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原子レベルで動作する世界最速の量子シミュレーター (大森教授ら)

自然科学研究機構 分子科学研究所の大森 賢治 教授らは、互いに力を及ぼし合う多数の粒子の量子力学的注1)な振る舞いを10億分の1秒以内でシミュレートできる、全く新しい世界最速のシミュレーターを開発することに成功しました。


物質の中で互いに力を及ぼし合う多数の電子の振る舞いは、超伝導・磁性・化学反応など、私達の身の回りの多くの重要な物理・化学現象を支配しています。このように力を及ぼし合う多数の粒子の集団は「強相関系」注2)と呼ばれており、その量子力学的な性質を理解することは現代科学における中心課題の1つと言って良いでしょう。一方、強相関系の性質を理論的に予測することは極めて難しいことが知られています。例えば日本の国家プロジェクトとして2020年に向け開発が進められているポスト「京」スパコン注3)を使ったとしても、粒子数が30以上になると、最も基本的な性質であるエネルギーですら正確に計算することができません。これに対して、原子などの量子力学的な粒子を使って制御性の高い人工的な強相関系を組み立て、そこでの模擬実験によって強相関系の性質を理解しようとする新しいコンセプトは「量子シミュレーター」注4)と呼ばれています。量子シミュレーターは、ポスト「京」でも扱えない多数の粒子の量子力学的な振る舞いをシミュレートできる可能性があるため、スパコンに代わる次世代のシミュレーション・プラットフォームとして期待されており、既に、米国・EU・中国など世界主要各国において国家レベルでの莫大な研究投資が始まっています。

 

今回大森教授らは、ほぼ絶対零度注5)に冷却した高密度の原子集団を1000億分の1秒だけ光る特殊なレーザーパルスを使って制御するというこれまでにないやり方で、40個以上の原子が力を及ぼし合う強相関系の振る舞いを10億分の1秒以内でシミュレートすることのできる全く新しい量子シミュレーターを開発しました。さらに、及ぼし合う力の強さを調節することによって、この強相関系の電子の集団運動が変化する様子を10京分の1(10-17)秒単位でシミュレートすることに成功しました。

 

この超高速量子シミュレーターは、未来の新機能性材料や薬剤分子の設計を支える革新的な基盤技術として期待されるほか、超伝導や磁性など物質の物理的な性質の起源を探求するための基礎技術としても役立つと期待されます。

本研究成果は、2016年11月16日10時(英国時間)に英国の科学雑誌 Nature Communications で公開されます。

 

研究の背景と経緯

近年、世界主要各国の科学技術政策において、量子コンピューター注6)を始めとする量子力学を応用した科学技術(量子科学技術)の開発に莫大な投資が行われています。例えば、英国では2014年から5年間で2億7000万ポンドを量子科学技術に投入するプログラムが始まりました。また、欧州委員会でも、2018年から10年で10億ユーロを量子科学技術の開発に投じる計画を進めています。米国では、国家安全保障局(NSA)などが主体となって2006年に量子科学技術に特化した国立研究所を設立し、毎年多くの科学技術予算を投入しています。中国政府は、2014年に量子科学技術の先端研究センターを設立しました。日本でも、文部科学省の科学技術・学術審議会において、量子科学技術に関する政策課題を議論する量子科学技術委員会が2015年6月に発足しています。これら主要各国の政策に共通する重点ターゲットの一つが「量子シミュレーター」と呼ばれる「強相関系」のシミュレーションに特化した量子コンピューターです。

強相関系とは互いに力を及ぼし合う多数の粒子の集団を指しており、例えば、物質中の電子の強相関系の振る舞いは、超伝導・磁性・化学反応など私達の暮らしに役に立つ様々な物理・化学現象を支配しています。従って、強相関系の量子力学的な振る舞いを理解することは現代科学における最大の課題の一つと言えます。しかし強相関系の振る舞いを理論的に予測することは極めて難しく、例えば日本の国家プロジェクトとして2020年に向け開発が進められている世界最速レベルのポスト「京」スパコンを使ったとしても、粒子数が30以上になると、最も基本的な物性であるエネルギーですら正確に計算することはできません。そこで、コンピューターで計算する代わりに、原子などの量子力学的な粒子を使って制御性の高い人工的な強相関系を組み立て、そこでの模擬実験によって強相関系の性質を理解しようとする革新的なコンセプトが米国の量子物理学者リチャード・ファインマン注7)によって1980年代に提唱されました。これが量子シミュレーターです。当初、量子シミュレーターは机上の空論でしたが、21世紀に入り原子などのミクロな粒子をレーザー光で制御する技術が大幅に進展したため、今や人類の手の届くところまで来ていると言っても良いでしょう。量子シミュレーターが完成すれば、ポスト「京」でも扱えない多数の粒子の量子力学的な振る舞いを一瞬でシミュレートできる可能性があります。そうすれば、機能性材料や薬剤分子の開発に劇的な進展がもたらされるかもしれません。そのため、上で述べたような各国の科学技術政策の主要ターゲットとして、世界で熾烈な開発競争が繰り広げられています。既に原子などの量子力学的な粒子の集合体を組み立てる技術はほぼ完成しており、今後はこの集合体の中で多数の粒子が一斉に相互作用する強相関系をどうやって創り出すか?というのが、世界的な競争の焦点になっています。

