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2022/03/31

プレスリリース

単一分子光電流計測法の開発-単一分子で生じる光電エネルギー変換の観測に成功-(三輪邦之助教ら)

理化学研究所(理研)開拓研究本部Kim表面界面科学研究室の今井みやび特別研究員、今田裕上級研究員、金有洙主任研究員、分子科学研究所の三輪邦之助教らの共同研究グループは、単一分子内で生じる光から電気へのエネルギー変換を原子スケールで観測することに世界で初めて成功しました。

本研究成果は、有機太陽電池や人工光合成といったエネルギー変換デバイスの効率向上に貢献すると期待できます。

光誘起電子移動(PET)[1]は、光電流[2]生成、光合成、光触媒において、太陽光エネルギーを変換する役割を担っています。太陽光エネルギーを最大限利用する目的のために、PETは光電流計測法や光学分光法により、盛んに研究されてきました。近年では、局所的な光電流を測定するさまざまな顕微鏡技術が開発され、PETへの理解が深まりました。しかし、一つ一つの分子を識別できるほどの空間分解能[3]は得られておらず、PETの詳細な機構は未解明でした。

今回、共同研究グループは、独自に開発した走査トンネル顕微鏡(STM)[4]と波長可変レーザーを融合した装置を用いて、光電流測定の空間分解能を従来よりも10倍程度向上させ、単一分子の光電流経路を原子分解能で画像化することに成功しました。さらに、光電流計測結果の理論的考察により、PET機構を記述し、光電流の空間分布がどの分子軌道[5]に由来するのかを解明することにも成功しました。

本研究は、科学雑誌『Nature』オンライン版(3月30日付:日本時間3月31日)に掲載されました。

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開発した単一分子光電流計測法のイメージ

 

背景

光誘起電子移動(PET)は、エネルギーの高い状態(電子励起状態[6])にある分子から隣接する物質へ電子が移動することで、太陽電池、光合成、光触媒において、太陽光エネルギーを変換する役割を担っています。太陽光エネルギーを最大限利用するために、研究者は長年、この現象を原子レベルで解明することを目指してきました。局所的な光電流を測定するさまざまな顕微鏡技術が開発され、PETに関する理解は深まりました。しかし、一つ一つの分子を識別できるほど十分な空間分解能はまだ得られておらず、PETの機構は原子レベルでは解明されていませんでした。

金有洙主任研究員らは、これまでに、原子分解能の走査トンネル顕微鏡(STM)と光学技術を融合させた装置(光STM)を開発し、さまざまな現象を単一分子レベルで観測することに成功してきました注1-5)。今回、共同研究グループは、光STMに波長可変レーザーを融合したオリジナルの装置を用いて、単一分子で生成される光電流を原子分解能で観測する手法の開発に取り組みました。

注1)2016年10月4日プレスリリース「分子間エネルギー移動の単分子レベル計測に成功」
https://www.riken.jp/press/2016/20161004_1/
注2)2017年7月5日プレスリリース「新原理に基づく単一分子発光・吸収分光を実現」
https://www.riken.jp/press/2017/20170705_1/
注3)2019年3月1日プレスリリース「単一分子電界発光の機構解明」
https://www.riken.jp/press/2019/20190301_1/index.html
注4)2019年6月6日プレスリリース「有機ELの新たな発光機構を発見」
https://www.riken.jp/press/2019/20190606_1/
注5)2021年7月2日プレスリリース「単一分子の精密ナノ分光」
https://www.riken.jp/press/2021/20210702_1/

 

研究手法と成果

共同研究グループはまず、光STMと波長可変レーザーを融合した装置を独自に開発しました(図1左)。この装置では、一つの分子から流れる微弱な光電流を検出するために、分子が光励起される効率が最大限高まるように二つの工夫を施しました。一つは、STM探針と金属基板の間の約1ナノメートル(nm、1 nmは10億分の1メートル)の隙間にレーザー光を照射することで、照射光の電場をナノスケールに集め、点光源として用いました。もう一つは、光のエネルギーを分子の励起エネルギー[7]に調整可能な波長可変レーザーを光源として採用し、効率よく光励起できるようにしました。

