お知らせ
2006/06/16
研究成果
分子構造研究系横山グループの中川剛志助手・横山利彦教授は、可視紫外レーザー光を用いてニッケルなどの磁性薄膜の磁気円二色性が仕事関数しきい値近傍で極端に増大する効果を発見し、その成果をフィジカルレビューレターズ誌(6月16日)に発表した。これまで大きな磁気円二色性を得るには、放射光円偏光X線を用いたX線磁気円二色性測定が不可欠とされたが、この発見によりレーザー光を用いても同様の測定が可能であり、ナノ磁石の磁気特性を測定する手段である光電子顕微鏡法が実験室で観測可能であることを示している。また、パルスレーザーを用いれば、これまで全く例のないピコ秒以下の超高速動的磁化過程がナノスケールの空間分解能で追跡できることになる。
横山Gでは、可視紫外レーザーを用いて、試料磁性薄膜の仕事関数を変化させながら紫外磁気円二色性の仕事関数依存性を観測した。その結果、代表的な垂直磁化※4薄膜である銅(001)表面上のニッケルや鉄超薄膜において、仕事関数しきい値近傍で磁気円二色性が極端に大きく、しきい値からずれると急速に小さくなることを突き止めた。しきい値近傍のコントラストはX線を用いた磁気円二色性に匹敵することがわかった。さらに簡単なバンド計算理論からもこの観測結果が妥当であるとの結論を得た。これにより、紫外レーザーの光エネルギーを適切に選ぶことで、実験室で遂行可能な光電子磁気円二色性顕微鏡による時空間分解(数10nm, サブピコ秒)測定への道がひらけたことになる。
現状の最先端のハードディスク※1では、一つの磁石の大きさは100nm、読出し速度は100psに達している。このようなミクロ磁石の性質を高速で調べるにはnm, psレベルの時空間分解能をもつ顕微鏡が必要であり、磁気円二色性光電子顕微鏡※2,3はその候補のひとつである。ところがこの手法は第三世代シンクロトロン放射光源と呼ばれる巨大な加速器(日本には西播磨にSPring-8があるのみ)からの強力な円偏光X線を用いる必要がある上、この光源では時間分解能も通常では100ps程度と不十分であった。もし紫外レーザーを使ってこの測定が可能となれば実験室でも測定が行え、時間分解能も1ps以下となり、その波及効果は甚大である。ところが普通に紫外光を用いると磁気円二色性コントラストは0.1%程度しかなく、X線を用いた場合の数10%に比べてはるかに劣っていた。
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半導体(LD)レーザー(波長635nm)またはHeCdレーザー(波長 325nm)を照射して得た磁気円二色性コントラスト(縦軸)。横軸は光のエネルギーから仕事関数を差し引いたもので、実際の実験では試料にごくわずかな量(0~0.2原子層)のセシウムをつけて仕事関数を変化させている。エネルギー0(仕事関数しきい値)付近で極端に負に大きい磁気円二色性コントラストが観測され、エネルギーの増加とともにコントラストは急激に0になることが発見された。高いコントラストを得るためには光のエネルギーと試料の仕事関数を一致させればよいことがわかる。挿入図はこの手法で測定した磁化曲線。
この研究を行った動機は何ですか?
ナノスケールの空間分解能をもつ磁性を見る顕微鏡は、第三世代シンクロトロン放射光源が必要で、我が国ではSPring-8でのみ実験が可能です。ところがSPring-8ではまだ時間分解測定が全くなされていません。エネルギーの低い軟X線領域の新たな放射光施設建設は東京大学を中心に大変な努力がなされましたが、結局我が国の経済情勢が思わしくなく断念されてしまいました。もともと横山Gは放射光を利用した研究を推進してきましたが、何とか放射光を利用せずに測定できないかという助手の中川の強い意志が今回の発見につながったと思います。
この研究の重要さや新しいところを専門外の人に説明してくださいますか?
