分子科学研究所

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2011/12/22

プレスリリース

金属錯体触媒による新規な酸素発生反応のメカニズムを解明―人工光合成実現に向けた基礎的知見―(正岡グループ)

自然科学研究機構分子科学研究所の正岡重行准教授、九州大学理学部の酒井健教授らの研究グループは、水から酸素を発生させるルテニウム単核錯体触媒が、なぜルテニウム1つでも酸素を発生させることができるのかを解明し、人工光合成を実現させるための基礎的な知見をもたらしました。 
人工光合成を実現させるためには、水を分解して酸素を取り出す触媒を開発することが必要です。天然の光合成では、マンガンイオンを4つもった酵素がこの役割を果たしていますが、研究グループは2008年に、ルテニウム(Ru)金属1つだけをもつ錯体(ルテニウム単核錯体)が、優れた酸素発生触媒であることを見出しました。しかし、1つしか金属イオンをもたないのに、どのように水から酸素を発生させているのかということについては謎のままでした。 
研究グループは、この酸素発生反応のメカニズムを解明するため、物質による光の吸収を調べました。触媒として用いているルテニウム錯体の水溶液と水の酸化剤である硝酸セリウム(IV)アンモニウムの水溶液を高速で混合し、紫外可視吸収スペクトルの時間変化を追跡しました。この吸収スペクトルを解析することにより、元の状態(RuII−OH2)の三電子酸化種(RuV=O)を含む5つの中間体が存在することが明らかになりました。また、密度汎関数法という手法を用いて求めた三電子酸化種のある種の電子密度の分布を、吸収スペクトルの時間変化と比較検討することにより、酸素の発生には三電子酸化種RuV=Oが関与しているという結論が得られました。今回明らかにされた新しいメカニズムを触媒分子設計へとフィードバックし、より高活性・高機能の触媒分子の開発へと結び付けることで、人工光合成を可能にする触媒の開発へとつながることが期待されます。

本成果は、JSTの戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「光エネルギーと物質変換」研究領域における課題の一環として行われ、英国王立化学会の発行する化学専門速報誌『Chemical Communications』のオンライン版で11月15日に公開されました。

 

[研究の背景]

無尽蔵に地球上に降り注ぐ太陽光エネルギーから化学エネルギーを作り出す。「人工光合成」1)と呼ばれるこの反応系は、実用化に成功すれば世界のエネルギー問題が一挙に解決可能な、まさに夢の技術です(図1)。最近では、ノーベル化学賞の根岸英一パデュー大特別教授が人工光合成の重要性を掲げたことで、その名前が広く知られるようになりました。特に、化石燃料の枯渇や地球規模の環境破壊、先の震災に端を発するエネルギー不足などが世界的な問題として浮き彫りになっている現代、この人工光合成を達成することは喫緊の課題となっています。

図1.天然の光合成と代表的な人工光合成

図1.天然の光合成と代表的な人工光合成

 

しかし、植物がいとも簡単に光合成を行っているのに対し、人間はこの人工光合成を実用化できていません。水の分解による水素発生を例にとってみると、水から水素を取り出す研究は活発に行われてきましたが、酸素を取り出す触媒の開発が後れをとっているためです。酸素発生は水から4つもの電子を同時に奪う反応(酸化反応)なので、人工的に再現するのが難しいと言われています。自然界の光合成では、この困難な反応を、マンガンイオンを4つもった酵素を用いることで進行させています。そのためこれまで、人工的な触媒開発においても、分子内に2つ以上の金属イオンをもつ多核金属錯体を対象とした研究が主流となっていました。しかし、このような2つ以上の金属イオンをもつ触媒は、確かに水を酸素に変換できるものの耐久性が低いものが多く、またその反応メカニズムも複雑で未解明な点が多いことが大きな問題になっていました。

 

[研究の成果]

研究グループはまず、これまで30年近く常識となっていた「2つ以上の金属イオンがないと酸素発生は起こらない」という前提そのものが間違っているという仮説を立て、ルテニウムを分子内に1つだけ含む錯体(単核錯体)を酸化剤の水溶液に加えることで酸素発生触媒として働くかを試しました。その結果、確かに酸素発生触媒として働くことを初めて明らかにしました(図2)。さらにこの触媒は、酸素発生の速度も速く耐久性も非常に高いという、優れた触媒であることが分かりました(Chem. Lett. 2009, vol.38, 182)。