試料には、絶縁体薄膜で被覆された銀基板に吸着したフタロシアニン[8]単一分子(図1中央)を用いました。光電流を観測するために、フタロシアニン分子上にSTM探針を置き、レーザー光の波長(エネルギー)をフタロシアニン分子の励起エネルギー(1.8 eV)と一致させました。そして、レーザー光の照射を1秒ごとにオン・オフしながら、分子を流れる電流量の時間変化を計測しました(図1右)。すると、レーザー光がオンのときに明確な電流増加が観測されました。この電流増加は、レーザー光のエネルギーがフタロシアニン分子の励起エネルギーと一致する条件においてのみ観測されました。このことから、増加した電流の起源は、光励起された単一分子で生成される光電流であると結論づけました。

図1 光STMを用いた単一分子の光電流計測

左) 本研究で単一分子光電流計測に用いたオリジナルの光STM。この装置では、STM探針と金属基板に挟まれたナノスケールの空間にレーザー光(青線)を照射することで、照射光の電場をナノスケールに集めることができる。STM探針を試料分子上に置いた状態で、照射光エネルギーを分子の励起エネルギーに調整すると、単一分子で生成される光電流(赤線)を計測することができる。
中央)試料として用いたフタロシアニン分子のSTM像。分子モデル中の青丸は窒素、灰色丸は炭素、白丸は水素を示す。
右)フタロシアニン単一分子上で計測した電流の時間変化。計測中、シャッターを用いてレーザーオン状態とオフ状態を1秒ごとに切り替えた。レーザー光エネルギーは、フタロシアニン分子の励起エネルギー(1.8 eV)に調整した。探針に対する基板への印加電圧は−2.0 Vとした。

 

次に、STM探針の位置を分子上で平面的に動かし、各位置で流れる電流値の2次元マップを計測しました。探針に対する基板への印加電圧は、図1右の電流値の時間変化計測時と同じ−2.0 Vに設定しました。その結果、レーザー光オフのときは明確な電流は観測されなかった一方、レーザー光をオンにすると、分子周辺に腹や節から成る対称的な分布が見られる電流マップが得られました(図2)。この分布はフタロシアニンの分子軌道の分布とよく似ていることから、この電流マップは光電流の流れる分子軌道の分布を反映していると解釈できます。このようにして、光電流測定の空間分解能を従来よりも10倍程度向上させ、単一分子を流れる光電流経路を原子分解能で可視化することに初めて成功しました。

図2 原子分解能での単一分子光電流経路の可視化

左) 探針に対する金属への印加電圧-2.0 V、レーザーオフ状態で計測したときのフタロシアニン分子の電流マップ。
明確な電流は観測されていない。

右) 左図と同一の領域を1.8 eVのレーザー光照射下で計測したときのフタロシアニン分子の光電流像。
分子周辺に、腹や節から成る対称的な分布が見られる。

 

次に、光電流が探針-金属間の印加電圧にどのような影響を受けるのかを調べるために、フタロシアニン分子内の異なる2点(青点と赤点)にSTM探針を置いて光照射下でのI-Vカーブを計測しました(図3左)。その結果、印可電圧−0.4 V付近では、どちらの点においても探針から基板方向(負方向)への電流が流れ、印加電圧の増加とともに電流値が増加し、0 V付近では基板から探針方向(正方向)へ電流が流れました。伝導方向が負からゼロを横切り正へ反転する電圧は、青点では−0.33 V、赤点では−0.16 Vとなり探針位置により異なりました。

そこで、伝導方向が反転する際、原子スケールで何が生じるのかを解明するために、反転が生じる電圧領域にある−0.25 Vで光電流マップを計測しました(図3右)。その結果、反転が生じる際、電流が流れないのではなく、正と負の反対方向の光電流が局所的に流れるという興味深い現象が発見されました。−0.25 Vでの分子内電流平均値はほぼゼロであるものの、局所的にはゼロではない光電流が観測されていることから、この現象は原子分解能を達成できたからこその発見だといえます。

