お知らせ
2010/08/06
プレスリリース
UVSOR放射光施設において、フラーレンC60の気体ビームに放射光を照射し、生成した2価クラスターイオンC582+、C562+、……の3次元速度分布を精密に測定することで、炭素クラスターがC2分子を1つ放出するたびに内部温度がどれだけ減少するかを評価することに初めて成功した。孤立クラスターの内部温度を決める方法が確立されたことで、溶液中のエネルギー伝播、温度上昇および分子蒸発のメカニズムの解明に向けた新たな道筋が開けたことになる。今回開発された速度分布測定技術はC60に限らず高沸点物質全般を対象としうるので、例えば、有機薄膜デバイスの材料に使われる高分子重合体の立体構造の規則性(立体秩序性)の研究にも適用できる。
[研究の背景]
孤立分子(気相)と凝縮系(液相と固相)をつなぐ過渡的な相をクラスターと呼びます。サイズとしては、2 個から数百個程度までの分子同士が分子間力で弱く結合したファンデルワールス会合体から、さらに大きなメゾスコピック粒子(直径がナノメートル以上の粒子、1 ナノ=10 億分の1)まで、広い範囲に及んでいます。このようなクラスターは、構成する原子や分子の個数(サイズ)に応じて、気相や液相とは異なる独特な原子骨格、エネルギー構造、物性、反応性、触媒作用などを有することから、分子科学、物性科学、材料科学を始めとして、多くの分野の研究対象となっています。これらの研究を進める際に、クラスターの温度が分かればエネルギー伝播経路や表面での反応速度などを予測できることから、その内部温度を正確に決める方法が待ち望まれていました。
見附グループは、これまで極端紫外光(説明は後述)を用いて、世界で初めてフラーレンの屈折率と誘電率の測定を成功させると共に、フラーレンイオンからクラスターへの分解反応メカニズムなどの研究を長年行ってきました。今回の研究成果はこれらの実績に基づいたものです。
高温のクラスターが構成分子を次々と放出しながらそのサイズを減らしていく多段階分解過程は溶液の蒸発現象によく似ています。このため、この分解反応を調べることにより溶液中の局所的な分子構造の変化やエネルギー伝播の様子をナノメートルレベルから解明することが可能となります。
しかし過去の研究では気相クラスターの“初期サイズ”と“初期温度”を一律に指定することは困難とされていました。さらに、単独飛行中のクラスターから分子が放出されるたびに、“クラスターの内部温度”が刻々と下がっていく様子を正確にモニターすることは、よりいっそう困難でした。
一方、別の知見によれば、分子を一つ放出した後のクラスターの内部温度は“クラスターのスピード(速度)”の増加量から計算できることが、統計理論的モデルから予想されていました。しかし、多段分解しつつあるクラスターのスピードを、サイズ選別して測定することには、これまで誰も成功していませんでした。
[研究の成果]
本研究では、分子科学研究所の極端紫外光研究施設(UVSOR)を利用し、フラーレンC60の分子線に極端紫外光を照射し、イオン化しました。極端紫外光とは、紫外線より波長が短く、硬X 線より波長が長い光で、分子の化学結合に携わっている電子がこの光を選択的に吸収し自らが励起されることで、分子中の原子配列を組み替えたり、化学結合を切断したり、分子振動を激しく遥動させたりする効果が得られます。例えば、レーザーなどの波長の長い光ではC60 イオンの連続的分解を誘起することは困難と言えます。波長が自由に選べる極端紫外放射光を用いることで、今回初めて、クラスターの“初期サイズ”と“初期温度”を厳密に指定することが可能となりました。
さらに、電子イオン同時検出法(注1)と速度画像観測法(注2)を組み合わせることで“クラスターの3 次元速度”を決めることを可能としました。この技術のポイントは、イオンの集束レンズ系(注3)と位置敏感型検出器(注4)のデザインを最適化したところにあります。これにより、秒速8m以内の分解能を実現しています。これは摂氏500 度の高温炉から噴出されたC60のスピードが5%変化するだけで十分に検知できるほどの性能になります。
以上の実験手法と特殊データ解析を用いて、サイズ60 から52 までの炭素クラスターイオンについて、炭素原子2 個のC2分子を1つ放出するたびにどれだけ内部温度が下がるかを評価することに世界で初めて成功しました。
[今後の展開とこの研究の社会的意義]
