お知らせ
2024/07/19
プレスリリース
分子科学研究所の林仲秋大学院生(総合研究大学院大学 物理科学研究科 機能分子科学専攻5年一貫制博士課程5年/日本学術振興会特別研究員DC2)、斎藤晃博士研究員(日本学術振興会特別研究員PD)、佐藤宏祐博士研究員、杉本敏樹准教授(総合研究大学院大学)の研究グループは、リアルタイム質量分析(5)と赤外吸収分光を組み合わせることで、水分解水素発生光触媒反応において界面水の水素結合環境が水素生成に与える影響を分子レベルで解明しました。これまではバルク水中環境下での反応研究が主流ですが、本研究により、水蒸気雰囲気下で光触媒の表面に吸着水が3分子層(6)程度(厚さ約1 nm程度)存在する水蒸気圧力条件において水素発生速度が最大になることが明らかになりました。この研究成果は米国化学会の学術誌『Journal of the American Chemical Society』に、2024年7月5日付で掲載されました。
水素は燃焼時に大量の熱エネルギーを放出し、生成物が水のみであるため、CO2を排出しないクリーンなエネルギー源として脱炭素社会の実現において重要な役割を果たすと期待されています。そのため、安価かつ持続可能な水素の製造方法が求められています。現在の工業的な水素製造は、天然ガスを原料として700 ℃以上の高温かつ高圧の反応条件で行われており、大量のエネルギー消費とCO2排出が問題となっています。一方で、光触媒を用いた水分解反応は、太陽光エネルギーを直接利用して非熱的に室温・常圧で水から水素を生成するものであり、持続可能社会の実現に向けた重要な水素製造化学技術として期待されています。
光触媒反応は光触媒と水の界面で進行します。この界面では様々な向きや結合距離を持つ水分子が複雑な水素結合ネットワークを形成し、その水素結合構造は反応効率に大きな影響を与えることが近年示唆されてきています。しかし、光触媒反応研究は水中で行われることが一般的であり、水中のように大量の水が存在する環境では、反応に直接関わる界面近傍の数分子層の水分子を選択的に計測することが困難でした。そのため、従来の研究では、界面水分子の水素結合構造はブラックボックスの状態で光触媒材料の開発が進められてきました。既存の限界を突破し、より高効率な反応場を実現する触媒材料を開発するには、「ミクロな界面水分子の構造」と「マクロな光触媒反応活性」の関係を系統的に理解する研究取り組みが必要不可欠です。
本研究では、水蒸気環境下で光触媒表面に吸着する水分子の量を単分子層レベルから多分子層まで精密に制御する技術を用いることで、光触媒表面において反応に関与する水分子の正体に迫りました。具体的には、赤外吸収分光とリアルタイムの質量分析により水素結合構造が反応活性へ与える影響を系統的に調べ、水分解水素生成反応に最適な界面水素結合状態を解明しました。図1に、白金を担持したブルッカイト型二酸化チタン(TiO2)光触媒を用いて、吸着水分子の層数を変化させた際のH2生成レートの変化を示します。吸着層数が非常に少ない場合、H2生成レートは吸着水分子の層数増加と共に上昇しますが、3層程度の水分子が吸着した条件で最大値をとり、それ以上の層数の水分子吸着量では減少に転じることを見出しました。このような水素生成速度の水分子吸着層数依存性は、水(H2O)の同位体であるD2Oを使用した際のD2生成においても同様に確認されました。さらにブルッカイト型TiO2光触媒のみならず、アナターゼ型のTiO2光触媒やアナターゼ型とルチル型の混晶TiO2光触媒においても同様の水素生成挙動が確認されました。これらの結果から、TiO2光触媒の結晶構造によらず普遍的な性質として下記の二点の知見が明らかになりました。
(i) 光触媒表面と直接的に相互作用している第一層吸着水のみが水分解水素生成反応に関与しているわけではなく、最大で3分子層程度(厚さ約1 nm程度)の水分子層が反応に関与できる。
