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2007/12/25

受賞

「多重同時計測による原子分子の光多重電離過程の研究」(彦坂泰正助教)

光の中でも波長の短い(周波数の高い)紫外線やX線を物質に照射すると、原子核からのクーロン力によって捕らわれていた電子が物質から飛び出してくる。光電効果と呼ばれるこの現象の本質は、アインシュタインの光量子仮説によって説明される。すなわち、光はその周波数に応じたエネルギーを持つ粒子(光子)として振る舞い、物質中の電子はこのエネルギーを受け取ることによって運動エネルギーを獲得し、原子核の束縛に打ち勝って物質から放出される。この光電効果の物理を説明する際には、一つの光子は一つの電子のみに作用してその状態を変えるという描像が前提となっている。しかしながら、物質としても最も単純な系である原子や分子の光電効果について詳細に調べてみると、この描像では説明できない現象が普遍的に見られることが分かってきた。最も顕著な例は、一つの光子の吸収によって原子や分子内の複数の電子が同時に放出される現象であり、光多重電離と呼ばれている。光多重電離は、原子や分子内の電子がそれぞれ全く独立に運動している訳ではないことを直接的に示しており、このことは逆に、原子や分子の光多重電離過程の観測を通して、物質中の電子間の相互作用にアプローチできることを意味している。そのため、原子や分子の光多重電離過程は、原子分子科学において最もホットなトピックの一つとして注目されている。

 

光多重電離の詳細を理解するためには、放出される全ての電子の運動エネルギーの相関を観測することが極めて有効である。しかしながら、従来の手法では高効率で運動エネルギー相関を得ることはできず、光多重電離過程について断片的な情報しか得られていなかった。これに対し彦坂助教らは、運動エネルギー相関を高効率かつ精度良く測定出来る実験技術を導入し、原子や分子の光多重電離の研究において次々と特筆すべき研究成果を生み出している。今回の受賞は、以下に示した二例を含む原子分子の光多重電離に関する一連の研究に対するものである。

 

(1)原子や分子の内殻電子を、電離しきい値より遙かに高い光子エネルギーで電離すると、それに追従して外殻軌道からも電子が放出されることがある。このような光二重電離過程は、内殻電子が突然放出されるショックで外殻電子が飛び出すというモデル(瞬間近似)で説明されている。彦坂助教らは、この過程において放出された二つの電子の運動エネルギー相関を観測することに初めて成功し、その光子エネルギー依存性を測定した。その結果、光子エネルギーが十分に高い場合、光二重電離過程は瞬間近似で十分に説明できるが、光子エネルギーが低い領域では、このモデルでは説明できない振る舞いを示すことを突き止めた。この観測は、電子のスピンも考慮した新しい光二重電離ダイナミクス理論の構築の必要性を再認識させる実験結果として注目を集めている。

(2)原子や分子を構成する電子の挙動は、ミクロな世界の力学である量子力学によって理解され、電子の状態はその量子状態を指定する波動関数によって記述される。一電子軌道近似に基づいて得られた波動関数は、原子軌道や分子軌道と呼ばれており、原子や分子の電子構造を理解する上で最も重用される基本的な概念である。しかし、原子番号が54付近の原子については、この近似に基づいて光電子スペクトルを解釈できないことが古くから知られている。彦坂助教らは、キセノン原子の4p電離しきい値を超える光子エネルギーでの実験において、4d内殻軌道から同時に2つの電子が放出される二重電離が高効率に起こることを見出した。これは、4p電離強度が仮想的な電子遷移過程を介することにより、4d二重電離強度へ譲渡されたとして理解される。この研究は、光二重電離の観測によって、一電子軌道近似の破綻のメカニズムを顕在化し得ることを示した初めての実験である。

 

彦坂助教らの研究は、光多重電離のメカニズムとダイナミクス、更には関与する電子状態の分光情報等、関連するあらゆる側面についての理解を飛躍的に伸展させており、光多重電離過程の研究に新展開をもたらしている。彦坂助教は、これらの光多重電離に関する研究とともに、光イオン化動力学や分子動力学の研究などにおいても卓越した研究成果を挙げている。彦坂助教の原子分子科学の研究における更なる活躍を期待している。

(繁政英治 記)

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