込むしか無かった。それは、つまり、論文になる可能性を示し、共同研究者としてのメリットを提供する事であった。一つのテーマを数人で共有し、各人が数個のテーマを並行して進めるグループにとって、テーマが完成する可能性をシビアに判断し、優先順位を付け、費やす時間を決める事は

、必然であった。研究を始めて1ヶ月が経ち、運良く結果が出始めると、毎週開かれるグループミーティングで話題にあがる時間も長くなり、自分のテーマの優先順位が上がるのを感じた。成果がでない時期は、当然その逆の状況に陥る。そのようなアップダウンを繰り返しながら、世界中からポスドクが集まる研究機関の厳しさと、ハイレベルで切磋琢磨する楽しさを味わいつつ、ケンブリッジでの研究生活が過ぎていった。最終的に、多くのサポートを受けながら、研究をまとめ論文を投稿することができたので、研究をする為に滞在した事を少しは示せたのかもしれない。

 研究以外の生活環境も、非常に快適であった。街はコンパクトにまとまっており、生活に必要な物は全て徒歩圏内に位置し、便利であった。私が関わった街の人たちは、短期滞在の研究者に慣れているのか、そもそもの気質なのか、優しく親切な人が多かった。治安の面も問題なく、研究を終え夜中に帰る時も危険を感じる事は無かった。ただ、物価が高いことと、冬の日照時間の短さは難点だった。帰国時の11月には、サマータイムが終わり、午後3時半には外が暗くなってしまった。北欧に鬱な人が多いという噂は本当かもしれない。イギリスは夏に行くべきだ。食事に関して、渡航前に、イギリスへ滞在することを告げた知人には、“料理が不味いらしい”と必ず言われた。しかし、フィッシュ&チップスは気に入ったし、日本料理も含め各国のレストランが並んでおり、食事に不自由することは無かった。

 今回のケンブリッジ滞在では、今までとは少し異なる研究課題に取り組み、知識と技術を増やす事ができたと感じている。さらに、様々なバックボーンを持つポスドクと話をする中で刺激を受け、上記のメインの研究課題以外にもポリマーなど幾つか計算を始める事ができた。また、少しは人脈を作れた事で、情報交換だけでなく、将来的に再度共同研究をする可能性もあると考えている。

 最後になりますが、このような機会を与えて下さった大峯所長や小杉教授、滞在のサポートをして頂いた分子研大学院係の皆様や総研大学務課の我謝様に心より御礼申し上げます。

望月 建爾さんの略歴

もちづき・けんじ
2008年名古屋大学理学研究科修士、2008-2009年同博士課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)、2009-2011年旭硝子株式会社、2011年から総研大物理科学研究科。専門は、相転移・溶液・生体系の計算機科学。