分子科学研究所

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大学院教育

総研大生コラム - 榎本 孝文さんの体験記

異分野交流のすすめ 先端研究指向コースを利用した海外留学記

榎本 孝文さん
構造分子科学専攻4年(執筆当時)
分子研レターズ 76号 掲載(2017年9月)
一列目中央がDevaraj准教授、二列目左端が筆者

それは、いわゆる“一目惚れ”というやつだったように思う。6 ページの論文の中に示されていたのは、シンプルな化学反応の連鎖によって“完全な”自己複製を繰り返す人工細胞の姿であった[1]。その系のあまりの美しさに強い感動を覚えた私は、何時しかこの論文を書いた張本人に会い、話を聴き、一緒に研究をしてみたいと思うようになっていた。それから1年後、記録的な豪雨の続くサンディエゴの街で、私は彼の研究室のドアの前にいた。Neal K. Devaraj 准教授、クリック反応に代表されるシンプルなカップリング反応を応用することで、人工細胞の機能制御を次々と達成している新進気鋭の研究者である。本稿では、私がDevarajグループに滞在するまでの簡単な流れと、実際の研究生活を通じて感じたことに関して記したいと思う。
 初めに述べておきたいのだが、私の専門は溶液の光化学、特に光-化学エネルギー変換反応であり、留学までに膜というものを扱ったことは一度もなかった。そんな、膜の化学に関しては全くの素人であるにもかかわらず、寛容にも留学のチャンスを与えてくれたのが先端研究指向コースの海外留学支援制度である。この制度では、滞在費のほぼすべてを総研大側で負担するために受け入れ側が学生を受け入れやすいというメリットがあり、門外漢が異分野に飛び込むためには絶好の機会であった。また、3ヶ月という期間設定も新しいことを学ぶにはちょうど良く、言い方は悪いかも知れないが、“何かが見つかれば儲けもの”くらいの気楽な気持ちで留学できたことは貴重な経験であったと思う。もしこの記事を読んでいる後輩諸君が本制度を利用した留学を考えているのであれば、ぜひ、“メインワークにするのは難しいが、機会があれば一度はやってみたかった研究”に挑戦することをおすすめしたい。
 話は少し逸れたが、斯くの如くしてDevarajグループへの滞在が認められ、2017年1月よりカリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego, UCSD)での研究生活が始まった。滞在当時、Devarajグループは主宰であるDevaraj先生を筆頭に5人のポスドクと10人の学生で構成されており、それぞれのメンバーが独立したテーマをもって研究を進めていた。そこまで大きな研究グループではないが、コンスタントに一流論文誌への投稿がなされており、如何にして高いクリエイティビティを維持しているのかということに関しては滞在前から興味があった。実際にDevarajグループに滞在してまず驚かされたのは、各研究テーマのターンオーバーの速さである。Devarajグループの研究スタイルは基本的に目的志向型であり、ある命題に対して、それを解決するために多角的なアプローチを進めていく。特筆すべきは一つ一つのアプローチの妥当性・将来性を判断するまでの時間の短さであり、テーマの立案から一週間もしないうちにそのアプローチの生き死にが決まる、といった具合であった。研究グループ全体において、どのようなデータの重要性が高いのか、その優先順位の付け方に関する教育が徹底されており、研究者としてのトレーニングが十分に行われていると感じた。私自身、この研究スタイルに順応するまでには少し時間がかかったが、一度慣れてしまえば非常に理にかなっているスタイルであり、これが自分にも向いている方法だと見いだせたことは重要な経験であった。また、それぞれのメンバーが独立したテーマをもち、それぞれの得意分野をもっているため、必要に応じて協力し合うことで円滑に研究を進めていたことも印象的であった。Devaraj 先生自身もグループメンバーとのディスカッションの時間を厭わず、居室では常に誰かしらのメンバーがディスカッションをしているという状況が当たり前となっていたことも、研究が円滑に進んでいる秘訣であろう。
 実際の研究に関しては、膜の調製から機能評価まで、人工細胞に関する一通りの手法を学ぶことができ、大変有意義な時間を過ごすことができたと感じている。また同時に、日本から温めていったプロポーザルを元に新しいプロジェクトを立ち上げることもできた。一報の論文から始まった出会いが留学という形で実を結び、さらに広がりを見せようとしている幸運に喜悦を禁じ得ないというのが率直な感想である。つい1年前までは一方的に憧れを抱いていた相手が今では共同研究者として肩を並べているのだから、人生は何があるかわからない。全くの異分野への挑戦、不安がなかったといえば嘘になるが、蓋を開けてみれば全てが貴重な体験だった。繰り返しにはなるが、大きな責任も伴わず、自由に留学先を選べるということの希少性を強調して、本稿を終わりたいと思う。
 最後に、今回の滞在で大変お世話になりましたDevaraj先生及びグループメンバーの皆様、総研大大学院係の皆様、正岡先生、そして関わっていただいたすべての方に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

[1] N. K. Devaraj et al., PNAS 112, 8187 (2015). 一見すると難解ではあるが、非常に美しい人工細胞の自己複製系が達成されている。“完全な”自己複製系であるか、という点に関しては議論があるが、世代交代が進むに連れて膜の構成分子は完全に新生されているので、ここでは“完全な自己複製を繰り返す人工細胞”とする。

榎本 孝文さんの略歴

えのもと たかふみ
1992年生まれ。群馬県出身。群馬工業高等専門学校 専攻科を卒業後、2014年4月に総合研究大学院大学物理科学研究科 構造分子科学専攻へ入学。生命・錯体分子科学研究領域 正岡グループにて人工光合成に基軸をおいた光化学の研鑽を積んでいる。現在の興味は近赤外光を用いた光-化学エネルギー変換、機能性人工細胞の創出、アストロバイオロジーなど。