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2022/08/09

プレスリリース

単一原子レベルで世界最速の2量子ビットゲートに成功 − 超高速量子コンピュータ実現へのブレークスルー −(大森賢治グループ)【記者会見動画付き】

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【関連動画】
記者会見の動画は下記URLからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=oAzgWoWlkGY

大森グループホームページ
https://groups.ims.ac.jp/organization/ohmori_g/

 

 

発表のポイント

•「ほぼ絶対零度に冷却したミクロン間隔の原子2個を、超高速レーザーで操作する」という全く新しい方法によって、世界最速の2量子ビットゲート(量子コンピューティングに必要不可欠な基本演算要素)を実行することに成功した。

• 過去20年あらゆる量子コンピュータ・ハードウェアは、計算精度を劣化させる外部ノイズの影響から逃れるために、より速いゲートを追い求めてきた。

• 冷却原子型の量子コンピュータは現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型の限界を打ち破る画期的なハードウェアとして急速に世界の産学官の注目を集めており、今回の超高速ゲートの実現はこの潮流を大きく加速させるものである。


図1.世界最速2量子ビットゲートの概念図。

光ピンセット(赤い光)によってミクロン間隔で捕捉された原子2個を、10ピコ秒だけ光る特殊なレーザー光(青い光)で操作する。
(図作成:分子科学研究所 富田隆文特任助教(本論文の共著者))

 

概要

自然科学研究機構・分子科学研究所の周諭来大学院生、Sylvain de Léséleuc助教、大森賢治教授らの研究グループは、ほぼ絶対零度*1に冷却した2個の原子を光ピンセット*2を用いてミクロン間隔で捕捉し(図1)、10ピコ秒(ピコ = 1兆分の1)だけ光る特殊なレーザー光で操作することによって、僅か6.5ナノ秒(ナノ = 10億分の1)で動作する世界最速の2量子ビットゲート*3(量子コンピューティング*4に必要不可欠な基本演算要素)を実行することに成功しました(図1-3)。光ピンセットで整列させた冷却原子の人工結晶を超高速レーザーで操作するこの超高速量子コンピュータは、現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型の限界を打ち破る全く新しい量子コンピュータ・ハードウェアとして期待されます。

この成果は英国の科学雑誌「Nature Photonics」のオンライン版に2022年8月9日(日本時間)に掲載されました。

 

研究の背景

1-1. 冷却原子型量子コンピュータについて:
冷却原子型量子コンピュータは、光ピンセットを用いてミクロン間隔で整列させた冷却原子をベースにしており、1997年(S. Chu, C. Cohen-Tannoudji and W.D. Philipps, レーザー光で原子を冷却・捕捉する方法)および2018年(A. Ashkin, 光ピンセット)のノーベル物理学賞を生んだ2つの技術により構成されています。光ピンセットで捕捉された原子は極めて純度の高い量子力学的な性質(ミクロな波の性質*5)を持っており、その1個1個が量子コンピュータの基本構成要素である量子ビット(図2参照)として機能します。これらの原子は周囲の環境系から非常によく隔離されており、同時に互いの原子同士も独立しているため、量子ビットのコヒーレンス時間(量子の波の性質が持続する時間)は数秒に達します。量子コンピューティングに必要不可欠な基本演算要素である2量子ビットゲート*3は、リュードベリ状態*6と呼ばれる巨大な電子軌道への励起を通じて実行されます。2000年に理論提案されたこの手法は過去20年間の研究開発を通じて発展を遂げてきました。また特に2016年以降、冷却原子を光ピンセットで任意の形状に配列させ、その1個1個を個別に観測する光技術が急速に発展したため、冷却原子型プラットフォームは一躍量子コンピュータ・ハードウェアの最有力候補の一つに躍り出ています。特に、現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型と比べて容易に大規模化が可能な点、および高コヒーレンスな点(量子の波としての純度が高い点)において画期的な潜在能力を有しており、次世代の量子コンピュータ・ハードウェアとして世界中の産学官の注目を集めています。

