お知らせ
2013/10/10
プレスリリース
~タンパク質などの巨大で複雑な分子の振る舞いをコンピュータ上で再現する研究の開拓者として~
分子科学研究所 所長 大峯巌
マーチン・カープラス(Martin Karplus)教授が今年のノーベル化学賞を受賞したとのこと、弟子として大変喜んでおります。私のハーバード大学の博士課程のアドバイザーであり、指導を受けました。
理論化学の研究者であり、現在、ハーバード大学の名誉教授です。フランスのストラスブルグ大学にも研究室があります。
カープラス教授の初めての論文は、ボストンの上空を飛ぶ鳥の習性に関するもので、その時彼は17歳でした。その 後、ハーバード大学で学士、カルフォルニア工科大学のライナス・ポーリング教授(1954年ノーベル化学賞,1962年ノーベル平和賞)のもとで化学の博 士を取りました。初期の研究で最も有名なものは、NMR(核磁気共鳴)に関する非常に簡潔な式で、カープラスの式と呼ばれています。また原子・分子がいか に衝突し反応するか(化学素反応のダイナミックス)についても、コロンビア大学・ハーバード大学で重要な研究を行っています。その時に、諸熊奎治教授 (現、京都大学福井謙一記念研究センター・リサーチリーダー、分子研名誉教授、文化功労者)が博士研究員として重要な貢献をしました。また、分子の電子励 起状態に関する研究(目の中で光を受けて分子の形が変化する過程、物が見えるのはそのおかげです)でも、大きな成果を挙げられました。
カープラス教授は、1960年の後半から70年にかけて、それまでの比較的小さな分子の研究から、複雑な巨大分子 であるタンパク質の理論的研究へとシフトし始めました。その時、博士研究員として共同研究をおこなったのが今回同時受賞したアラン・ワーシュル教授です。 その時が、タンパク質分子の運動の様子(ダイナッミクス)が、コンピュータでの計算で分かるようになった世界で初めての瞬間です。タンパク質の構造、その 変化、働きが分子レベルで理論的に明らかにされ、現在の構造生物学の大きな発展につながる、重要な転機になった研究です。この60年後半から70年のはじ め、カープラス教授と独立して、シュラーガ教授(コーネル大学)が同様な研究を進めていました。
自身が開発したタンパク質の構造・ダイナッミクスの解析法を用いて、カープラス教授は、ヘモグロビン分子の働き や、タンパク質の折れたたみという問題にチャレンジし、その分子機構を明らかにしてきました。タンパク質の折れたたみ問題は構造生物学上の大問題の一つで あり、郷(Go)信広教授(京都大学名誉教授)が独立に重要な貢献をされていました。我々の間では、このタンパク質の折れたたみでKarplus, Goがノーベル賞を取るのではないかと言われておりました。今回は、それとは少し違ったマルティスケール計算法という方法論での受賞でしたので、Go先生 が外れてしまいました。
カープラス教授のタンパク質の理論研究、そのコンピュータープログラム(チャームCharmmと呼ばれています)は世界中で使われており、最近ではタンパク質の機能発現の研究、また創薬の重要な手段となっています。
日本の学術にも重要な影響を与えており、京都大学理学研究科の高田教授、また林重彦教授は、カープラス教授の流れを次いでおり(孫弟子にあたります)、生命活動における分子レベルの働きを明らかにしています。
カープラス教授の研究は、究極的には、分子の集まりとしての生物(例えば細胞)がいかに生きているかを明らかにすることに繋がっていくと思われます。その方向の研究としては、理研の京コンピュータでチャレンジしようとしている、杉田主任研究員のグループがあります。
昔、福井謙一先生(1981年ノーベル化学賞)とも親しくされており、日本にも何回か来日しています。福井先生は 「マーチンはスッポンを一食に2匹食べた初めての人だ」と、感心していました。健啖家であり、ストラスブルグ郊外の三ツ星レストランのシュフも時々つとめ るほどの腕を持つ料理人でもあります。写真も、プロ並みというよりプロであり、今年の5月にパリで、1950年代、彼の研究者の駆け出しの頃取った写真で 大きな個展を開いています。
最近の来日は、5年位前、岡崎の分子科学研究所の研究会に来られたときですが、京都で日本画を購入し、広島の宮島などに寄って日本を満喫しています。親日家です。広島の原爆被災、福島の震災に深い心を寄せる人でもあります。
論文に対しては厳しく、其の時点で完璧な仕事にならない限り投稿はしないというKaplus Standardのおかげで、多くの学生が「苦しみ」ました。素晴らしい研究者です。なお、彼の論文全部で、7万回以上引用されています。