この結果は、マクロなスケールで光電エネルギー変換が生じない電圧においても、原子スケールで分子界面を制御することにより、光電流を取り出せる可能性を示しています。

図3 単一分子を流れる光電流の電圧依存性

左) 1.8 eVのレーザー光照射下で計測した光電流I -Vカーブ。青線と赤線で示すカーブは、それぞれ挿入図中の青点と赤点の位置にSTM探針を設置して計測した。どちらの点でも−0.4 V付近では探針から基板方向へ負のトンネル電流が流れ、印加電圧の増加とともにトンネル電流値が増加し、0V付近では基板から探針方向(正方向)へ電流が流れた。伝導方向が負からゼロを横切り正へ反転する電圧は、青点では−0.33 V、赤点−0.16 Vと探針位置により異なった。
右上)印加電圧−0.25 Vで計測した単一フタロシアニンの光電流像。1.8 eVのレーザー照射下で計測。分子内に正電流(青)と負電流(赤)の領域が現れた。
右下)上の光電流像内点線でのラインプロファイル。正と負の領域が原子スケールで複雑に分布している。

最後に、光電流計測結果の理論的考察を行い、光電流生成機構を解明し、STM探針の位置によって光電流の向きが変化する現象を説明することに成功しました。今回用いたフタロシアニン分子では、PETから始まる複数の光電流生成過程が存在し、互いに競合しています。そして、それぞれの過程に関与するフロンティア軌道[5]の空間分布は異なっています。観測される光電流にどの過程が支配的に寄与するかは、STM探針とそれらの軌道間の結合強度によって決定されると解釈すると、観測結果をよく説明できることが分かりました。

 

今後の期待

本研究では、PETの結果として単一分子内に生成される光電流を原子分解能で計測することに初めて成功しました。光電流マップによって、光電流は分子内で均一に流れるのではなく、複雑に分布することを明らかにしました。この結果は、分子界面を原子スケールでデザインすることによって、エネルギー変換効率を自在に制御可能であることを示しています。これらの結果は、有機太陽電池などの光電エネルギー変換デバイスの効率を向上させる新たな指針となると期待できます。

さらに、共同研究グループはPETと光電流生成が電極と結合するフロンティア軌道に支配され、光電流マップは励起状態の分子軌道の空間分布を反映し得ることを突き止めました。このことから、今回開発した原子分解能の光電流計測法は、これまでに前例のない原子分解能での励起状態の可視化を実現するための基盤技術となり、励起状態におけるさまざまな機能的エネルギー変換過程の根本的な理解の革新につながると期待できます。

 

補足情報

[1] 光誘起電子移動(PET)
熱的には到達できないエネルギーの高い状態(電子励起状態)にある分子から隣接する物質へ、電子が移動する過程。太陽電池や光合成、光触媒反応において重要な役割を果たしている。PETはPhotoinduced Electron Transferの略。

[2] 光電流
物質に光を照射すると流れる電流。ここでは、光誘起電子移動の結果として流れる電流のことを指す。

[3] 空間分解能
どのくらい細かくものを「見る」ことができるかの目安。分解能が小さな値では細かく(分解能が高く)、大きな値では粗く(分解能が低く)なる。空間分解能が高いほど、物体をより精細に観測できる。

[4] 走査トンネル顕微鏡(STM)
原子レベルで先端の尖がった金属針(探針)を測定表面に極限に近づけたときに電流が流れるトンネル現象を測定原理として用いる装置。探針で試料表面をなぞり、その表面の形状を原子レベルの空間分解能で観測する。探針と試料間に流れる電流(トンネル電流)を検出し、その電流値を探針と試料間の距離に変換させ画像化する顕微鏡。STMはScanning Tunneling Microscopeの略。

[5] 分子軌道、フロンティア軌道
分子軌道とは、分子中の電子の波動関数のこと。フロンティア軌道は最高占有分子軌道(Highest Occupied Molecular Orbital;HOMO)と最低非占有分子軌道(Lowest Unoccupied Molecular Orbital;LUMO)の総称。なお、HOMOは分子軌道のうち、電子が占有している最もエネルギーの高い分子軌道、LUMOは電子に占有されていない最もエネルギーの低い分子軌道の名称。

[6] 電子励起状態
原子や分子がとり得る量子的な状態のうち、最低エネルギーの状態を基底状態と呼ぶ。基底状態と比べて、電子がより高いエネルギーの軌道に存在する状態を電子励起状態という。

