お知らせ
2013/02/06
プレスリリース
自然科学研究機構分子科学研究所の横山利彦教授、総合研究大学院大学物理科学研究科の江口敬太郎博士課程院生は、100年以上も論争が続いているインバー合金と呼ばれる熱膨張のない合金の起源を理解する目的で、正方格子を形成するマンガン・ニッケル二元系ランダム合金の平均結晶構造と局所構造を解析し、この系においては、正方格子の長い辺に熱膨張が生じないインバー効果(注1)が、正方格子の短い辺に熱膨張が通常より大きい逆インバー効果(注1)が同時に生じていることを見出しました。
実験では、分子科学研究所でX線回折(注2)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の放射光科学研究施設フォトンファクトリーでX線吸収分光を測定し、実験結果を量子力学的なシミュレーションで解析しました。その結果、インバー効果と逆インバー効果が同時に生じるのは、低温で卵型をしたマンガン原子が温度上昇するにつれて球形に変形することに起因することを解明しました。非熱膨張材料の開発は機器精密化の要請からますます必須の研究課題になっており、本研究による熱膨張の起源解明は新奇材料開発に有効な道筋を与えると期待できます。本成果は、アメリカ物理学会の物理専門速報誌『Physical Review Letters』のオンライン版(2 月6 日付)に掲載される予定です。
1897年、スイスのギヨームは、極低温から室温以上までの広い温度範囲にわたってほとんど熱膨張しない異常な合金を発見し[1]、彼はその功績で1920年ノーベル物理学賞を受賞しました。この物質は鉄ニッケル合金(原子組成:鉄65.4%, ニッケル34.6%)で、インバー合金(インバーは不変という意味)と呼ばれ、天体望遠鏡など多くの精密機械に広く利用されています。このインバー効果の起源は磁性に由来することは明らかになっていますが、非常に複雑で今日まで100年以上も議論が続いています。我々は2011年にこの試料の極低温でのインバー効果が原子の量子揺らぎが原因であることを解明しました[2]。
今日ではインバー効果を示す物質はたくさん知られています。マンガン・ニッケル合金は、結晶が正方格子(底面が正方形の直方体)をとり、縦方向の1辺(図1のc)は熱膨張がなく(インバー効果)、横方向の2辺(図1のa)は普通より大きな熱膨張(逆インバー効果)を示します。さらに温度が上がると立方格子に変わり(マルテンサイト変態(注3))、形状記憶性があります。本研究では、この系でインバー/逆インバー効果が同時に生じる理由を解明することを目的としました。
また、インバー合金に限らず、2種類以上の元素がランダムに分布する合金の構造はそもそもそれほど単純ではありません。ランダムということは、例えばマンガン・ニッケル合金の場合、ニッケルがたまたま多く集まっている部分と少ない部分が混在するということです。合金では必然的にいろんな種類の格子ができますが、これらの格子ひとつひとつは全部同じ大きさとは限りません。X線回折という手法は平均的な格子の大きさを知ることはできますが、格子の大きさが場所によって同じか違うかを知るには局所的な構造を知る必要があります。本研究では、局所構造を解析することで、シンプルな合金での複雑な構造を検討しました。
図1 マンガン・ニッケル合金の結晶構造。左はひとつの正方格子を取り出したもので、おおよそ頂点と各面の中心に原子が存在します。右図はマンガン88%、ニッケル12%合金の構造で、マンガンとニッケルの配置は完全にランダムになります。この系では、縦方向の長さcが横方向の長さaに比べてやや長い直方体です。
マンガン・ニッケル合金(マンガン88%, ニッケル12%)の格子定数は、分子科学研究所・機器センターの極低温粉末X線回折装置(リガク製)を用いて実験的に決定しました。また、局所的な構造・熱膨張は、高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所(つくば市)の放射光研究施設フォトンファクトリ・ビームライン9Cにおいて、X線吸収微細構造分光(XAFS)(注4)という手法を用いて観測しました。マンガン、ニッケル原子の周囲にはやはりマンガンやニッケルが混在しますが、それぞれの元素の周囲の平均原子間距離の温度変化を求めました。一方、量子揺らぎを含めた理論シミュレーションを経路積分(注5)有効古典ポテンシャル法[3]という手法で行いました。
