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2014/09/05

プレスリリース

水中で絶え間なく揺らいでいる糖鎖の立体構造を描き出す(加藤晃一グループ)

概要

 糖鎖の生物機能に関する理解を深めるためには、その“かたち”について精密な情報を収集することが不可欠です。しかしながら、糖鎖は、水中で一定の立体構造をとらず絶え間なく揺らいでいます。そのため、糖鎖に対して分子科学的な計測を行うことはこれまで困難でした。自然科学研究機構 分子科学研究所/岡崎統合バイオサイエンスセンターの加藤晃一教授、山口拓実助教、名古屋大学大学院理学研究科の岡本祐幸教授、榮 慶丈特任助教らの研究グループは、核磁気共鳴法や計算機シミュレーションを用いた多角的な研究によって、複雑な糖鎖のダイナミックな構造変化を明らかにしました。本研究成果は、ドイツ科学誌「Angewandte Chemie International Edition」に近く公開されます。
 

研究の背景

 糖鎖は、私たちの生命活動の様々な場面で重要な働きをしています。例えば、糖鎖は、タンパク質間のコミュニケーションを制御し、細胞の秩序立った働きを調節する重要な役割を演じています。自然界に存在するタンパク質の実に半数以上は糖鎖を身にまとった糖タンパク質として存在していると言われています。近年では、糖鎖は、タンパク質が正しく働ける状態になっているかの目印となったり、不要なタンパク質が分解処理される場所への行き先を指示するなど、タンパク質の運命を決定づけるための暗号として機能していることもわかってきました(注1)。
 糖鎖が提示するタンパク質運命の暗号は、糖鎖の“かたち”を識別するレクチンと総称されるタンパク質によって読み解かれます。そのため糖鎖の機能についての理解を深めるためには、糖鎖の立体構造について理解することが不可欠です。しかし、糖鎖の生物学研究が盛んに進められる一方、構造や物理的性質といった分子科学研究はタンパク質に比べて著しく立ち遅れたままでした。とりわけ難しい問題は、糖鎖が、タンパク質にはみられない複雑な枝分かれ構造であることに加え、高い柔軟性をもち、水中では絶えず揺らいでいることです。そのため、糖鎖分子の描象(構造、姿かたち)をあるがままに描き出す手法がありませんでした。これらの問題を解決するため、私たちは核磁気共鳴(NMR)法(注2)を用いた糖鎖の構造解析法の開発に取り組んできました。

 

研究の成果

 本研究では、金属イオンを分子の構造情報を得るための目印として活用したNMR法と最先端の分子シミュレーションを組み合わせることによって、糖鎖の詳細な構造解析を実現しました。私たちが新たに開発した手法を用いることで、水中で揺らいでいる糖鎖の、立体構造のダイナミクスを明らかにすることに成功しました。
 私たちは、糖鎖生合成に関わる複数の遺伝子を破壊した酵母を利用することによって、均一な種類の糖鎖を得るとともに、NMR計測を効果的に行うために糖鎖を構成する炭素原子に標識をつける方法を開発してきました。さらに今回、糖鎖に、原子配置の情報を測るための起点として金属イオンを連結することにより、複雑に枝分かれした糖鎖の3次元構造を解き明かす方法を確立しました(図1)。この方法を利用し、分子科学研究所の高磁場NMR装置を用いた計測によって、糖鎖を構成する各原子と金属イオンとの位置関係を明らかにし、原子レベルでの糖鎖の構造情報を得ることに成功しました。一方、分子科学研究所のスーパーコンピュータを利用して最先端の分子シミュレーションを実施し、糖鎖の3次元構造を探査しました。複雑に枝分かれしている糖鎖のシミュレーションでは、実際とは異なる構造が予想されてしまうこともあります。そこでNMR実験から求めた構造情報と照らし合わせつつ、シミュレーションの結果が実際の構造を正しく反映しているかを評価することによって、水中でダイナミックに揺らいでいる糖鎖の姿を描き出すことができました。
 本研究の結果、糖鎖は、分子のわずかな変化によっても、立体構造に大きな影響が生じることがわかりました(図2)。こうしたダイナミックな立体構造の変化が、糖鎖とレクチンとの間のコミュニケーションに重要な役割を果たしていると予想されます。
 

