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2023/07/28

プレスリリース

ナノスケールの極微空間における超広帯域な非線形光学応答の増強効果を解明-新奇ナノ非線形分光法の発展に向けて-(杉本敏樹グループら)

発表のポイント

  • ・原子レベルで位置制御可能な金ナノ探針の先端に強いパルスレーザーを照射することで誘起される非線形光学応答(1)の増強現象が,可視域のみならず赤外域にわたる非常に広い波長領域において発現することを発見。
  • ・金探針の持つnmスケールの先端形状とµmスケールのシャフト形状の両方に依存して,探針先端のナノ空間領域における広帯域な非線形光学応答の増強度が決定されていることを解明。
  • ・探針先端のナノ領域で発現する種々の非線形光学過程をデザインし自在に制御するための基礎学理と基盤技術が確立され,次世代型のナノ非線形分子分光法の開発・発展につながることが期待される。

 

概要

 分子科学研究所の高橋翔太博士研究員(日本学術振興会特別研究員PD),櫻井敦教助教,望月達人大学院生,杉本敏樹准教授(理化学研究所放射光科学研究センター客員研究員兼任)の研究グループは,走査トンネル顕微鏡(2)と波長可変フェムト秒パルスレーザー(3),高精度電磁場シミュレーションを巧みに組み合わせることで,プラズモニック金属ナノ探針の持つ超広帯域な非線形光学増強特性を世界に先駆けて見出し,そのメカニズムを解明することに成功しました。この成果は,国際学会誌『The Journal of Physical Chemistry Letters』に,7月28日付けで掲載されました。

 

1.研究の背景

 光の波長よりも微細な金属ナノ構造体に光を照射すると,一般にその内部でプラズモンと呼ばれる電子の集団振動が誘起され,これに共鳴するエネルギー(波長)を持つ光が構造体近傍のナノ領域に閉じ込められ光強度が局所的に数桁も増大することが知られています。このプラズモン共鳴による光の局在・増強現象を,走査プローブ顕微鏡(4)の非常に鋭く尖った金属探針の先端で引き起こすことにより,究極的には光の回折限界(集光サイズ限界)を超えた原子レベルの空間分解能で物質表面の分光学的特性を調べることが可能となります。従来,このような探針増強ナノ分光は,主にラマン散乱や蛍光といった線形光学過程に立脚して行われてきました。しかし近年では,より詳細に物質表面や分子の電子・振動状態に関する情報を得るべく,線形光学の範疇を超えた非線形な光学現象を探針増強ナノ分光に応用する試みが盛んになりつつあります。このような探針増強非線形分光を先鋭化し高度な物質分子計測法として飛躍的に発展・普及させるためには,探針先端で起こる光の電場増強現象やナノスケールの非線形光学過程に関する基礎的な理解が必要不可欠です。
 とりわけ重要となるのは,光増強が効率よく起こる波長領域の同定です。非線形光学過程を強く増幅するには,入射光と出射光の両方を同時に効率よく増幅することが要求されます。特に,非線形光学過程においては光の波長変換を伴うことが本質的であり,入射光と出射光の間に非常に大きな波長(周波数)ギャップが生じるため,より広帯域な光の波長領域において金属探針直下で電場増強効果を発現させる必要があります。しかし,金属探針のプラズモニック光増強効果が実際のところどの程度広い波長領域において有効となりナノ非線形光学現象を誘起可能であるのかについての知見はこれまで得られていませんでした。

 

2.研究の成果

 今回,高橋翔太博士研究員ら分子科学研究所の杉本敏樹准教授の研究グループでは,金ナノ探針の先端における非線形光学過程の増強効果が,可視域から中赤外域に至る非常に広い波長帯域において有効に発現することを明らかにしました。
 実験の模式図を図1aに示します。本研究グループでは,走査トンネル顕微鏡(STM)に備え付けた鋭利な金探針と平坦な金基板をnmスケールにまで近接させ,その隙間に赤外レーザーパルスを照射することにより,最も基本的な非線形光学過程の一つである第二高調波発生(SHG)(5)が探針先端と金基板の間のナノギャップ空間で顕著に増大することを見出しました(図1b)。

図1: (a) 探針増強第二高調波発生実験の模式図。非常に近接させた金探針と金基板の間の1 nmスケールの隙間に赤外フェムト秒レーザーパルスを照射することにより,入射光の二倍のエネルギーを持つ光(波長が半分の光)が強く発生する。(b) 金探針を金基板から離している場合(橙)に比べ,1 nmスケールにまで近づけた場合(赤)に波長1600 nmの光の第二高調波である波長800 nmの光が強く発生している様子。

 このSHGの増強現象が入射光の波長を変更した際にも起こり得るのかどうか調べるために,同研究グループは波長可変パルスレーザーを用いて励起光パルスの中心波長を幅広く掃引し,図2a, bに示す金探針を用いて探針増強SHG強度の波長依存性を系統的に観測しました。すると,SHGの探針増強効果は1300nmから1800nmの入射光(650nmから900nmのSHG光)にわたって有効であることが判明し(図2),これまで見過ごされてきた非常に広帯域な探針増強非線形光学特性を初めて解明することに成功しました。


図2: (a, b) 測定に用いた金探針の電子顕微鏡像。aの白い長方形の領域を拡大したものがbである。(c) 入射光の中心波長を変えながら測定した探針増強第二高調波発生の強度。上下の横軸はそれぞれ入射光と第二高調波の中心波長を表している。可視~赤外にわたる数百nmの波長範囲で探針増強第二高調波発生が起きていることが分かる。