図2(a)には、格子定数の温度変化の実験結果(誤差バーつき●と○)を理論計算結果(赤の実線)と合わせて示しました。縦軸の距離の単位はオングストローム(Å)で、1Åは1億分の1cmです。確かに、長い辺cは熱膨張がほとんどなく、短い辺aは熱膨張があることがわかります。図2(b)には、X線吸収微細構造分光により決定したマンガンとニッケル周囲の結合距離の温度変化を示しました。マンガン周囲では2種類の結合距離(誤差バーつき●と○)があるのに対し、ニッケル周囲では1種類の結合距離(誤差バーつき□)しかないことがわかりました。この合金の構造は、図1に示したように、立方体を少し縦長にした正方格子で、ある原子の周囲には、8つのやや長い結合と4つのやや短い結合があるはずです。マンガンの周囲は、実際、図2(b)でマンガン(1)とマンガン(2)と書いた2種類の結合が存在し、この単純な予想と合っていますが、ニッケル周囲は正方格子にもかかわらず12個の結合がすべて平均的には同じ距離となり、X線回折では予想できない少し不思議な構造を示します。このことは、実際のひとつひとつの格子は完全な正方格子ではなく歪んでいて、また、ニッケル周囲の結合距離は実は1種類でも2種類でもなく、もっとたくさんの種類の距離があることで説明がつきます。
さて、このように実験的に得られた熱膨張を示すモデルをいくつか考え、シミュレーションによりどのモデルが最も適当かを考えました。最適の計算結果を図2の赤実線で示しましたが、格子定数も結合距離も実験とたいへんよく一致しています。このモデルでは、マンガン原子が、低温で卵型、高温で球形の2種類の状態をとり、卵型の長い軸はc軸方向に向きを揃えています(図3)。温度が上昇すると球形のマンガンの割合が増えてきて、a軸とc軸の距離の差は小さくなります。さらに、球の直径(2.62 Å)が、卵型の短い直径(2.57 Å)よりかなり大きく、長い直径(2.64 Å)よりわずかに短いという状況が実現しています。一方、ニッケル原子は温度によらず球形の1種類しかありません。これらの結果として、図2のように、長い辺c方向では熱膨張のないインバー効果、短い辺a方向では熱膨張が大きい逆インバー効果が生じたのです。なお、マンガン原子が卵型から球形に変形することは、マンガン原子に局在する電子の数が変わることに由来します。この合金ではマンガンは卵型をとったほうがエネルギー的に安定ですが、温度が上昇すると無秩序な球形マンガンの濃度が高まり、その結果として熱膨張に異常な現象が観測されることになります。
図2 マンガン88%、ニッケル12%合金の格子定数a (○), c (●)の温度変化(a)、マンガン(●, ○)およびニッケル(□)周囲の最近接結合距離(b)。計算結果は赤の実線。格子定数では、長いcはほとんど温度変化しませんが、短いaは普通より大きな温度変化を示します。また、マンガン周囲は2種類の結合が分離して観測され、正方格子であることと整合しますが、ニッケル周囲は平均的に1種類の結合しかなく、あたかも立方格子のように見えます。実際には、ニッケルの方がいろんな距離をもち、平均的に1種類に見えているだけです。
図3 マンガン88%、ニッケル12%合金中のマンガン原子。低温では縦に長い卵型ですが、高温になると球形のマンガン原子の割合が増えます。卵型の長い方向は結晶のc軸を向いており、a軸方向は熱膨張が大きく、c軸方向は熱膨張がないことが導かれます。
最近、熱膨張の研究、特に熱膨張のないインバー効果を示したり、あるいは、負の熱膨張(注1)(温度上昇とともに縮む)を示す新たな材料の開発が盛んに行われるようになりました。熱膨張という非常に古くから知られた現象が脚光を浴びてきたとも言えます。学問的にもゼロまたは負の熱膨張を示す理由を理解することは大変興味深いのですが、産業技術的な要請も見逃せません。コンピュータをはじめとして精密機器はますます小さく高密度化が進んでいます。精度を要する部品材料の大きさが多少の温度変化があっても変化しないことは必須の要請です。負の熱膨張を示す材料も、産業応用においては、正の熱膨張を示すものと混合させることでゼロ熱膨張材料として使えます。さまざまなゼロ熱膨張素材が求められており、今後のさらなる新しい材料の開発が期待されます。そのためには、奇妙な熱膨張特性を示す理由を理解することが何より重要でしょう。
参考文献
[1] C. E. Guillaume, CR Acad. Sci. 125, 235 (1897).
