分子科学研究所

サイト内検索

お知らせ

お知らせ詳細

2005/12/21

研究成果

高速な光解離を利用した内殻励起状態及び光電離ダイナミクスの研究

極端紫外光研究施設(UVSOR) 繁政英治

 

最近創刊された“Nature Physics”の量子力学に関するトピックスの中で、私が行っている仕事を発展させた研究が取り上げられていたので、この機会に研究の背景などを簡単に紹介させて頂く。

原子には原子核の近くに強く束縛されている内殻電子と弱く束縛されている価電子がある。分子の形を保つのに接着剤の働きをするのは動きやすい価電子だけである。原子から内殻電子の束縛を解くにはエネルギーの高いX線で励起する必要がある。X線も光であり、光励起の選択則である双極子遷移則に従う。シンクロトロン放射のX線は偏光特性を持っており、遷移双極子がX線の偏光方向に一致したときに分子は励起され、X線の偏光方向に直交したときには分子は全く励起されない。 
内殻電子が励起された分子は非常に高いエネルギー状態にあるので、分子が真空中で回転運動するよりはるかに短い10フェムト秒程度の高速時間スケールで、接着剤の働きをしていた価電子を放出してしまい、その結果、分子はいくつかのイオンに分解してしまう。イオンの分解方向は、切断される化学結合の方向と同じと考えられ、イオンの分解方向から分子が励起されたときの分子の配向がわかることになる。この仮説は私が参加した実験(物構研柳下教授らとの共同)と小杉(分子研教授)による理論をつきあわせることによって証明された。

奇跡の年と呼ばれている1905年に提唱された光電効果に対するアインシュタインの光量子仮説を発展させた実験として、真空中に向きを固定した分子から光電子がどのような向きに放出されるかを調べる実験は興味深い。しかし、動き回っている分子の向きを固定した上で実験することは非常に難しいと考えられてきた。ところが、私が関わって開発した実験手法が使えるのである。つまり、分解して飛んできたイオンと光電子の時間差を精度良く計測(同時計測法と一般的に呼ばれている)すると、分子の向きを固定したときの光電子の分布を突き止めることができる。この手法は現在、世界中で使われている。

“Nature Physics”で紹介された研究は、この実験手法を使って、ヤングのスリットで有名な光は粒子か波かの問題と同様に電子の波としての性質を調べたものである。具体的には窒素分子を取り上げ、2個の窒素原子が同位体的に同じ場合と異なる場合で、一方の窒素から電子が放出されるのか、あるいは波のように干渉効果があるのかを実験的に調べている。また、データ解析には小杉教授の理論計算の結果が使われている。

図1

図1:回転する分子をどうやって空間に静止したと見なせる状況を実現するか。分子の回転(回転周期は10-12秒程度)の効果が無視できるほど格段に速いスピードで起こる現象を利用すれば、分子の向きは止まっていると見なすことが出来る。分子の内殻電子の励起後に解離してイオンが放出されるまでの時間は、10-15秒のオーダーなので、この間の分子回転の効果は事実上無視できる。つまり、空間に止まった状態で光を吸って光電子を放出し、その後解離するまで分子軸は動かなかったと考えて良い。この際、分子軸の方向は解離イオンの放出方向と一致すると見なせるので、イオンの放出方向を知れば分子が光を吸収した時の向きを特定できることになる。

図2

図2:分子の回転が事実上無視できる速さで進行する分子解離を利用すると、まるで重なった紙を剥がすかのように、内殻吸収スペクトルを遷移の種類に分けて観測することが出来るようになる。更に放出される光電子と解離イオンを同時に計測することにより、分子を空間に固定した状態での光電子の角度分布測定が実現される。通常の方法では分子の方向はランダムなので光電子の波としての性質を直接見ることが出来ないが、同時計測を行えば、その様子を垣間見ることが出来るのである。

 

この研究を行った動機は何ですか?

当時、前任地である物構研PF(高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 Photon Factory)において、内殻電子の光励起や光イオン化と、それに引き続く緩和過程に関する研究を行っていました。結合に関与していない内殻電子を分子から剥ぎ取った方が、結合に関与する価電子を直接イオン化するよりも激しく壊れます。その様子を光イオン化により生成するイオンを電場で加速して、検出器までの到達時間を測定することでイオンの種類を同定する、いわゆる飛行時間型質量分析法により観測していました。 得られた質量分析スペクトルを詳しく見てみると、分子が分解する際に飛び出してくるイオンの放出方向が、光のエネルギーに依存することが分かってきました。解離イオンの放出方向が等方的でない原因は、先述の通り、遷移双極子の偏光依存だった訳ですが、放射光の直線偏光を利用する新しい研究の可能性として、その異方性の起源に強く関心を持つようになりました。

この研究の重要さや新しいところを専門外の人に説明してくださいますか?

分子の吸収スペクトルには、分子を構成する原子単体の吸収スペクトルには見られない分子に特有な共鳴構造が観測されます。中でも、イオン化しきい値を超えた領域に見られるブロードな構造は、かつて多くの研究者の関心を集めました。約30年前に行われた理論計算により、この構造は、分子内のポテンシャル形状が球対称でないことに起因すると説明され、形状共鳴と呼ばれるようになりました。この形状共鳴という物理現象の本質を実験的に検証するためには、分子を空間に固定することが必須とされました。しかし、なかなか良い方法が見つからず、長らく研究が進展しませんでした。我々が考案した実験方法により初めてそれを実現することが出来たのです。実験技術の進歩により、“Nature Physics”に紹介されているような内殻電子の放出におけるコヒーレンス等、現在ではもっと細かい現象の議論に耐える実験データが得られるようになっています。その原点となる実験手法の確立に携わり、重要な実験に成功したことは幸運だったと思います。

今後この研究はどのように発展すると考えられますか?

この実験研究を遂行する上で最も重要な要素は、上述の同時計測の手法を導入したことでした。数年前から多くの研究者が利用するようになった時間応答が高速な二次元型の検出器を利用して同時計測実験を行えば、同一のイベントで生じた複数のイオンを同時に観測することが出来るようになります。そうすると、多原子分子に関しても、分子の立体構造をある程度規定した上で、光電子が飛びだす方向の測定が実現できます。このような実験を通して、原子に局在していると考えられる内殻電子が光イオン化により分子を離れる際の振る舞いが更に詳しく解明されてゆくと思います。

用語解説

光電効果:物質に光を照射したとき、光のエネルギーが物質を構成する原子や分子に吸収され、電子が放出される現象。放出された電子を光電子と呼ぶ。光の粒子性を仮定したアインシュタインによって初めて説明された現象である。

 

論文名

1) "Coherence in molecular nitrogen", M. Arndt, Nature Physics 1, 19 (2005).

2) "Angular distributions of 1sσ photoelectrons from fixed-in-space N2 molecules", E. Shigemasa, J. Adachi, M. Oura, and A. Yagishita, Phys. Rev. Lett. 74, 359 (1995).

3) "Double and triple excitations near the K-shell ionization threshold of N2 revealed by symmetry-resolved spectroscopy", E. Shigemasa, T. Gejo, M. Nagasono, T. Hatsui, and N. Kosugi, Phys. Rev. A 66, 0225081 (2002).

4) "Spin-orbit and exchange interactions in molecular inner shell spectroscopy ", N. Kosugi, J. Electron Spectrosc. Relat. Phenom. 137-140, 335 (2004).

繁政グループホームページ

http://www.uvsor.ims.ac.jp/staff/shigemasa/homepage/index.htm