この研究の社会的意義

 糖鎖は、核酸やタンパク質とならぶ第3の生命分子鎖ともよばれています。近年では、ウイルスの感染やアルツハイマー病などの神経変性疾患の発症などにおいても、糖鎖が密接に関わっていることが見出されています。
 糖鎖分子の正しい立体構造や詳細な機能メカニズムに関する研究は、その重要性が認知されながら基盤となる計測手法が確立されていなかった未開拓の研究領域と言えます。本研究によって、高磁場NMR分光法、有機化学、計算機科学、分子生物学などのアプローチを統合した体系的方法論を構築することができました。こうした手法を応用することで、糖鎖の分子科学と生物学の基礎的理解を促すとともに、医薬産業界へも大きな波及効果をもたらすことが期待されます。
 
fig-1.jpg

図1.構造決定のための目印となる金属イオンを連結した糖鎖構造の例。

 

fig-2.jpg図2.NMR解析と分子シミュレーションを通じて明らかにした糖鎖の立体構造を重ね合わせて動きを表現した。真ん中の枝の端からマンノースと呼ばれる糖(緑の丸)が1つ外れると、糖鎖全体の3次元構造の動きが大きく変わることが解明された。
 

用語解説

注1)タンパク質の運命決定
 細胞内の糖タンパク質の輸送経路において、糖鎖はそれを担うタンパク質の品質を表示するタグとしての役割を果たしている。細胞の中で新たにつくられた糖タンパク質が固有の立体構造を形成する際や、立体構造を獲得したタンパク質が機能を発現する場に送り出される際には様々な種類の糖認識タンパク質(レクチン)が関与している。また、細胞の中で不要となったタンパク質が分解処理されるプロセスにも多くのレクチンが関わっている。この機構において、糖鎖は少しずつ種類を変えながら一連のレクチンによって認識されることにより、糖タンパク質の立体構造形成・輸送・分解といった運命の決定に関わっている。
 

注2)核磁気共鳴(NMR)法
 物質を構成する原子核が磁性(磁石のような性質)を持つことを利用し、分子の構造や物性を調べる分光分析法。合成した化合物の構造確認、高分子や無機材料の物性の調査などに広く用いられている。さらに、タンパク質や糖鎖のような生体分子の立体構造や、その動きに関する情報を得ることもできる。ただし、すべての原子核種が磁性を有するわけではない。例えば、我々の身体の主要な成分である水を構成する水素(1H)の原子核はNMR現象を示す一方、炭素の主要核種である12CはNMR現象を示さない。そのため、NMR計測をするためには試料を13Cで標識するなどの工夫が必要となる。

 

論文情報

掲載誌:Angewandte Chemie International Edition

論文タイトル:Exploration of Conformational Spaces of High-Mannose-Type Oligosaccharides by an NMR-Validated Simulation(NMR分光法によって検証された分子シミュレーションによる高マンノース型糖鎖のコンフォメーション空間の探査)

著者:Takumi Yamaguchi, Yoshitake Sakae, Ying Zhang, Sayoko Yamamoto, Yuko Okamoto, and Koichi Kato

DOI番号:DOI: 10.1002/anie.201406145
 

研究グループ

 本研究は、自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター / 分子科学研究所(加藤晃一教授)、名古屋大学大学院理学研究科(岡本祐幸教授)との共同研究により行われました。
 

研究サポート

 本研究は、文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「生命分子システムにおける動的秩序形成と高次機能発現」、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(分子・物質合成)等のサポートを受けて実施されました。
 

研究に関するお問い合わせ先

加藤晃一(かとうこういち)  
自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター/分子科学研究所、教授  
TEL: 0564-59-5225 FAX: 0564-59-5224  
E-mail:kkatonmr_at_ims.ac.jp

 

報道担当

自然科学研究機構・分子科学研究所・広報室
TEL/FAX 0564-55-7262
E-mail: kouhou_at_ims.ac.jp