1-2. 量子ゲート*3について:
量子ゲートとは量子コンピューティングを構成する基本演算要素です。スパコンなど従来の古典コンピュータにおけるANDやOR等の論理ゲートに対応するものです。1個の量子ビットの状態を操作する1量子ビットゲートと、2個の量子ビットの間に量子もつれを発生させる2量子ビットゲートがあります。特に2量子ビットゲートは量子コンピュータの劇的な高速性の源泉であり、技術的にも難易度が高くなります。今回実装に成功したのは「制御Zゲート」と呼ばれる代表的な2量子ビットゲートで、一方の量子ビットの状態(“0”or“1”) (図2)に応じて、もう一方の量子ビットの重ね合わせ状態*7を“0”+“1”から“0”–“1”へと変化させる操作です(図3)。量子ゲートの精度(忠実度)は外部環境や操作レーザーなどが及ぼすノイズによって容易に劣化され、これが量子コンピュータ開発を困難にしています。ノイズの時間スケールは概ね1マイクロ秒(マイクロ=100万分の1)よりも遅いので、これよりも十分に速い量子ゲートが実現できればノイズによる計算精度の劣化から「完全に」逃れることができ、実用的な量子コンピュータの実現に大きく近づきます。そのため過去20年、あらゆる量子コンピュータ・ハードウェアは、より速いゲートを追い求めてきました。今回、冷却原子型ハードウェアで達成した6.5ナノ秒(ナノ = 10億分の1)の超高速ゲートはノイズよりも2桁以上速いので、ノイズの影響を無視することができます。ちなみに、これまでの世界記録は2020年にGoogle AI(米国Google社の人工知能部門)が超伝導型で達成した15ナノ秒でした。

 

研究の成果

2-1. 成果の概要:
研究グループは、ほぼ絶対零度に冷却した2個の原子を光ピンセットを用いてミクロン間隔で捕捉し、10ピコ秒(ピコ = 1兆分の1)だけ光る特殊なレーザー光で操作することによって、僅か6.5ナノ秒(ナノ = 10億分の1)で動作する世界最速の2量子ビットゲート*3(量子コンピューティングに必要不可欠な基本演算要素)を実行することに成功しました。過去20年あらゆる量子コンピュータ・ハードウェアは、計算精度を劣化させる外部ノイズの影響から逃れるために、より速いゲートを追い求めてきましたが、今回実現した世界最速の2量子ビットゲートはノイズよりも2桁以上速いので、ノイズの影響を無視することができます。光ピンセットで整列させた冷却原子の人工結晶を超高速レーザーで操作するこの超高速量子コンピュータは、現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型の限界を打ち破る全く新しい量子コンピュータ・ハードウェアとして期待されます。

2-2. 実験方法(図1-3):
実験はルビジウム原子*8を使って行われました。まず、レーザー光を用いた特殊な冷却方法*9を用いて絶対温度1ケルビン*1の10万分の1程度の超低温に冷やした気体のルビジウム原子*82個を、光ピンセット*2でミクロン間隔に並べました。さらに、1000億分の1秒だけ光る超短パルスレーザー光を照射し、どのような変化が起こるかを観察しました。すると、隣り合った2個の原子(原子1と原子2)それぞれの5S軌道に閉じ込められた電子2個が、超短パルスレーザー光を吸って巨大な43D電子軌道(リュードベリ軌道*6)にたたき上げられ、2個の原子の間で電子エネルギーが周期的に行き来する様子が観測されました。この原子間のエネルギー交換には、2つの原子の量子状態が持つ「符号」を変化させるという性質があるため、量子ゲート操作へと応用することができます。この現象を使って、原子の中の電子の状態である5P電子状態を“0”状態、43D電子状態を“1”状態とする量子ビット(図2)を用いた、量子ゲート操作を行いました。原子1と原子2のそれぞれを量子ビット1と量子ビット2として準備し、超短パルスレーザーを用いてエネルギー交換を誘起させたところ、エネルギーの行き来1周期分(=6.5ナノ秒;ナノ=10億分の1)の間に、量子ビット1が“1”状態の時だけ量子ビット2の重ね合わせ状態の符号が反転し、2つの波の山同士が揃うように重ねた“0”+“1”状態から、2つの波の山と谷が揃うように重ねた“0”-“1”状態へと変化する様子が観測され(図3)、2量子ビットゲート(制御Zゲート)が世界最速の6.5ナノ秒(ナノ=10億分の1)で動作していることが確認されました。

