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2011/03/31

研究成果

機能性有機分子が機能を生み出す仕組みの探究――光誘起伝導性メカニズムの電子スピン共鳴による解明――(中村グループ)

[研究の背景]

エネルギー・環境問題を解決するため、代替エネルギーや環境にやさしい物質の開発などが、盛んに行われています。その取り組みの一つとして、色素増感太陽電池や電解効果トランジスタ(FET)、発光ダイオード(LED)、光誘起伝導などの実用を目指した機能性有機分子の研究が行われています。本研究グループでは、光によって伝導性や磁性といった電子由来の機能をもたらす光誘起機能性物質に着目しています。これまでにも、数々の有機分子性デバイス物質が発表されてきましたが、それらの物質の機能性効率が低いことが共通の問題点であり、機能性効率の向上が必要とされています。そのためには、機能を生み出す仕組みを知る必要があります。そこで、本研究グループでは、電子スピン(注1)を調べることにより、機能を生み出す仕組みを明らかにしようとしています。

 

近年、機能性効率の向上を目指した新規な光誘起伝導性物質として、2つの異種分子を結合させた複合分子系の開発がすすめられています。この複合分子の利点は、組み合わせる分子の特徴を利用して新たな一つの分子としての機能を期待することができることです。その試みの一つとして、有機伝導性物質として知られるTTF(TetraThiaFulvalene、図1)と蛍光物質として知られるPPD(2、5-diphenyl-1、3、4-oxadiazole、 図1)とを、接続(リンカー)部位で組み合わせたTTF-PPD複合分子が開発されました。TTF分子は、電子一つを出すと伝導性を示すこと、PPDは光を吸収した後に発光を示すことが知られています。合成されたTTF-PPDは、光のON-OFFにより電流を制御する光誘起伝導性を示すことが示されています(図2(a))。この現象は、図2(b)に示すように、最安定状態の基底状態S0(注2)から①PPD部位で光を吸収して、電子が一つ上の順位に上げられ、励起一重項状態S1(注2)となり、この状態を経た後に、②TTF部位から電子移動することで、TTF側に伝導性がもたらされることによるものと考えられます。この電子状態を電荷分離状態CSといい、TTF部位とPPD部位に、それぞれ一つずつ不対電子が存在しています。分子の機能性効率を向上させるためには、この電荷分離状態を効率よく生成することが重要となります。またリンカー部位を工夫することにより、光誘起伝導性を制御できるとも考えられます。しかし、光誘起電流はそれほど大きい値ではありません。図2(b)で予想したメカニズムが正しいならば、電荷分離状態について正確な情報を得ることが大きなカギとなるものと推測されます。

 

図1 TTF、PPD分子とTTF-PPD複合分子1および 2の分子構造

図1 TTF、PPD分子とTTF-PPD複合分子1および 2の分子構造

 

図2 (a)光誘起電流測定結果と(b)光誘起伝導メカニズムの概念図

図2  (a)光誘起電流測定結果と(b)光誘起伝導メカニズムの概念図

 

[研究の成果]

研究グループは、光照射直後の不対電子を時間経過に共に観測することができる時間分解電子スピン共鳴法(Electron Spin Resonance、ESR(注3)、図3)という手法により、光有機機能性物質が機能を生み出すメカニズムの解明を試みました。このシステムでは、ESRシグナル検出器内に置かれた試料に対して、10億分5秒だけ光るレーザーパルスを照射し、そのレーザーパルスと同期してESRシグナルの時間変化を検出しています。このシグナルをもとに、スペクトルシミュレーション(注4)することで、その物質に対する電子スピン多重度(注5)やスピン間距離(注5)などの電子スピンの情報を得ることができます。

 

図3 時間分解ESRシステムの概要図

図3 時間分解ESRシステムの概要図

 

図4 (a)分子2における2次元時間分解ESRスペクトル。横軸、縦軸はそれぞれ、レーザー照射時を0とした時間t、縦軸は磁場を示し、紙面垂直軸はESRシグナル強度を示す。(b)千分の1秒経過後(t~1000 μs)における磁場挿引スペクトル(赤)とスペクトルシミュレーションの結果。

図4 (a)分子2における2次元時間分解ESRスペクトル。横軸、縦軸はそれぞれ、レーザー照射時を0とした時間t、縦軸は磁場を示し、紙面垂直軸はESRシグナル強度を示す。(b)千分の1秒経過後(t~1000 μs)における磁場挿引スペクトル(赤)とスペクトルシミュレーションの結果。

 

 

