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2017/03/13

プレスリリース

有機分子のなかの「粒子」と「波動」の中間的な電荷状態の解明~有機半導体ペンタセン単結晶の価電子バンドの実測に成功~ (田中グループら)

東京理科大学 理工学部 工業化学科 中山泰生講師は、千葉大学 大学院融合科学研究科および自然科学研究機構 分子科学研究所の研究グループとの共同研究により、有機半導体材料として知られるペンタセンの単結晶中において、電気の流れを決める伝導電荷が「粒子」と「波動」の中間的な性質を示すことを実証しました。本研究成果は、米国化学会の「The Journal of Physical Chemistry Letters」誌に2017年2月27日付けでオンライン掲載されており、3月16日に誌上掲載されます。

 

研究の背景

  • 有機ELなどの有機エレクトロニクスが電気を流すメカニズムには謎が残る
  • 研究対象のペンタセンは最も代表的な有機エレクトロニクス材料の一つである
  • 半導体エレクトロニクスの高機能化には「波動」的な電荷状態が求められる
     

薄くて軽い太陽電池や自由に折りたためる大面積ディスプレイを、インクジェット印刷のような低コストで省エネルギーなプロセスで製造することを可能にする有機エレクトロニクスは、新時代の半導体デバイスとして期待されています。有機エレクトロニクスでは、電気を流すことのできる有機分子である“有機半導体”を材料として用いています。プラスチックや布、紙、あるいは我々自身の体など、有機分子の多くは電気を流しにくい絶縁体ですが、電気を流す“有機半導体”材料が今から70年ほど前に初めて発見されました。それ以来、有機半導体の研究は長年行われてきましたが、これらの有機分子が電気を流すメカニズムは未だ完全には解明されていないのが現状です。電子デバイスの高機能化・省エネ化のためには、速く・スムーズに電荷を移動させることができる半導体材料の開発が求められます。有機エレクトロニクスについても、速くスムーズな電気伝導を実現する材料の開発が国際的にも活発に進められてきており、有機半導体材料において電荷の移動が促進されるメカニズム、あるいは妨げられる要因を明らかにすることは、大きな課題となってきました。

シリコンなど無機物の半導体材料のなかにある電荷は、個々のシリコン原子に束縛された「粒子」ではなく、シリコン結晶の全体に拡がった「波動」としての性質をもち、電気伝導のメカニズムは、ちょうど水面を波が拡がっていくように、連続的な波動の伝播として説明することができます(図1a)。これに対して、多くの有機半導体材料では数十個の原子からなる有機分子が基本単位となり、伝導電荷の性質は分子の種類によって大きく異なることが知られています。例えば、フタロシアニンと呼ばれる有機色素分子では、電荷は個々の分子に閉じ込められた「粒子」としての性質を強く示すことが知られていますが(図1b)、ルブレンと呼ばれる別の分子の結晶では、シリコンの場合と同じように、分子の枠を超えて拡がった「波動」としての伝導電荷が実現することが明らかになっています。「波動」的な電荷は結晶のなかを連続的に速く伝わることができるのに対し、「粒子」的な電荷の移動は途切れ途切れになるため遅くなります。実際、ルブレンはフタロシアニンより100倍以上も速く電荷を移動させることができることが知られています。つまり、電気伝導のメカニズムが「波動」的か「粒子」的かということは、その半導体材料の性能を決める重要な指標となるのです。

 

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図1(a) シリコンなど一般的な半導体材料の内部における「波動」的な伝導電荷、および (b) 多くの有機分子のなかでの「粒子」的な電荷の概念図。「波動」的な電荷は、結晶を構成する個々の原子に属することなく、広い範囲に拡がって存在しているため、電気伝導は連続的になり、速く移動することが可能になる。(こうした電気伝導のメカニズムは「バンド伝導」と呼ばれる。) これに対し、「粒子」的な電荷は、個々の分子の内部に閉じ込められている時間が長く、移動が断続的になるため、移動速度は遅くなる(こうした伝導メカニズムは「ホッピング伝導」と呼ばれる)。
 

本研究で対象としたペンタセン(図2)という分子は、フレキシブルなフルカラー有機ELディスプレイを駆動する有機薄膜トランジスタ材料として最初に用いられたことでも知られる代表的な有機半導体材料です。この分子の単結晶で作ったトランジスタが示す特性から、ペンタセンのなかでは伝導電荷が「粒子」と「波動」の中間的な状態として振舞うことが提案されていました。今回の研究は、この分子から実際に電子を取り出して分析することで、「粒子」と「波動」の中間的な伝導電荷を実証することに成功したものです。