図2.ルテニウム単核錯体を触媒とした水からの酸素発生反応の模式図。

図2.ルテニウム単核錯体を触媒とした水からの酸素発生反応の模式図。 
触媒反応の重要な中間体である三電子酸化種の分子構造とスピン密度分布(中央)。水の酸化により酸素の泡が発生している様子(右)。

 

しかし、1つしか金属イオンをもたないのに、どのようにして水から4つもの電子を奪っているのかというということについては謎でした。

 

そこで今回、研究グループは、この酸素発生反応のメカニズムを解明するため、物質による光の吸収を調べました。触媒として用いているルテニウム錯体の水溶液と水の酸化剤である硝酸セリウム(IV)アンモニウム(Ce(NH4)2(NO3)6)の水溶液を高速で混合し、紫外可視吸収スペクトルの時間変化を追跡しました。この吸収スペクトルを解析することにより、錯体触媒(RuII−OH2)の三電子酸化種(RuV=O)を含む5つの中間体が存在することが明らかになりました。また、密度汎関数法(DFT)2)を用いて求めた三電子酸化種のスピン密度分布3)(図2、中央)をスペクトルの時間変化と比較検討することにより、酸素-酸素結合の生成には三電子酸化種RuV=Oが関与しているという結論が得られました(図3)。

 

図3:提案した酸素発生メカニズム

図3:提案した酸素発生メカニズム

  (e-は電子、H+は水素イオン。Ruに付随しているローマ数字はルテニウムの価数を示す)

 

以上のように、本研究では「ルテニウム単核錯体」という新概念の酸素発生触媒の反応メカニズムについて重要な知見を見出し、今後の触媒機能制御・新規触媒開発のための足掛かりを得ました。

 

[この研究の社会的意義]

本研究では、分子内にルテニウムを1つ有する錯体が酸素発生触媒として非常に優れた性質を示すことを見出し、さらにその触媒メカニズムを明らかにしました。この結果は、「2つ以上の金属イオンがないと酸素発生は起こらない」というこれまでの常識を覆す驚くべき結果です。今回明らかにされた新しいメカニズムを触媒分子設計へとフィードバックし、より高活性・高機能の触媒分子の開発へと結び付けることで、人工光合成を可能にする触媒の開発へとつながることが期待されます。

 

用語解説

1)人工光合成:植物が行う光合成を模倣し、人為的に水や二酸化炭素、そして太陽光エネルギーから化学エネルギー(水素やメタノールなど)を生み出す技術。実用化に向け、半導体や金属錯体を用いた光触媒系の利用が期待されている。

2) 密度汎関数法(DFT):分子の電子状態を計算するために、電子どうしの相関(相互作用)エネルギーを電子密度の関数として考える手法。この計算には主にスーパーコンピューターなどを用いるが、この方法で計算すると比較的簡便・短時間で高精度の結果が得られることから、近年分子科学の幅広い分野でシミュレーションの手段として用いられている。

3) スピン密度分布:電子スピンが存在している場所や密度をあらわした確率分布。原子や分子の周りを取り巻く電子は、通常、2つずつペアで存在しスピンを打ち消し合っているため、スピン密度分布は電子対になっていない電子の存在確率を表す。

 

■論文情報

掲載誌:Chemical Communications(ケミカル・コミュニケーションズ; 英国王立化学会の発行する化学専門速報誌)

論文タイトル:Kinetics and DFT Studies on the Water Oxidation by Ce4+ Catalyzed by [Ru(terpy)(bpy)(OH2)]2+ (ルテニウム単核錯体による水の酸化反応の反応速度解析及び密度汎関数理論計算)

著者:Ayano Kimoto, Kosei Yamauchi, Masaki Yoshida, Shigeyuki Masaoka, Ken Sakai

掲載日:2011年11月15日付オンライン版にて公開

 

■研究グループ

本研究は、自然科学研究機構分子科学研究所・正岡グループ(木本彩乃特別共同利用研究員、正岡重行准教授ら)と九州大学大学院理学研究院・酒井研究室(酒井健教授ら)との共同研究により行われました。

 

■研究サポート

本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「光エネルギーと物質変換」研究領域(研究総括:井上晴夫 首都大学東京 戦略研究センター 教授)における研究課題「水の可視光完全分解を可能にする高活性酸素発生触媒の創製」(研究代表者:正岡重行准教授)の一環として行われました。

 

■研究に関するお問い合わせ先

正岡 重行(まさおか しげゆき)
自然科学研究機構 分子科学研究所 生命・錯体分子科学研究領域・准教授
TEL 0564-59-5587
E-mail:masaoka@ims.ac.jp(送信時には@を半角にしてください)
https://groups.ims.ac.jp/organization/masaoka_g/