(ii) 3分子層程度以上に吸着分子数(層数)が増える場合には、水分子が増えて水素生成の活性が増大する(あるいは飽和する)と通常は想定されるが、水素生成の活性はむしろ減少に転じる。
光触媒が水中に存在する場合は、光触媒表面には極めて多層の水分子が存在(吸着)している状態にあるため、水中よりも水蒸気雰囲気下の方が水素生成光触媒に最適な反応条件になり得ることも明らかになりました。
図1:様々な水蒸気圧力雰囲気下で水分子の吸着量(層数)を系統的に変化させた際の、ブルッカイト型TiO2光触媒における水分解水素生成レートの変化。
一般の化学反応では、反応物濃度(吸着量)が増加すると反応レートが大きくなることが期待されます。しかし、今回の一連の研究において、特に3分子層程度(厚さ約1nm程度)以上の水分子の存在条件では、水分子量の増加においてH2生成レートが減少に転じるという非自明な挙動が様々なTiO2光触媒において共通して観測されました(図1)。この謎の挙動の起源を解明するべく、光触媒表面上に水分子が吸着し水素結合のネットワークが次々と形成されていく際の水分子の構造を赤外吸収分光法によって系統的に調査しました。
赤外吸収分光の結果、2分子層までの吸着水(以下、界面水)は通常の液体水(以下、バルク液体水(7))とは異なるスペクトル・水素結合状態を示すのに対し、3分子層からはバルク液体水とほぼ同様のスペクトル・水素結合状態を示す水分子が吸着することが明らかになりました(図2a)。特に不思議な現象として、3分子層目の水分子の吸着が完了し、3分子層以上の水分子の吸着が起きる際に、2分子層までの界面水のスペクトル・水素結合状態が変化し始める現象を捉えました。図2bに、3分子層以上の吸着水が存在する場合に誘起される界面水のO−H伸縮振動のスペクトルの変化を示しています。具体的には、3分子層以上の水の量が増加するにつれて、界面水の3300~3400 cm−1のピーク成分が減少し、3000~3300 cm−1付近のピーク成分が増大するという実験結果を得ました。一般に、水分子間の水素結合が強くなる際に水分子のO−H伸縮振動は低波数シフトすることが知られています。したがって、観測された界面水のO−H伸縮振動の低波数シフト(図2b)は、TiO2光触媒表面近傍の界面水の水素結合ネットワークが、その上層の水分子との水素結合によって、より強固なものに変化していることを示す直接的な証拠となります。
図2:様々な水蒸気圧力雰囲気下でブルッカイト型TiO2光触媒表面上の水分子の吸着量(層数)を系統的に変化させた際の赤外吸収スペクトル測定の結果。(a) 吸着する水分子の層数に依存するO−H伸縮振動バンド面積の変化(黒:スペクトル全体の面積、緑:界面水成分のスペクトルの面積、青:液体水成分のスペクトルの面積)。界面水成分のスペクトルはバルク液体水とは明らかに異なるスペクトル形状を示し、2分子層で面積がほぼ飽和する。液体水成分のスペクトルはバルク液体水とほぼ同じスペクトル形状を示し、2分子層以上(3層目から)の水分子吸着により増加する。(b) 3分子層以上の水分子が存在することにより誘起される界面水成分のO-H振動スペクトルの変化。
一般に、水分解水素生成光触媒反応の律速段階は、光誘起正孔(8)による水分子の酸化的O−H結合切断(プロトン生成)であることが知られています。このプロトンが光誘起電子(9)により還元されて水素原子となり、それらが会合して水素分子となります。そのため、吸着水が3分子層まで増加した際に水素生成レートが増加するという図1の実験結果は、光誘起正孔が界面第一層の水分子層に限定されずに3分子層程度の吸着水層にまで拡がり、反応物質としての水分子の数が増加していることを示しています(図3)。