[2] T. Yokoyama and K. Eguchi, Phys. Rev. Lett. 107, 065901 (2011); T. Yokoyama, e-J. Surf. Sci. Nanotech., 10, 486 (2012).
[3] A. Cuccoli, R. Giachetti, V. Tognetti, R. Vaia, and P. Verrucchi, J. Phys.: Condens. Matter 7, 7891 (1995); T. Yokoyama, Phys. Rev. B 57, 3423 (1998).
用語解説
注1. インバー効果/逆インバー効果/負の熱膨張
通常の固体は温度が上昇すると膨張するが、何らかの特別な理由で熱膨張しない現象をインバー効果という。一方、通常予想される熱膨張よりも大きな膨張を示す場合を逆インバー効果という。また、最近では、温度上昇に伴って収縮する負の熱膨張を示す物質も注目されるようになった。インバー/逆インバー効果/負の熱膨張が生じる理由はさまざまであるが、鉄ニッケル合金のインバー効果は鉄の磁性に由来しており、その詳細はインバー問題と呼ばれ現在も議論が続いている。あるいは、隙間の多い結晶では、低温で規則正しく直線状に並んでいた原子が温度上昇で無秩序に屈曲することにより体積が収縮したり膨張しなかったりして、負の熱膨張やインバー効果を発現することもある。
注2. X線回折
X線を結晶性試料に照射すると、X線の入射角・波長と試料の格子定数がブラッグの条件式を満たすとき回折が生じ、X線が反射する。反射角を測定することで格子定数が求められ、反射強度を測定すると格子内での原子の位置が定量的に決定できる。格子定数の決定だけなら多結晶粉末試料があればよく、原子位置まで決定する結晶構造解析には通常単結晶が用いられる。
注3. マルテンサイト変態
結晶格子中の各原子が拡散を伴わずに共同的に移動することにより新しい結晶に変わるという形式の変態。代表的な例として、正方格子が熱や力を加えることで原子の入替をせずに立方格子に変化する過程がある。マルテンサイト変態は可逆的であり、日本刀の焼き入れや形状記憶物質はこの性質を応用したものである。
注4. X線吸収微細構造分光(XAFS)
X線の波長を変化させながらX線の吸収強度を測定する実験法で、X線を吸収する原子周辺の局所的な構造を定量的に決定できる。吸収されるX線の波長は元素ごとに異なるので、元素選択的な構造解析法として、特に合金の場合に非常に有効になる。また、試料の状態に依らずに測定が可能で、触媒や溶液など結晶でない試料の解析に広く用いられる。X線はシンクロトロンと呼ばれる加速器を用いたシンクロトロン放射光がよく用いられ、今回の測定でも高エネルギー加速器研究機構の放射光施設を利用した。
注5. 経路積分
R. P. Feynmanが開発した理論で、量子力学に基づいて、有限温度あるいは絶対零度における物質の熱的性質や運動の時間経過などを計算する手法。通常の電子状態理論では、電子は量子力学に基づいて運動するものの、原子核は古典力学に基づいていると考え、原子核は完全に静止するとした絶対零度での計算を行う。一方、経路積分では、原子核は有限温度でも絶対零度でも量子揺らぎをもって動いていると考える。低温での熱的性質や軽い原子の運動を統計力学的に記述するのに必要な理論である。
掲載誌 : Physical Review Letters
論文タイトル :Anisotropic thermal expansion and cooperative Invar/anti-Invar effects in Mn alloys (Mn合金における異方的熱膨張と協奏的インバー/逆インバー効果)
著者 : Toshihiko YOKOYAMA, Keitaro EGUCHI (横山利彦、江口敬太郎)
掲載日:2013年2月6日(オンライン掲載 DOI:10.1103/PhysRevLett.110.075901)
横山 利彦(よこやま としひこ)
自然科学研究機構・分子科学研究所・物質分子科学研究領域・電子構造研究部門 教授
江口敬太郎
総合研究大学院大学・物理科学研究科・構造分子科学専攻 5年一貫制博士課程4年
科学研究費補助金基盤研究(A) 課題番号22241029
高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所の放射光研究施設フォトンファクトリーの共同利用研究[課題番号2012G008]
横山利彦(よこやま としひこ)
分子科学研究所・物質分子科学研究領域・電子構造研究部門・教授
TEL: 0564-55-7345; FAX: 0564-55-7337
E-mail: yokoyama@ims.ac.jp