この研究は一言でいうと「紫外光電子磁気円二色性の増大効果の発見」になります。言葉の説明は後にも述べますが、これまで紫外光を用いても十分なコントラストの光電子磁気円二色性は望めず、X線を用いるべきという先入観と実験事実がありました。仕事関数ぎりぎりのエネルギーで紫外光の波長を変えた実験がほとんど行われていなかったことが今回の発見がこれまでなされなかった理由です。エネルギーが十分大きい場合と比べて2-3桁コントラストが増加したことは、今後の計測に質的な変革をもたらすものです。
今後この研究はどのように発展すると考えられますか?
現在は第3世代放射光施設という巨大設備を使って空間分解能が数10nm、時間分解能が100psですが、この発見に基づいた紫外磁気円二色性光電子顕微鏡が完成すれば、実験室内で空間分解能が数10nm(同じ性能の顕微鏡を用いると紫外光の方が空間分解能に勝ります)、時間分解能が10-100fs (フェムト秒、1fsは千兆分の1秒)の顕微鏡ができることになります。特に時間分解能の千倍以上の向上は目を見張るものがあり、超高速スピンダイナミクス追跡(1ps以下の非常に速い時間で磁石=スピンの向きがどう変わっていくかの追跡)実験が可能となります。
用語解説
※1 ハードディスク:現在のコンピュータの主たる記録媒体で、ディスクは磁性体になっており、平均の大きさ100nm(ナノメートル,1nmは十億分の1m)程度の磁石がぎっしりつまっている。読書きを行うヘッドも磁性薄膜で、ディスクから漏れる磁場を、ヘッドの磁気抵抗の変化を観測することでものすごく早い速度[1回100ps (ピコ秒、1psは1兆分の1秒)]で読み取り、磁石がどちら向きか、即ち情報が0か1かを判別している。
※2 磁気円二色性:光は横波(光の進む方向と垂直に波面がある)で、波面(電場と磁場)が回転しながら進む光を円偏光という。これに対して波面が常に同じ面上にあるものを直線偏光という。
円偏光には左巻きと右巻きがある。円偏光を磁性体に照射したとき、左巻きと右巻きで吸収確率が異なる。左巻きと右巻きでの光の吸収確率の差を磁気円二色性という。光電子放出確率は吸収確率と密接に関係するので、これにも磁気円二色性が現れる。
やや専門的な話になるが、磁気円二色性は磁性体の磁化に比例するとともに、スピン軌道相互作用の大きさに関係する。スピンとは電子自身が持つ磁石としての性質であり、軌道とは電子が核の周りを運動するものである。電子から見れば核が自分の周りを周回しているので、電子は核から、ファラデーの電磁誘導に基づいてビオサバールの法則に従う磁場を感じている。この軌道運動による誘導磁場と電子自身のスピンとの相互作用をスピン軌道相互作用という。核の周りの回転速度が速い内殻電子ではスピン軌道相互作用は大きく、回転の遅い価電子ではスピン軌道相互作用は小さい。したがって、磁気円二色性は内殻(励起にはX線が必要)で大きく、価電子(励起は紫外線による)で小さくなる。
※3 光電子顕微鏡:試料にX線や紫外線を照射すると、あるしきい値以上の光のエネルギーで電子が飛び出してくる。これを光電効果、飛び出す電子を光電子、しきい値を仕事関数と呼ぶ。光電子がどこから飛び出したかのその場所を、静電レンズや磁気レンズを用いて観測する装置が光電子顕微鏡である。磁気円二色性光電子顕微鏡によれば、10ナノメートルレベルの空間分解能で小さい磁石の向きが観測できる。
※4 垂直磁化:薄膜磁石で磁化の向きが表面垂直であること。薄膜では普通は表面内に磁化されやすいが、さまざまな条件の下で垂直磁化が安定化する系がある。垂直磁化膜は1つの磁石サイズを小さくできるので高密度化に有効である。
論文名
“Magnetic Circular Dichroism near the Fermi Level” Takeshi Nakagawa and Toshihiko Yokoyama, Phys. Rev. Lett. 96, 237402 (2006).
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