[7] 励起エネルギー
基底状態と電子励起状態間のエネルギー差。このエネルギーに共鳴するレーザー光を照射すると、分子を電子励起状態へと遷移させることができる。

[8] フタロシアニン
四つのフタル酸イミドが窒素原子で架橋された構造を持つ環状化合物で、鮮明な青色を呈する。

 

論文情報

<タイトル>Orbital-resolved visualization of single-molecule photocurrent channels

<著者名>Miyabi Imai-Imada, Hiroshi Imada, Kuniyuki Miwa, Yusuke Tanaka, Kensuke Kimura, Inhae Zoh, Rafael B. Jaculbia, Hiroko Yoshino, Atsuya Muranaka, Masanobu Uchiyama, Yousoo Kim

<雑誌>Nature

<DOI>10.1038/s41586-022-04401-0
 

※共同研究グループ
理化学研究所 開拓研究本部

Kim表面界面科学研究室 
特別研究員 今井 みやび(いまい みやび)
上級研究員 今田 裕(いまだ ひろし)(科学技術振興機構(JST)さきがけ研究員)
基礎科学特別研究員 木村 謙介(きむら けんすけ)
国際プログラム・アソシエイト(研究当時)趙 仁海(ぞ いね)
訪問研究員 ラファエル・ハクルビア(Rafael B. Jaculbia)(日本学術振興会(JSPS)特別研究員)
テクニカルスタッフⅠ 吉野 紘子 (よしの ひろこ)
主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)

内山元素化学研究室(研究当時)
実習生 田中 裕介(たなか ゆうすけ)
(現 環境資源科学研究センター 分子構造解析ユニット 研修生)
専任研究員 村中 厚哉(むらなか あつや)
(現 環境資源科学研究センター 分子構造解析ユニット 専任研究員)
主任研究員 内山 真伸(うちやま まさのぶ)
(現 環境資源科学研究センター 分子構造解析ユニット 客員主管研究員)

分子科学研究所 理論・計算分子科学研究領域
 助教 三輪 邦之(みわ くにゆき) 

 

 研究支援

本研究は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金研究活動スタート支援「単一分子エネルギーアップコンバージョンの機構解明と高効率化(研究代表者:今井みやび)」「STM発光分光法による二分子間励起子工学の確立(研究代表者:木村謙介)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「単一分子近接場光ピンセット法の確立と光機能性分子配列の創出(研究代表者:今田裕)」「理論計算を基盤とした生合成経路の探索と生合成リデザインへの挑戦(研究代表者:内山真伸)」、同若手研究(A)「単一分子STMフォトルミネッセンス法の開発及びエネルギーダイナミクスの解明と制御(研究代表者:今田裕)」、同若手研究「Development of time resolved STM-THz-TDS system for studying the ultrafast carrier dynamics of graphene(研究代表者:Rafael B. Jaculbia)」、同基盤研究(S)「走査トンネル顕微鏡で拓く微小極限の光科学(研究代表者:金有洙)」「物質と生命を光でつなぐ分子技術の開発(研究代表者:内山真伸)」、同基盤研究(B)「らせん構造をもつフタロシアニン系化合物の合成と機能開拓(研究代表者:村中厚哉)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「分子間コヒーレントエネルギー移動の時空間計測と制御(研究代表者:今田裕)」による支援を受けて行われました。

 

発表者・機関窓口

<発表者> 
理化学研究所 開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
 特別研究員 今井 みやび(いまい みやび)
 上級研究員 今田 裕 (いまだ ひろし)
 主任研究員 金 有洙 (きむ ゆうす)

分子科学研究所 理論・計算分子科学研究領域
 助教 三輪 邦之(みわ くにゆき)

<機関窓口>
*今般の新型コロナウイルス感染症対策として、理化学研究所では在宅勤務を実施しておりますので、メールにてお問い合わせ願います。
理化学研究所 広報室 報道担当
 E-mail:ex-press[at]riken.jp

自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
 TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7374
 E-mail:press[at]ims.ac.jp

※上記の[at]は@に置き換えてください。