 

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図2:ペンタセン分子の構造、および粉末試料の写真。ペンタセンは濃紺~紫色を呈する色素である。

 

研究成果の概要

  • 本研究ではペンタセン単結晶の伝導電荷の“重さ”*用語1の実測に初めて成功した
  • 伝導電荷が「波動」的と「粒子」的の中間の“重さ”であることが明らかになった
  • 分子の熱振動を抑えると伝導電荷が軽くなり電気が流れやすくなることを示した


今回の研究では、ペンタセン単結晶の伝導電荷の通り道である“価電子バンド”用語2の構造を角度分解紫外光電子分光法*用語3(図3)と呼ばれる手法により計測し、試料内部における伝導電荷の“重さ”を明らかにしました。この実験手法を有機分子の単結晶試料に適用することは難しく、これまでに世界でも数グループでしか成功例がありません。加えて、通常の角度分解紫外光電子分光法では試料の表面から1分子層程度の深さまでしか見ることができませんが、ペンタセン単結晶の表面では分子の並び方が内部とは異なっている可能性が指摘されており、価電子バンドの計測はさらに困難であると考えられていました。今回の研究では、シンクロトロン放射光という特殊な光源から出る、通常より波長が2倍程度長い紫外線を用いることで、ペンタセン単結晶の表面1分子層より内側の領域の価電子バンド構造を計測することに世界で初めて成功し、伝導電荷の“重さ”が自由電子の3.5倍程度であることを明らかにしました。この“重さ”から、「粒子」的・「波動」的それぞれの場合について伝導電荷の速さを理論的に見積もり、実際のトランジスタデバイスについて報告されている電荷の移動速度と比較した結果、ペンタセン単結晶内部における伝導電荷が両者の中間的な状態であることが示されました。

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図3:角度分解紫外光電子分光法の概念図。結晶試料に紫外線を照射した際に放出される電子(光電子)の運動エネルギーおよび運動量を計測する。エネルギー保存の法則より、光電子の運動エネルギーは、(照射した紫外線のエネルギー)-(結晶内部にある時の電子のエネルギー)で表される。また、運動量の保存則より、光電子の横方向への運動量(速度に比例)は結晶内部にある時と等しい。このことを利用すると、角度分解光電子分光法の計測結果より、結晶内部における伝導電荷のエネルギーと運動量の分散関係を導くことが可能となり、伝導電荷の“重さ”をはかることができる。

 

伝導電荷の「波動」性の発現を阻害し、「粒子」的な性質に変化させる要因の一つに分子の熱振動が挙げられます。ペンタセン分子の重さ(分子量)はシリコン原子の10倍もあり、こうした大きく重い分子が集団で振動することが、電荷が「波動」的に拡がった状態になることを妨げることが予測されています。今回の研究では、ペンタセン単結晶を-150°Cまで冷却すると伝導電荷の“重さ”が2割ほど軽くなる、つまり、分子の熱振動を抑えることで実際に電流を流れやすくすることができることも明らかにしました。

 

今後の展望

有機分子材料のなかでの伝導電荷の動きを高速にすることができれば、有機エレクトロニクスデバイスの高機能化・省エネ化につながります。そのためには、伝導電荷の“重さ”を軽くし、「波動」的な性質を発現しやすくすることが必要です。既に実験的に検証されていた「粒子」的・「波動」的それぞれの伝導電荷をもつ有機半導体材料に加えて、今回の研究により両者の中間的な分子の性質が明らかになりました。今回の研究成果を利用することで、速く移動できる“重さ”の軽い「波動」的な伝導電荷がどのようなメカニズムによって遅く重い「粒子」的な性質に変化するのかを理解するための糸口が拓かれました。この成果を利用することで、これまでより高速かつスムーズに伝導電荷を動かすことを可能にする高機能な有機分子や、熱振動による電荷移動の妨害を受けにくい有機分子の開発を効率的に進めることが可能になることが期待されます。

 