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図2.ルビジウム原子を使った量子ビットの概念図。
(図作成:分子科学研究所 富田隆文特任助教(本論文の共著者))

 

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図3.量子ゲート操作と、その実行結果。

原子1(量子ビット1)が“1”状態にあるときのみ、2つの波の山同士が揃うように重ねた状態:“0”+“1”状態から、2つの波の山と谷が揃うように重ねた状態:“0”-“1”状態へと量子ビットの符号が反転する。(図作成:分子科学研究所 富田隆文特任助教(本論文の共著者))

 

今後の展開・この研究の社会的意義

過去20年あらゆる量子コンピュータ・ハードウェアは、計算精度を劣化させる外部ノイズの影響から逃れるために、より速いゲートを追い求めてきました。今回、冷却原子型ハードウェアで達成した6.5ナノ秒(ナノ = 10億分の1)の超高速量子ゲートはノイズよりも2桁以上速いので、ノイズの影響を無視することができます。冷却原子型の量子コンピュータは、現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型と比べて容易に大規模化が可能な点、および高コヒーレンスな点(量子の波としての純度が高い点)において画期的な潜在能力を有しており、次世代の量子コンピュータ・ハードウェアとして世界中の産学官の注目を集めています。「ほぼ絶対零度に冷却したミクロン間隔の原子2個を超高速レーザーで操作する」という全く新しい方法によって達成した今回の世界最速の超高速ゲートの実現は、冷却原子型ハードウェアへの世界中の注目を大きく加速させるものと期待されます。

 

用語解説

*1 絶対零度
原子・分子の運動が止まった状態を0度とする温度を絶対温度と呼ぶ。単位はケルビン。ゼロ・ケルビンのことを絶対零度という。絶対温度0ケルビンは摂氏-273.15℃で、摂氏0℃は絶対温度+273.15ケルビン。

*2 光ピンセット
レーザー光をミクロンスケールの細さに集光することで、その焦点部分に微小粒子を捕捉する技術。1970年代に米国の物理学者A.アシュキンによって発明された。本実験では、レーザー光を1ミクロン以下の細さまで集光することで、もっとも明るい焦点部分に原子が引き寄せられ、原子を1個1個個別に捕まえることが可能になっている。

*3 2量子ビットゲート
2つの量子ビットの量子状態を操作する演算。2量子ビットゲートは、量子コンピュータの高速性の源泉である量子もつれを、2つの量子ビットの間に発生させる。今回実現した2量子ビットゲート「制御Zゲート」は、第2の量子ビットが“1”状態のときのみ、第1の量子ビットの量子重ね合わせ状態を“0”+“1”から“0”-“1”に変える演算である。この量子重ね合わせ*7の「符号反転」は、量子コンピュータの実現に欠かせない最も重要な基本動作の一つである。

*4 量子コンピュータ
量子力学的な波の性質*5を情報処理に応用したコンピュータ。原子などの量子力学的な粒子の集団に対して、個別粒子の状態操作や複数粒子の間で論理演算を行うことによって情報処理を行う。異なった状態を同時にとる「量子重ね合わせ*7」という波の性質*5を使うことによって超並列計算が可能となり、通常のコンピュータでは非常に長い時間がかかる計算を一瞬で行うことができると期待されている。