 さらに同研究グループは,こうしたSHG増強現象において金探針の幾何学的な構造が果たす役割についても系統的に調べました。図3のように形状の異なる複数の金探針を用いて同様の赤外光の波長掃引測定を行うことで,金探針の持つnmスケールの先端形状とµmスケールのシャフト形状の両方に非常に強く影響されて広帯域なSHG増強特性変化することを突き止めました。


図3: 実験に用いた金探針の電子顕微鏡像(上段)とそれらの探針を用いて測定した探針増強第二高調波強度の励起波長依存性(下段)。a, dの図中にある白い長方形の領域を拡大した図がそれぞれb, eである。これらの電子顕微鏡像の図中にはスケールバーも記載してある。ここで示した2本の探針と図2に示した探針を比較すると,先端の曲率半径や探針シャフトの滑らかさが大きく異なっており,これに対応して探針増強第二高調波強度も異なる励起波長依存性を示していることが分かる。


 さらに同グループでは,このような探針構造に依存した広帯域なSHG増強現象の微視的なメカニズムを探るべく,高精度な電磁場シミュレーション法を用いて探針と基板の隙間にレーザーパルスを照射した際の光増強の挙動計算・解析しました。すると,探針先端に入射した光の増強は,可視から中赤外に及ぶ幅広い波長領域にわたって有効である(図4a)ことに加え,この局所増強光によって発生したSHG光の放出は,主に可視域で効率よく誘起される(図4b)ことが分かりました。詳細な解析により,入射光の広帯域な電場増強現象(図4a)はµmスケールの探針シャフト全体の電子が協同的に振動することによって引き起こされる一方で,SHG放出過程の増強現象(図4b)はnmスケールの探針先端に存在する局在プラズモンによって媒介されていることも確認されました。こうした2種類の効果を考慮することで,図2, 3に示した励起波長や探針形状に依存したSHG増強過程の変化が理論的に説明可能であることが示されました。これにより,SHG過程における入射光と出射光の増強現象は,それぞれµmスケールの探針シャフトとnmスケールの探針先端という空間スケールが全く異なるドメインが支配的な役割を担っていること,そしてそれらが協奏的に作用することでSHG過程全体が広帯域に増強されるという極めて巧妙な探針増強非線形光学応答メカニズムが見出されました。


図4: 金探針先端に入射した光の典型的な増強効率(a)と局所増強光によって発生する第二高調波の放出効率(b)をそれぞれ光の波長に対してプロットしたもの。これら2つの効果の相乗効果により,実験で観測される探針増強非線形光学応答が説明される。

 

3.今後の展開・この研究の社会的意義

 本研究成果は,探針の先端(nm オーダー)とシャフト(µm オーダー)という異なる2つの空間スケールを持つ部位の構造を巧みに調整することで,探針先端近傍で起こるナノ非線形光学現象を精密に制御できることを示すものです。これらの基礎学理と基盤技術の構築は,物質・分子が織りなす複雑な表面現象の解明に迫る探針増強非線形分光の新たな可能性を拓く重要な成果です。今後の研究展開において,同研究グループでは広帯域な非線形光学増強特性に立脚した新奇ナノ非線形分光手法を創出し,極微表面分析手法の新たなスタンダードを打ち立てることを目指します。

 

4.用語解説

(1)非線形光学応答
物質に対し非常に強い光が照射された際に起きる,光の強度に比例しない(光の強度に対して非線形な)物質の応答のこと。
(2)走査トンネル顕微鏡
探針と試料の間に電圧を印加しつつ両者をnmオーダーで近づけることでトンネル電流を発生させ,これをモニターすることで表面構造を像として得る顕微鏡。
(3)フェムト秒パルスレーザー
フェムト(10-15)秒オーダーという非常に短い時間だけ光を発することのできるレーザーシステム
(4)走査プローブ顕微鏡
物質表面を原子レベルで鋭く尖った探針でなぞることで,表面の微細な段差や凹凸構造などを非常に高い空間分解能で観測する顕微鏡。走査トンネル顕微鏡はこの一種であり,探針先端と基板表面の間に流れるトンネル電流値を計測することで物質表面の原子レベルの段差や凹凸構造を観測することができる。
(5)第二高調波発生(SHG)
非線形光学応答の一種であり,物質に強い光を入射した際に入射光の2倍の周波数(すなわち半分の波長)を持つ光が発生する現象。

 

5.論文情報  

掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Letters
論文タイトル:
“Broadband Tip-Enhanced Nonlinear Optical Response in a Plasmonic Nanocavity”(「プラズモニックナノ共振器における広帯域な探針増強非線形光学応答」)
著者:
Shota Takahashi, Atsunori Sakurai, Tatsuto Mochizuki, and Toshiki Sugimoto
掲載日:2023年7月28日(オンライン公開)
DOI:10.1021/acs.jpclett.3c01343

 

6.研究グループ

分子科学研究所

 

7.研究サポート

本研究は,JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ(JPMJPR1907),CREST (JPMJCR22L2),JSPS 科学研究費助成事業 基盤研究(A) (19H00865, 22H00296),基盤研究(B) (23H01855),研究活動スタート支援 (19K23640),若手研究 (20K15236),特別研究員奨励費 (22J01438),防衛装備庁安全保障技術研究推進制度(JPJ004596),公益財団法人 カシオ科学振興財団 (助38-06),公益財団法人 光科学技術研究振興財団の支援の下で実施されました。

 

8.研究に関するお問い合わせ先

杉本 敏樹(すぎもと としき)
分子科学研究所 准教授
TEL:0564-55-7280
E-mail:toshiki-sugimoto_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)

 

9.報道担当

自然科学研究機構・分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7374
E-mail: press_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)