お知らせ
2012/01/31
研究成果
[研究の背景]
固体の核磁気共鳴(NMR)は固体物質の局所的な構造を非破壊で調べることができる分光法です。特に重水素(2H, 核スピンI = 1)の固体NMRは静的な分子構造だけでなく、秒~ナノ秒程度のタイムスケールの分子運動も解析できることから、これまで物質の機能や物性と構造の関係を調べるために用いられています。近年ではポリマーなどの反磁性化合物のみならず常磁性の金属錯体も測定の対象となっており、分子科学の研究における重要性が増しています。
このように多様な情報を得ることができるNMRですが、本質的に検出感度が低いことが難点です。そのため通常はスペクトルを測定する際に信号の積算、即ちラジオ波パルスを照射してNMR信号を取り込むという作業を繰り返し、スペクトルのSN比を向上させています。もし、1回の測定でNMR信号を複数回取り込むことができれば、同じ積算回数でも得られるスペクトルのSN比は向上すると考えられます。そのための一つの方法は逐次スピンエコー(*1)法の適用です。しかしながら常磁性化合物の重水素NMRでは、核スピン相互作用として核四極相互作用(*2)に加え常磁性イオンによる超微細相互作用が寄与するため、既存の測定法では逐次スピンエコーを正しく生成できませんでした。
[研究の成果]
今回我々は90°および180°パルスを組み合わせて、核四極相互作用と超微細相互作用によって時間発展した横磁化を繰り返し再結像させる実験法を構築しました(図1)。
図1.逐次スピンエコーを実現する重水素NMRのパルスシーケンス(*3)。縦、横軸は各々ラジオ波強度および時間を表す。緑と赤の長方形は90°および180°パルスを表す。 τacq1およびτacq2でNMR信号を取り込む。
90°および180°パルスが各々核四極相互作用および超微細相互作用に影響を与え、各々の信号取り込み時にスピンエコーを発生させます。ただし実際にこのシーケンスを機能させるためには、各々のラジオ波パルスの照射時間が十分短くなるような高強度のラジオ波を照射することが必要になります。これは重水素の核四極相互作用の大きさが100-200 kHzにも及ぶため、幅広い周波数領域をカバーするために高強度の短いパルスを照射する必要があるためです。本研究では、信号検出を行うプローブのラジオ波照射及び信号検出用のソレノイドコイルを小径に変更することにより、高強度パルスの照射を行いました。
図2.常磁性結晶に対する逐次スピンエコーの有無の比較。上段(a)は逐次スピンエコーの無い既存法による測定結果、下段(b)は新規方法による測定結果。(i), (ii), (iii)は各々NMR信号、Fourier変換スペクトル、そのシミュレーションスペクトルを表す。
常磁性のCoSiF6・6H2O結晶を参照試料として実証実験を行った結果を図2に示します。(a)は逐次スピンエコーを行わない場合の測定結果です。NMR信号(a-i)をFourier変換して得られるスペクトル(a-ii)の幅が約260 kHz程に広がっているのは主に核四極相互作用のためです。(b)が今回開発した方法の測定結果で、スピンエコーが繰り返し生成され(b-i)、対応するスペクトルは櫛状になります(b-ii)。スペクトルの強度は測定シーケンスのパルス間隔により変動しますが、この例ではスペクトルのSN比は(a-ii)に比べて約9倍向上しました。(iii)は数値計算で得られたスペクトルです。シミュレーションにより、分子構造に係わる核四極子結合定数などを精度よく決定することができました。
このスペクトルは分子運動存在下では、その線形に変調を受け、この変調を解析することにより分子運動に関する情報を得ることができます。分子運動の検出能力を調べるために、スペクトルの温度依存性の測定及びそのシミュレーションを行いました。その結果、スペクトルの形状に変化が見られる分子運動の速度定数は逐次スピンエコー無しの場合は約104~106 s-1の領域であったのに対し、本法では約103~107s-1と領域が拡大することが判明しました。これは、本法が分子運動の解析にも有利となることを示しています。
[今後の展開と研究の社会的意義]
近年、多孔性配位高分子が空隙を利用した分子の分離・吸蔵・触媒等の能力を有することから大きな注目を集めています。細孔に吸着した分子の挙動を調べることは、優れた機能・物性を示す化合物の創生に重要であると考えられます。配位高分子の多くは骨格に常磁性イオンを含んでいるため、常磁性化合物に対し高感度測定ができ、また運動性を正確に解析できる本法がそのような研究に役立つと期待されます。
■用語解説
1)逐次スピンエコー:熱平衡状態の核スピン系に90°パルスを照射すると横磁化が生成される。この横磁化はその後内部相互作用により一定の速度で位相が乱れるが、時間tで再結像パルスを照射すると磁化の位相の乱れる方向が反転し、時刻2τで横磁化がエコーとして再結像される。この現象をスピンエコーと言う。スピンエコーの後、さらに再結像パルスを照射することにより再びスピンエコーを出現させることが可能である。一回の測定で繰り返し生じるスピンエコーを逐次スピンエコーと言う。
2)核四極相互作用:核スピンI ≧ 1の場合に生じる相互作用で、核の電気四重極モーメントと核のまわりの電場勾配との相互作用である。一般に核四極相互作用はNMRで観測される他の相互作用(化学シフトや磁気双極子双極子相互作用など)に比べて大きく、重水素NMRで主要な相互作用となる。
3)パルスシーケンス:ラジオ波パルスを照射するためのタイミングスキーム
■論文情報
掲載誌:Chem. Phys. Lett. 514 (2011) 181–186
論文タイトル:2H quadrupolar Carr-Purcell-Meiboom-Gill NMR for paramagnetic solids
著者:T. Iijima and K. Nishimura
■研究グループ
本研究は、自然科学研究機構 分子科学研究所・西村グループ(西村 勝之准教授)の研究により行われました。
西村Gホームページ
http://www.ims.ac.jp/know/material/nishimura/nishimura.html
■研究に関するお問い合わせ先
西村 勝之(にしむら かつゆき)
自然科学研究機構・分子科学研究所・分子機能研究部門 准教授
TEL:0564-55-7415
E-mail:nishimur@ims.ac.jp(送信時には@を半角にしてください)