この目的を達成するためには、できるだけ遠くまで力を及ぼす粒子を使って量子シミュレーターを組み立てる必要があります。この候補として、現在最も期待されているのが「リュードベリ原子」注8)と呼ばれる粒子です。リュードベリ原子の概要を図1に示します。通常の原子の直径は0.6ナノメートル(ナノ = 10億分の1)程度ですが、これに外からレーザー光を照射することによって、原子核のすぐ近くを回っている電子を「リュードベリ軌道」と呼ばれる数100ナノメートル以上の直径を持つエネルギーの高い電子軌道に移すことができます。こうやってできた原子をリュードベリ原子と呼びます。リュードベリ原子では、正の電荷を持つ原子核と負の電荷を持つリュードベリ電子の距離が長いため、遠くまで届く強い電場が発生します。もしリュードベリ原子の集合体を組み立てることが出来れば、これらがお互いに力を及ぼし合う強相関系を創り出せるはずです。ところが、リュードベリ原子が作り出す電場が逆に強すぎるために、その周囲にある原子のリュードベリ軌道のエネルギーが図2のように変化してしまい、通常のレーザー光では、それらの原子のリュードベリ軌道に電子を移すことが出来ません。その結果、図3上段に示すように、多数の原子の集団の中にリュードベリ原子が1個しか存在しないことになってしまいます。この現象は「リュードベリブロッケード」注9)と呼ばれています。図3下段に示すようなリュードベリ原子の強相関系を創り出すためには、このリュードベリブロッケードを回避する必要がありました。

さらにもう一つ大きな問題点が出てきました。仮に図3下段のような強相関系ができたとすると、原子同士が及ぼし合う強い力のせいで、その量子力学的な状態が100億分の1秒スケールで刻々と変化し続けることが予想されます。これは、これまでの量子シミュレーターで想定されていた時間変化よりも1000万倍以上も速いことになります。

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図1. リュードベリ原子の概念図    図2. リュードベリブロッケードのメカニズム
 

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図3. リュードベリ原子のブロッケード状態(上段)と強相関状態(下段)

このように、強相関系をシミュレートできる量子シミュレーターを実現するためには、リュードベリブロッケードを回避し、なおかつ従来の想定を遥かに超える超高速の観測を可能にするという、二つの本質的な問題点を同時に解決する全く新しい発想と技術の出現が望まれていました。
 

研究の内容

本研究ではこれら二つの本質的な問題点を解決することに世界で初めて成功しました。図4(a-1)に示されるように、これまでの量子シミュレーター開発で用いられて来たレーザーは連続して光り続ける連続波レーザーと呼ばれるものです。このようなレーザーの光は図4(a-2)に示すように極めて狭い範囲の波長(エネルギー)を持っています。そのため、図2のように周囲の原子のリュードベリ軌道のエネルギーがずれてしまうと、それらの軌道に電子を移動させることが出来ません。そこで大森教授らは、図4(b-1)に示すような1000億分の1秒だけ光るパルス状のレーザー光を使うことを思いつきました。このようなパルスレーザーの光は、図4(b-2)に示すように連続波レーザーの100万倍以上の波長(エネルギー)の幅を持っているので、周囲の原子のリュードベリ軌道のエネルギーがずれても、それらすべてに電子を移動させることが出来ます。しかもパルスの時間幅は予想される量子力学的な状態変化の時間スケールよりもはるかに短いため、この変化をリアルタイムに観測できるはずです。

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図4. 従来の量子シミュレーター研究で使われて来たレーザー光の性質(a-1, a-2)と大森教授らが今回新たに導入したレーザー光の性質(b-1, b-2)

 