研究費

本研究は以下の研究費の支援を受けました。

  • 科学研究費補助金 若手研究(A)
    極高感度光電子検出による有機半導体の伝導準位完全計測への挑戦 (15H05498)
  • 科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究
    分子双極子の強制配向を利用した有機半導体デバイスの内部電界エンジニアリング (16K14102)
  • 科学研究費補助金 基盤研究(B)
    有機半導体電極界面のキャリア注入・取り出し機構の解明 (25288114)
  • 文部科学省 グローバルCOE/卓越した大学院拠点形成支援補助金
    有機エレクトロニクス高度化スクール (国立大学法人千葉大学)
  • 公益財団法人泉科学技術振興財団 平成25年度研究助成金
    超高純度有機「真性」半導体の電子構造の解明
  • 公益財団法人日揮・実吉奨学会 2014年度研究助成金
    有機デバイスの革新へ向けた有機pnヘテロ接合の形成メカニズムの解明
  • 公益財団法人双葉電子記念財団 平成28年度研究助成金
    有機半導体デバイスの電荷輸送を制約しているエネルギーギャップ内に潜む伝導準位の解明

 

発表者

中山 泰生  東京理科大学 理工学部 工業化学科 講師
水野 裕太  千葉大学 大学院融合科学研究科 修士課程2年
日笠 正隆  東京理科大学 大学院理工学研究科 修士課程1年
山本 真之  千葉大学 大学院融合科学研究科 (修士課程2015年卒業生)
松波 雅治  自然科学研究機構 分子科学研究所 助教 (現 豊田工業大学)
出田 真一郎 自然科学研究機構 分子科学研究所 助教
田中 清尚  自然科学研究機構 分子科学研究所 准教授
石井 久夫  千葉大学 先進科学センター・大学院融合科学研究科 教授
上野 信雄  千葉大学 特別教授

 

用語

1 電荷の“重さ”20170313_4.png
専門的には「有効質量」と呼ばれる。右図のように電圧をかけた電極の間の空間に電子のような電荷を置くと、電極間に発生する電場によって電荷は力(静電気力)を受け、力の向きに加速される。ニュートンの運動法則より、一定の電場のもとでは電荷の質量が軽いほど加速されやすい。つまり、このような自由な電荷の「加速されやすさ」は、その電荷自身の質量によって決まる。一方、結晶固体中にある電荷も電場によって力を受けるが、近くにある原子・分子の影響も受けるため、その加速されやすさは真空中と同じではない。このとき、結晶固体内部における電荷の「加速されやすさ」を、自由粒子の質量に置き換えて表したものが「有効質量」である。


2 価電子バンド
半導体は、電子が詰まっている価電子バンドと、電子を収容することができるが差し当たっては空いている伝導バンドとの間に、電子を収容することができない禁制バンドを挟むような、電子構造をもつ。半導体を流れる「負の電荷」は伝導バンド内の電子、「正の電荷」は価電子バンドに生じた電子の“空席”である。ペンタセンは「正の電荷」を流しやすい“p型半導体”として知られており、伝導電荷は価電子バンドに生成する。


3 光電子分光法
物体に紫外線やX線といった高エネルギーの光を当てると表面から電子が放出される(外部光電効果)。物体から電子が放出されるか否かは、当てた光(電磁波)の振幅にはよらず、振動数の大小によることから、アインシュタインは「光が振動数に比例するエネルギーをもった粒子としての性質を有する」という光量子仮説を提唱した。光電子分光法では、この外部光電効果を利用し、試料に当てた光(光量子)のエネルギーと、試料の外部へ飛び出した電子(光電子)の運動エネルギーとを差し引きすることで、その電子が試料内部でどのようなエネルギーを持っていたかを調べることができる実験手法である。

 

論文情報

論文タイトル:
Single-Crystal Pentacene Valence-Band Dispersion and Its Temperature Dependence

DOI: 10.1021/acs.jpclett.7b00082
 

お問合せ先

【本研究内容に関するお問合せ先】
■東京理科大学 理工学部 工業化学科 講師 中山泰生
Tel:04-7124-9501 (内線3601) 
e-mail:nkym_at_rs.tus.ac.jp(_at_ は@に置き換えて下さい)

 

【当プレスリリースの担当事務局】
■東京理科大学 研究戦略・産学連携センター(URAセンター)
〒162-8601 東京都新宿区神楽坂1-3
Tel:03-5228-7440 
e-mail:ura_at_admin.tus.ac.jp(_at_ は@に置き換えて下さい)