図4(a)に分子2の溶液試料に対する2次元時間分解ESRスペクトルを示します。レーザー照射前(t < 0)には、すべての磁場領域でESRシグナルが観測されませんでした。このことは、レーザー照射前の定常状態では、電子スピンが存在していないことを示しています。一方、レーザー照射後(t > 0)では、0.25 ― 0.44 T(T:テスラ、磁場の大きさを示す単位)の範囲でシグナルが観測されており、これらのシグナルは、レーザー照射に由来することを示しています。図4(b)は、2次元時間分解ESRスペクトルのレーザー照射の千分の1秒後(t ~ 1000μs)における磁場方向の断面図を示しています。2つの電子スピンが、TTF部位とPPD部位に存在する電荷分離状態ではなく、相互作用を持つ3重項状態(注2)を仮定し、スペクトルシミュレーションを行ったところ、溶液試料の観測結果とよく一致しました。このことは、レーザー照射による励起3重項状態であることを意味しています。

 

またゼロ磁場分裂定数(注6)から見積もられる電子スピン間距離はおよそ6.5 Å(Å:オングストローム、1Åは100億分の1メートル)でした。この距離は図5に示したように、TTF末端からPPD間の距離に対応しています。このことから、この状態は電荷がTTFとPPDとに分離した電荷分離状態ではないと予想されます。そこで、電子スピン密度分布を、分子軌道計算により見積もったところ、図5のように、リンカー部位を中心として、TTFやPPD部位へとスピン密度分布が広がっていました。これらの結果は次のように解釈することができます。分子2はレーザー照射により、基底状態S0から励起一重項状態S1に遷移します。S1も一重項状態なので、ESRで検出することはできません。その後、S1状態から二つの電子スピンが励起三重項状態T1へと系間交差(注7)し、このT1状態が実験で検出されたと考えられます。同様な実験を、分子1に対しても行い、基本的なメカニズムは変わらないことと、リンカー部はスピン間距離を調節していることを明らかにしました。また固体試料では、機能発現に由来する電荷分離状態の観測にも成功しています。

 

図5 スピン密度分布図

図5 スピン密度分布図
分子2の分子構造上に、スピン密度が、青い雲状に分布している。赤矢印の長さがおよそ6.5Åの長さに対応する。

 

[今後の展開]

さらに、他の実験により、電子スピンが関係していない過程についての情報を得ることができれば、光有機機能性物質が機能を生み出すメカニズムをより正確に理解することが可能となります。その情報を物質開発へとフィードバックすれば、より効率的な実用に耐えうる分子性デバイスの開発へとつながっていくと期待できます。

 

用語解説

注1)電子スピン:電子が持つ自由度の一つで、直感的には自転に対応する。左右の回転に対応して,上・下の2つの自由度があり,それぞれ上・下の矢印で表記する。一つの電子はスピン量子数S = 1/2で特徴づけられる。
注2)基底状態,励起一重項状態,励起三重項状態: 定常状態において最もエネルギーの低い状態。また、2つの電子スピンによって生成されるスピン量子数S = 0,または1で特徴づけられる、電子が遷移した高いエネルギー状態を、励起一重項状態、励起三重項状態という。
注3)ESR法: 磁場中で,電子スピンのマイクロ波(およそ9.5GHz)に対する応答を観測する方法。
注4)スペクトルシミュレーション:スピン量子数やゼロ磁場分裂定数などを仮定して,ESRスペクトルを計算により再現する方法。
注5)電子スピン多重度,スピン間距離: 電子スピンのスピン量子数Sで特徴づけられる電子スピンには、2S+1重に縮退するエネルギー準位を持つ。この縮退度をスピン多重度という。たとえば、2つの電子スピンの合成によって生成したスピン量子数1の電子スピンはスピン多重度3を持つという。また、三重項状態を形成している2つの電子スピンは同一場所に存在するわけではなく、ある程度の距離を持つ。その距離をスピン間距離という。
注6)ゼロ磁場分裂定数: 2つの電子スピン間に働く、磁気双極子―双極子相互作用に由来するパラメータ。スピン間の距離rの3乗に反比例する値であり、2つの電子スピン間距離を見積もることができる。
注7)系間交差: 電子スピン多重度の異なる2つの状態間の無放射遷移。項間交差ともいう。この場合では、励起一重項状態から励起三重項状態への遷移。

 

■論文情報

掲載誌:Chemistry Letters(日本化学会発行の化学専門速報誌), 40巻、292-294ページ (2011年)

論文タイトル:Photoinduced Triplet States of Photoconductive TTF Derivatives Including a Fluorescent Group 
(蛍光部位を持つ光誘起伝導性物質TTF誘導体の光誘起三重項状態)

著者:K. Furukawa, Y. Sugishima, H. Fujiwara, T. Nakamura

 

■研究グループ

古川貢 (ふるかわ こう)
分子科学研究所 物質分子科学研究領域 電子物性部門,助教

 

中村敏和 (なかむら としかず)
分子科学研究所 物質分子科学研究領域 電子物性部門,准教授

http://www.ims.ac.jp/research/assoc/nakamura.html

 

藤原秀紀 (ふじわら ひでき)
大阪府立大学 大学院理学研究科,准教授

 

杉島泰雄 (すぎしま やすお)
大阪府立大学 大学院理学研究科,学生