実験はルビジウム原子注10)を使って行われました。実験の概略を図5に示します。まず、レーザー冷却注11)と呼ばれる技術を用いて100万個のルビジウム原子の集団を絶対温度1ケルビンの10万分の1という超低温に冷やし、これをレーザーピンセット注12)で空間的に捕捉しました。さらに、特殊な技術を用いて波長幅を調節した1000億分の1秒だけ光る超短パルスレーザー光1を照射し、どのような変化が起こるかを別の超短パルスレーザー光2を用いて観察しました。レーザー光2の照射のタイミングは、特殊な技術を用いて10京分の1秒単位で制御されているため、この精度で変化を追いかけることが出来ます。すると、レーザー光1によってリュードベリブロッケードを回避して生成された多数のリュードベリ原子の中の電子が1000兆分の1秒周期で振動運動を繰り返し、その振動のタイミングが40個以上のリュードベリ原子が及ぼし合う力によって徐々にずれて行く様子が10京分の1秒スケールのリアルタイムで観測されました。さらに、リュードベリ軌道の半径を大きくしたり、リュードベリ原子間の距離を短くするなどして、及ぼし合う力を強くすることによって、振動のタイミングのずれを加速させることに成功しました。

このように大森教授らは、量子シミュレーター研究に世界で初めて超短パルスレーザーを導入することによって、世界最速スパコンでも扱うことのできない互いに力を及ぼし合う多数の粒子の量子力学的な振る舞いを10億分の1秒以内でシミュレートすることのできる、全く新しい世界最速の超高速量子シミュレーターの開発に成功しました。

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図5. 実験装置の概略
 

今後の展開

今回、大森教授らが開発した超高速量子シミュレーターは、世界最速レベルのポスト「京」スパコンでも扱えない多数の粒子が力を及ぼし合う強相関系の動的な振る舞いを一瞬でシミュレートする力を持っていることが実証されました。将来的には、電子の強相関系が重要な役割を果たす超伝導材料、磁性材料、あるいは薬剤分子などの開発に寄与する新しいシミュレーション・プラットフォームとして発展して行くことが期待されます。また、超伝導や磁性など物質の物理的な性質の起源や、液体中の複雑な環境で進行する化学反応のメカニズムを探求するための基礎技術としても役立つと期待されます。

 

用語解説

注1)量子力学
電子や原子などミクロな粒子はサッカーボールなど私達の身の回りのマクロな粒子には見られない波の性質を持っている。このような粒子を対象とした物理学が量子力学である。波は粒子と違って重ね合わせることができるし、空間的に広い範囲に同時に存在することができる。従って、電子や原子などミクロな粒子は、異なった状態を同時にとったり、別の場所に同時に存在できるなど、マクロな粒子に見られない不思議な性質を持っている。このような波に特有の性質を、ここでは「量子力学的な性質」あるいは「量子力学的な振る舞い」と言っている。
 

注2)強相関系
互いに力を及ぼし合う多数の粒子の集団。例えば、物質中の多数の電子の振る舞いは、超伝導・磁性・化学反応など多くの重要な物理・化学現象を支配している。

注3)ポスト「京」スパコン
日本最速のスーパーコンピューター「京(けい)」の後継機で、2020年の運用開始を目指して開発が進められている。ポスト京の計算速度は、京の毎秒1京回程度という計算速度の約100倍に達する見通し。

注4)量子シミュレーター
強相関系のシミュレーションに特化した量子コンピューター。コンピューターで計算する代わりに、原子などの量子力学的な粒子を使って制御性の高い人工的な強相関系を組み立て、そこでの模擬実験によって強相関系の性質を理解しようとする新しいコンセプト。

注5)絶対零度
原子・分子の運動が止まった状態を0度とする温度を絶対温度と呼ぶ。単位はケルビン。ゼロ・ケルビンのことを絶対零度という。絶対温度0ケルビンは摂氏-273.15℃で、摂氏0℃は絶対温度+273.15ケルビン。

注6)量子コンピューター
量子力学的な性質を情報処理に応用したコンピューター。原子などの量子力学的な粒子の集団に対して、個別粒子の状態操作や複数粒子の間で論理演算を行うことによって情報処理を行う。ミクロな粒子が示す異なった状態を同時にとるという性質を使うことによって超並列計算が可能となり、通常のコンピューターでは非常に長い時間がかかる計算を一瞬で行うことができると期待されている。