色々な波長の放射光を大小様々のクラスターに照射して、そのスピードの微少変化を精密に検知できれば、光エネルギーが熱エネルギーに変わり内部温度が上昇し分子放出が誘導されるメカニズムを系統的に調べられることになります。この研究がさらに発展すれば、凝縮系の熱伝導度、蒸発熱、エントロピー変化、比熱などの物理量を決める因子を理解できると期待されます。このことから、熱力学、液体科学、溶液化学の分野において、巨視的現象を分子論的に解明するうえで本質的な題材を提供するものと考えられます。
また今回の研究で、10 以上の原子で構成される沸点の高い分子の3 次元速度分布を初めて直接観測できるようになりました。この手法を高分子重合体に適用すれば立体構造の規則性(立体的秩序)を3 次元速度の分布情報から決定できるようになるものと考えられます。立体的秩序の良い高分子重合体は高いキャリアー移動度を持つため、有機薄膜トランジスターや有機太陽電池の材料として有用です。これまで高分子重合体の立体的秩序を定量的に評価する方法はほとんど存在しなかったため、今回の研究成果は、産業上の材料開発の分野にまで貢献することが予想されます。
フラーレンC60を約500℃のオーブンで気化して真空中に吹き出させます。このC60ビームに極端紫外光を照射すると、C60がイオン化され電子が2個抜けて高温の親イオンC602+が生成します。C602+は2原子分子C2を一つ切り離してサイズが2だけ小さいクラスターイオンC582+になりますが、その際に熱エネルギーを失って内部温度が下がります。引き続きC582+はもう一つC2を切り離してクラスターイオンC562+になります。C2を切り離すたびにクラスターイオンは加速されますが、スピードの増分はクラスターイオンの内部温度に依存するので、スピードを正確に測定してやれば逆に内部温度が推定できます。
本研究の速度画像観測の成果に基づけば、C60を17ナノメートルの波長の光でイオン化した場合、親イオンは最初に約4200℃に加熱され、その後C2を一つ切り離すたびに500~1000℃ぐらいずつ温度が降下すると結論されました。
[用語解説]
(注1)電子イオン同時検出法:分子のイオン化で生成されるイオンと電子を、電場で互いに反対の方向に引き出して同じタイミングで検出する実験方法。元来、高エネルギー物理学の分野で開発されたが、全生成物を観測してエネルギー収支を議論できるなどの利点を生かし、近年は化学反応学や表面科学の分野でも多用されている。
(注2)速度画像観測法:気相分子に1mm 程度に絞った極端紫外光や高速電子のビームを当ててイオン化し、生成イオンを静電場で引き出して数百mm 離れた位置敏感型検出器(注4)まで飛行させ、検出器上の到着位置のずれからイオンの速度分布を測定する実験手法。
(注3)イオンの集束レンズ系:独立に電圧を印加できる2 個以上の金属円筒からなる実験部品。2 個の金属円筒の並びがレンズ1 枚分に相当する。凸レンズや凹レンズで光の集光や発散ができるのと同様に、電荷を持った粒子の飛行軌道を静電場で曲げることで、粒子線の集束や発散が可能となる。
(注4)位置敏感型検出器:イオンが検出面に到着した際にその2 次元位置座標を決める事が可能な数cm2から100 cm2の面積を持つ円形または矩形の粒子検出器。位置情報化の方式の違いで、燐光変換カメラ撮影法、抵抗陽極型電荷分配法、遅延ライン時間ディジタル変換法などがある。
■論文情報
掲載誌:The Journal of Chemical Physics,
(ザ・ジャーナル・オブ・ケミカル・フィジックス(速報論文枠);
米国物理学協会の発行する最高レベルの物理化学専門誌)
論文タイトル:
Communication:Mass-analyzed velocity map imaging of thermal photofragments from C60
「C60 から光解離した低速粒子の質量選別速度画像観測」
著者:片柳英樹、見附孝一郎
掲載予定日:2010 年8月14 日オンライン版掲載予定
■研究グループ
本研究は、自然科学研究機構分子科学研究所・見附グループ(見附孝一郎准教授)により行われました。
■研究サポート
文部科学省科学研究費補助金事業の下記研究課題の一環として行われました。
18350016:「炭素ナノケージに貯蔵された物質の放射光共鳴制御」
20550029:「フラーレンの光解離で生成する中性フラグメント散乱分布の状態選択的画像観測」
■本件に関するお問い合わせ先
見附 孝一郎(みつけ こういちろう)
自然科学研究機構・分子科学研究所・光分子科学研究領域 准教授
TEL: 0564-55-7445
E-mail: mitsuke@ims.ac.jp(送信時には@を半角にしてください)