*5 波の性質
電子や原子などミクロな粒子はサッカーボールなど私達の身の回りの目に見える粒子にはない波の性質を持っている。波は粒子と違って重なり合うことや、空間的に広い範囲に同時に存在することができる。従って、電子や原子などミクロな粒子は、異なった状態を同時にとったり、別の場所に同時に存在できるなど、私達の目に見える粒子にはない不思議な性質を持っている。

*6 リュードベリ軌道
原子核から遠く離れた電子軌道。原子核からリュードベリ軌道までの距離はナノメートルからマイクロメートルに達する。リュードベリ軌道上を運動する電子をリュードベリ電子、リュードベリ電子を持った原子をリュードベリ原子と呼ぶ。

*7 量子重ね合わせ
複数の異なった状態を同時にとることができるという量子力学特有の性質。通常の古典的なコンピュータでは、情報の単位であるビットは、ある瞬間に“0”か“1”のどちらかの状態にある。しかし、量子コンピュータの量子ビット(例えば原子のような量子力学的な粒子)は、“0”と“1”の2つの状態を同時にとることができる。また、2つの状態の重ね合わせ方にもさまざまな方法がある。量子状態を波ととらえると、2つの波の山同士が揃うように重ねた状態:“0”+“1”状態、2つの波の山と谷が揃うように重ねた状態:“0”-“1”状態、というように、“0”と“1”で構成される状態にも、異なる重ね合わせ状態が存在する(図3)。

*8 ルビジウム原子
アルカリ金属原子の一つで、原子番号37の原子。原子核の周りの電子のつまった電子軌道のうち、一番外側の5s軌道に一つの電子を持つ。

*9 レーザー光を用いた特殊な冷却方法
レーザー光を利用して気体原子の持つエネルギーを取り去り、原子の温度を冷却する技術をレーザー冷却と呼ぶ。原子はレーザー光を吸収する際にレーザー光の持つ運動量を受け取り、レーザー光の進行方向に対して力を受ける。原子がレーザー光に対向して進んでいる場合には、その力によって原子が徐々に減速され原子の持つエネルギーが下がる。これによって、原子集団を絶対温度1ケルビン*1の10万分の1程度まで冷やすことが可能となる。

 

論文情報

掲載誌:Nature Photonics

論文タイトル:“Ultrafast energy exchange between two single Rydberg atoms on the nanosecond timescale”(和訳:「2個の単一リュードベリ原子の間で起こるナノ秒スケールの超高速エネルギー交換」)

著者:Y. Chew, T. Tomita, T. P. Mahesh, S. Sugawa, S. de Léséleuc, and K. Ohmori

掲載日:2022年8月9日(日本時間・オンライン公開)

DOI:10.1038/s41566-022-01047-2

 

研究グループ

・自然科学研究機構・分子科学研究所
・総合研究大学院大学

 

研究サポート

本研究は、以下の支援を受けて行われました。

文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)
JPMXS0118069021

日本学術振興会 科研費
研究種目:「特別推進研究」
研究番号:「16H06289」
研究課題名:「アト秒精度の超高速コヒーレント制御を用いた量子多体ダイナミクスの探求」
研究代表者:(自然科学研究機構 分子科学研究所 大森 賢治 研究主幹/教授)
研究期間:平成28年4月~令和3年3月

独・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団および独・ハイデルベルグ大学
「フンボルト研究賞」

 

研究に関するお問い合わせ

大森 賢治(おおもり けんじ)
自然科学研究機構 分子科学研究所 
光分子科学研究領域 研究主幹/教授
〒444-8585 愛知県岡崎市明大寺町字西郷中38番地
E-mail: ohmori_at_ims.ac.jp
TEL:0564-55-7361

 

報道担当

自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7374
E-mail: press_at_ims.ac.jp

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