注7)リチャード・ファインマン
アメリカの量子物理学者(1918-1988)。量子電磁力学という分野の発展に対する功績によって、朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガーとともに、1965年にノーベル物理学賞を受賞した。1980年代に量子シミュレーターの概念を提唱したことでも知られる。

注8)リュードベリ原子
電子が原子核から遠く離れたリュードベリ軌道と呼ばれる電子軌道上を運動している原子。原子核からリュードベリ軌道までの距離はナノメートル(ナノ = 10億分の1)からマイクロメートル(マイクロ = 100万分の1)に達する。リュードベリ軌道上を運動する電子をリュードベリ電子と呼ぶ。マイナスの電荷を持つリュードベリ電子とプラスの電荷を持つそれ以外の部分(イオン核と呼ばれる)の間の距離が長いので非常に大きい双極子モーメントを有している。このためリュードベリ原子同士の相互作用は長距離に及び、この点が多体相互作用をシミュレートするのに非常に適した性質として期待されている。

注9)リュードベリブロッケード
リュードベリ原子が作り出す強い電場によって、その周囲にある原子のリュードベリ軌道のエネルギーが変化する。そのために、通常の連続発振のレーザー光では、それらの原子のリュードベリ軌道に電子を移すことが出来ない。この現象をリュードベリブロッケードと呼ぶ。

注10)ルビジウム原子
アルカリ金属原子の一つで、原子番号37の原子。原子核の周りの電子軌道のうち、一番外側の軌道に一つの電子を持つ。レーザー光を照射することによって、その電子をリュードベリ軌道に容易に移すことが出来る。

注11)レーザー冷却
レーザー光を利用して気体原子の持つエネルギーを取り去り、原子の温度を冷却する技術。原子はレーザー光を吸収する際にレーザー光の持つ運動量を受け取り、レーザー光の進行方向に対して力を受ける。原子がレーザー光に対向して進んでいる場合には、その力によって原子の速度が徐々に減速され原子の持つエネルギーが下がる。これによって、原子集団を絶対温度1ケルビンの10万分の1という超低温にまで冷やすことが可能となる。

注12)レーザーピンセット
集光したレーザー光の強度の空間分布を利用して原子や微粒子などを捕捉する技術。原子の場合、レーザー光の波長を適切に選択することによって、レーザー光強度が最大となる焦点位置近傍に原子を捕捉することができる。

 

論文情報

論文タイトル:“Direct observation of ultrafast many-body electron dynamics in an ultracold Rydberg gas”
(極低温リュードベリ気体中の超高速多体電子ダイナミクスの直接観測)

論文誌名: Nature Communications

掲載日:2016年11月16日(オンライン掲載) 

Doi: 10.1038/NCOMMS13449

 

研究サポート

本研究は、以下の支援を受けて行われました。

日本学術振興会 科研費
研究種目:「特別推進研究」
研究番号:「16H06289」
研究課題名:「アト秒精度の超高速コヒーレント制御を用いた量子多体ダイナミクスの探求」
研究代表者:(自然科学研究機構 分子科学研究所 大森 賢治 研究主幹/教授)
研究期間:平成28年4月~平成33年3月

科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究種目:「先端光源を駆使した光科学・光技術の融合展開」
(研究総括:伊藤 正 大阪大学ナノサイエンスデザイン教育研究センター特任教授)
研究課題名:「アト秒精度の凝縮系コヒーレント制御」
研究代表者:(自然科学研究機構 分子科学研究所 大森 賢治 研究主幹/教授)
研究期間:平成22年10月~平成28年3月

文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発」
研究プログラム名:「最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」
研究期間:平成20年度~平成29年度

アレクサンダー・フォン・フンボルト財団およびハイデルベルグ大学
「フンボルト研究賞」

ストラスブール大学 客員教授制度

 

お問い合わせ先

<研究に関すること>
大森 賢治(オオモリ ケンジ)
 自然科学研究機構 分子科学研究所 光分子科学研究領域 研究主幹/教授
 〒444-8585 愛知県岡崎市明大寺町西郷中38番地
 Tel:0564-55-7361 
 Fax:0564-54-2254 
 携帯番号:090-6784-7838
 E-mail: ohmori_at_ims.ac.j ※メールアドレス内の「_at_」は「@」に直してお送り下さい。
 大森グループホームページ https://groups.ims.ac.jp/organization/ohmori_g/

 

<報道担当>
自然科学研究機構・分子科学研究所・広報室
 TEL/FAX:0564-55-7262
 E-mail:kouhou_at_ims.ac.jp ※メールアドレス内の「_at_」は「@」に直してお送り下さい。