分子科学研究所

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大学院教育

総研大生コラム - 深津 亜里紗さんの体験記

先端研究指向コースを活用した海外短期留学 ~ 3ヶ月のパリジェンヌ~

深津 亜里紗さん
構造分子科学専攻5年(執筆当時)
分子研レターズ 76号 掲載(2017年9月)
凱旋門と筆者

2016年9月20日。花の都、パリ。2つの経由地、合計24 時間近いフライトを経て、2 つの大きなスーツケースを抱えた私はとあるアパルトマンに辿り着いた。
   “Mademoiselle Arisa Fukatsu?”
 アパルトマンの一室から現れた小奇麗なマダムに呼びかけられ、私はその部屋に入って行った。賃貸契約書にサインを交わし、パリジェンヌとしての短い3 ヶ月が始まった。
 私が今回留学先として選んだのは、パリ第7 大学Marc Robert 教授の研究室。Robert 教授の所属するLaboratoire d'Electrochimie Moleculaire(L E M , L a b o r a t o r y o f M o l e c u l a r Electrochemistry)では分子電気化学の基礎的な指導原理から応用まで、長年にわたり精力的に研究が行われている。LEM の創設者であり、今日の分子電気化学の基礎を築き上げた研究者の一人でもあるJean-Michel Savéant 教授(御年83 歳)も現役バリバリでご研究されている。電極/溶液界面の電気化学についての第一人者である彼らの論文は、私自身電気化学の研究を始めた当初からよく読んでおり、新しい論文が出るたびに注目している研究グループの一つである。そんな私にとって、彼らはいわば「論文の中の人」。その「論文の中の人」達と一緒に研究したい、彼らの研究を肌で学びたいという思いから、彼らの研究室を留学先として選択した。
 パリジェンヌ生活2 日目、研究室初日。Robert 教授に連れられLEM のメンバーと一通り挨拶を交わした。驚いたのはそのメンバーの多様性。専門の異なる大勢のスタッフ陣とその下で研究に勤しむ学生達。化学者だけではフォローしきれない電子工作の専門家や研究室の物品の管理を一手に担う技術職員の方など、様々な立場の人々が一つのフロアに会していた。どうやら4 つの研究グループが実験室やオフィスを共有しており、常に同じ空間で研究活動をしているらしい。研究室間の垣根が低いどころか、垣根が全く無いのである。絶対的な分業制の下、それぞれが自分の役割に専念しつつも、お喋り好きの国民性も影響しているのか、常にどこかしらでディスカッションが行われていた。
 しかし、その活気に満ち溢れた空間も夕方になると突然静まり返る。やはりヨーロッパの夜は早い。私はそのメリハリに尊敬の念を抱きつつもなかなかその習慣に慣れず、研究室のスタッフに呆れ顔をされながら大学の門が閉まる午後8 時ギリギリまで実験をして帰る日々を送った。
 しかも、時間を惜しんで実験に勤しむことができるのは平日だけ。土日は固く門が閉ざされ、大学に入ることすら許されない。教授らは自宅でデスクワークなどしているそうだが、一介の学生である私はせっかくパリジェンヌになったのだからと、パリ中の観光地やマルシェを巡り、事前に用意していた鉄道の周遊券を駆使して毎週のようにフランス中を旅した。さらに、隣国のドイツやベルギー、ルクセンブルクまで足を延ばし、ヨーロッパならではのパスポートの要らない海外外国旅行を満喫した。また、毎月第一日曜日はパリ市内の美術館に無料で入れるという、芸術の都ならではの制度があった。それを利用しない手はないと、毎月ルーヴル美術館やオルセー美術館などに通い詰めた。
 一方、平日は朝から閉門まで昼食を食べる暇さえ惜しんで実験していたので、帰宅する頃には精根尽き果ててしまい、長い夜を楽しむ余裕はなかなか生まれなかった。夕食も近所のスーパーで安く手に入るパンや野菜で適当な煮込み料理を作っては、数日かけてそれを食べるということを繰り返した。それでも1 ヶ月程経つと少しずつ余裕が生まれるようになり、アパルトマンのオーナーに家賃を支払いに行ったついでに誘われた合唱団に参加するようになった。合唱団のクリスマスコンサートは生憎帰国日の前日だったため流石に出演するのは控えたが、帰国準備もそこそこに聴きには行った。このコンサートに向けて半年程前に結成されたばかりのアマチュア合唱団であったが、とある教会で行われたそのコンサートは言葉に表せないほど幻想的であり、鳥肌が立つほど感動した。やはり芸術が人々の暮らしに溶け込んでいる国だとしみじみ感じた。実は住居探しに関しては、物価の高いパリでは条件の合う物件がなかなか見つからず、契約に至るまで大変苦労した。しかし、結果的にはこのアパルトマンのオーナーであるマダムと仲良くなることができ、さらに研究室外のパリジャン・パリジェンヌ達と交流するきっかけにもなり苦労が報われた。
 以上のように研究面でも生活面でもパリジェンヌを自分なりに満喫した3 ヶ月間であったが、一つ心残りがあるとすれば、フランス語をほぼ全く身に付けられなかったことである。このコラムのタイトルからパリジェンヌなどと書いてしまったが、実はフランス語についてはこれまで全く勉強したことがなく、この3 ヶ月間の滞在中のやり取りもほぼ全て英語で押し通してしまったため、簡単な挨拶と街で頻繁に目にする単語程度しか身に付かなかった。「フランス人は英語が話せるのに話してくれない」などとよく言われるが、近年(特に若い人)はそうでもないらしい。パリ市内なら案外英語が通じたため、実際のところあまり不便はなかった。しかし、やはり「郷に入っては郷に従え」。現地の言葉が使えた方がより円滑にコミュニケーションが取れるというのも事実であることを痛感した。英語圏以外の外国に長期滞在したのが今回初めてだったのでこれまであまり意識する機会が無かったが、現地の言葉を少しでも事前に習得し、現地で実践的に学びながら交流した方が良かったと今では思っている。
 今回の留学を通して研究面、生活面ともにいろいろなことを学び、感じることとなったが、一番心に残っていることをここで述べたい。これが良いか悪いかは別として、フランスでは分業がかなり進んでいるため、日本と比べて研究者が研究に専念でき、平日の昼間のみという限られた時間の中でも効率良く研究活動が行われていたことである。これがそのまま日本に適応できるとは思っていないが、ある程度倣っても良いのではないかと感じた。最後に、今回の留学にあたって大変お世話になったRobert 教授、LEM の皆様、正岡准教授、大学院係や総研大基盤総括係の皆様に深く感謝申し上げる。

深津 亜里紗さんの略歴

ふかつ ありさ
法政大学生命科学部環境応用化学科を卒業後、2013 年総合研究大学院大学物理科学研究科構造分子科学専攻に入学。2016 年より日本学術振興会特別研究員(DC2)。生命・錯体分子科学研究領域正岡グループにおいて、電気化学測定を用いた溶存金属錯体の光反応解析法の構築に取り組んでいる。