分子科学研究所

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大学院教育

総研大生コラム - 谷川 貴紀さんの体験記

岡崎を去るにあたり

谷川 貴紀さん
機能分子科学専攻5年(執筆当時)
分子研レターズ 64号 掲載(2011年9月)
リール第一大学でお世話になっている先生方と研究室メンバー(筆者は下段右端)

愛車デミオに乗って岡崎の電車通りと呼ばれる道を走り抜け、自然科学研究機構の守衛室の前で軽く挨拶をし、UVSOR棟(分子科学研究所・極端紫外 光研究施設)の横に車を止める。休みの日なのに今日も白いコペンが止まっている。総研大(総合研究大学院大学)の同期で居室を共にしているI氏だ。研究室 は違えど、共に闘い、支え合ってきた友人だ。一緒にご飯行ったり馬鹿やったりしたなと、そんな日々を思い返しながらこのコラムを執筆している。その傍らで はフランス語と思われる楽しげな会話が聞こえてくる。

2008年4月に総研大に3年次編入し、八丁味噌の街岡崎で暮らすこと3年。 あっという間の日々だった。生まれてこの方、実家のある兵庫県で学生生活を送ってきたので環境の変化をほとんど感じることなく過ごしてきたが、総研大に入 学するにあたり岡崎に引っ越すということで、まるで英単語を調べるが如く、引越し前に三河弁を調べていたことが懐かしい。しかし分子研では三河弁を話す人 はほとんど見かけられず、ただの取り越し苦労であった。味噌の街というだけあって、色々なものに味噌を和えて食べる習慣に驚きはしたものの、これが以外と 自分に合っていて、また食事は基本的に外食だったので、食事のおいしい店を探すことがいつの間にか趣味になっており、岡崎を出る頃には多くの店の人に顔を 覚えられてしまっていた。その分お店の人と仲良くなれたのは嬉しく思う。

余談はさておき、岡崎での3年間の研究生活について振り返ってみた い。私は修士の時、兵庫県にある大型放射光施設SPring-8地区内に建設された放射光源加速器(自由電子レーザー)を使って、一般的なレーザー装置で は発生できない波長領域(真空紫外線~軟X線)のレーザー光を作っていた。博士後期課程に進学するにあたり、超短パルスレーザーと光源加速器を組み合わせ た自由電子レーザーの理解を深める為、その原理の基礎研究ができる大学を探していたところ、前述のような研究を行っている施設が国内にあることを知り、そ の時に知り合ったのが現UVSOR施設長であり、私の指導教員でもあった加藤先生であった。偶然にも、そこには大学院教育があることを知り、総研大を受験 した、というのが入学のきっかけである。

総研大では、大学院の学生しかいない特殊な環境である為学生数は少ないものの、多岐に渡る分野の学 生と交流することができた。特に、分子研は生理科学研究所と基礎生物学研究所と隣接していることもあり、分野の垣根を越えた学術交流だけでなく、プライ ベートでも多くの交流を持つことができたことは自分にとって多くの糧となった。また研究面においては、UVSORの多くの職員の方々に支えてもらいなが ら、自由に研究をさせていただいた。と言っても、限られた時間内で実験を行い、最終年次では学位審査まであとわずかという時間の中、投稿論文及び博士論文 の執筆を性急に行わなければならないという、常に時間に追われた生活であった。しかし、多くの人に支えられ、無事審査を終了することができ、学位を頂くこ とができた。今思い返せば、もう少し頑張ればもっと他に成果を出せたのではないか等と多々思うところはあるが、正直あの時に戻ることを考えるのは恐ろし い。

そんなこんなで、UVSORの職員の方々だけでなく分子研の先生方にも多くの迷惑をかけつつも、幸い学位を取得できたわけだ が、就職先という壁が立ちはだかった。自分のやりたい研究を行える環境が整っている場所は、前述の通り世界的に見てもほんのわずかである。色々就職先を探 しつつ、SPring-8で学生をやっていた時にお世話になったフランスのM.E.Couprie先生に相談しようかと思っていたちょうどその時、加藤グ ループとの海外協力研究という形で光源開発の実験に来ていたリール第一大学のS.Bielawski先生とC.Szwaj先生から、「うちのプロジェクト でポスドクを探しているからフランスに来てみないか」というお誘いを頂いた。しかもそのプロジェクトにはCouprie先生も参加しているとのことで、断 る理由が見つからなかった。それに海外の研究者らがいかにして質の高い論文を量産しているのか気になっていたし、何かしら所縁のあったフランスには行った ことがなかったので行ってみたいという気持ちは強かった。しかし言葉の問題(フランス語は勉強したことがない)や、文化や生活環境の違う異国の地で果たし て長期生活していけるのかという不安に駆り立てられた。一方、このチャンスを逃したら海外で生活するという貴重な経験は一生できないぞと自分にプレッ シャーをかけて、ようやく腹をくくることができ、フランスに行くことを決意した。

渡仏に向けて様々な手続きに追われながら5月からフランス での生活がスタートした。しかし、その生活はカルチャーショックの連続であった。まず研究者以外英語を話せる人がほとんどいないことにショックを受けた。 言葉が通じないのに、これからどうやって生活していけばいいのだろうかと。また周りには日本人はおらず、フランスでの生活の仕方もネットで調べておいた内 容だけでは全く事足らずであった。そして、ショッピングをしようと思いきや日曜日は飲食店以外は基本お休み。コンビニのような深夜でも開いているお店もな い。研究所も夜と週末はセキュリティの為に進入するのも一苦労。こういう状況に初めは全く馴染めず、生活のリズムが作れず厳しい日々であった。しかしそん な自分を救ってくれたのが、自分が好きな中世の西洋建築物の街並みを物見遊山に散歩することであった。また、日本食が恋しくなるかと思いきや、意外とこち らの料理は日本人の舌に合っていて、さらに好きなワインも安くで手に入り、つまみにソーシーソンと呼ばれるサラミのようなものとおいしいフランスパンを食 べたりしつつ、ようやくこちらの生活を楽しめるようになってきた。少しずつフランス語も勉強し始め、カフェやちょっとしたレストランなら一人でも行けるよ うになった。色々トラブルに見舞われながらも、フランスの先生らに助けられつつ、ようやく赤子から幼稚園児位までには成長できたと思っている。まだまだフ ランス語が話せないので、コミュニケーションに苦労しているが、大学の人らと外でお日様にあたりながらのコーヒータイムを楽しみつつ、早くフランス語で会 話できるように、研究と並行して頑張っていきたいと思っている。

末筆ながら、3年間お世話になったUVSORの先生方やスタッフの皆さん、そして友人ら、これまで陰ながら支えてきてくれた家族・祖父母らにこの場を借りて感謝を捧げたい。

谷川 貴紀さんの略歴

たにかわ・たかのり
リール第一大学 博士研究員。2008年度から2010年度まで総合研究大学院大学の博士後期課程学生として、分子科学研究所・極端紫外光研究施設(UVSOR)の加藤グループに所属。2011年2月、同大学にて理学博士の学位を取得。同年5月より現職。高強度超短パルスレーザーと放射光源加速器を組み合わせた高輝度短波長コヒーレント放射光源の開発に従事。