それに対して、3分子層を超えて吸着水の層数が増加すると、水素結合の多体効果によって、界面水の水素結合ネットワークの再構成が誘起されて界面水の水素結合がより強く固くなります(図2b)。この分光学的な知見と水素生成レートの変化(図1)から、「吸着層数が増えると、界面水の水素結合が固くなり、水分子の運動性が鈍くなることで、光誘起正孔の移動・存在可能領域が狭まり、その結果として反応物質として寄与できる活性な水分子数が減少し、プロトンの生成や移動も不利になり水素生成レートが減少する」というメカニズム・微視的描像が明らかになりました(図3)。
図3:光触媒表面における水分子の吸着層数の変化に伴う反応活性の変化の概要。
これまで、光触媒の反応活性を増大させるために、光の吸収効率や光誘起電子や正孔の拡散を促進するための固体材料の光物性・電子物性に基づいた材料開発が中心でした。一方、本研究では、表面科学と分子論的な視点からアプローチし、触媒表面近傍の吸着水に着目して、水分子の水素結合の形成やその構造変化が光触媒反応の効率に大きな影響を与えることが明らかになりました。高活性な反応場を設計するための新たな触媒戦略として、水分子の構造・水素結合ネットワークを分子レベルで制御するという『界面水のエンジニアリング』の方向性を開拓するものであり、既存の材料開発の限界を突破した高効率触媒の設計指針になることが期待されます。
また、半世紀に渡る水分解光触媒の研究では水中での反応を前提とした研究が特に精力的にすすめられてきていましたが、本研究により、水蒸気環境下で数分子層だけの吸着水が存在する状況の方がむしろ最適な反応条件になり得ることが見出されました。この発見は、将来的に、水蒸気雰囲気下での光触媒駆動を前提とした反応プロセスの開発に繋がる可能性を秘めています。
(1)光触媒:
酸化物などの半導体に対して、そのバンドギャップを超えるエネルギーを持つ光を照射した際に、電子と正の電荷を持つ空孔(正孔)が形成される。この光誘起電子は還元反応を駆動力し、光誘起正孔は酸化反応を駆動する。
(2)赤外吸収分光法:
赤外光を物質に照射し、その吸収スペクトルを測定することで、物質の分子構造や化学結合状態に関する情報を得る手法。これにより、水分子の水素結合構造や吸着状態を詳細に解析することができる。
(3)界面水:
固体表面や他の相と接触して、本来の液体水とは異なる物理的・化学的状態にある水分子のこと。
(4)水素結合:
水素を介して形成する結合を指し、水の高い沸点や表面張力などの性質にも寄与している。光触媒反応において、この水素結合が反応活性に大きな影響を与えることが明らかになってきた。
(5)質量分析:
分子をイオン化し、その質量を測定することで、分子の組成を分析する方法。
(6)分子層:
分子が層状に重なって存在する状態。ここでは、光触媒表面に吸着する水分子の層を指す。例えば、3分子層とは光触媒表面に3層の水分子が存在する状態を示す。
(7)バルク液体水:
液体水の大部分を占める水分子の集団であり、特定の表面や界面の影響を受けていない状態の水を指す。
(8)光誘起正孔:
光が半導体に照射されると、価電子帯から電子が励起されて伝導帯に移動し、その結果、価電子帯に正の電荷を持つ空孔(ホール)が残る。この光誘起正孔は高いエネルギーを持つ場合、水分子から電子を奪い、酸化反応を引き起こす。
(9)光誘起電子:
光が半導体に照射されると、電子が励起されて価電子帯から伝導帯に移動し、自由電子が生成される。この光誘起電子が一定のエネルギーを持つ場合、酸化反応の素過程で生じたプロトン(H⁺)と結合して水素ガス(H₂)を生成する還元反応を引き起こす。
掲載誌:Journal of the American Chemical Society
論文タイトル:
“Positive and Negative Impacts of Interfacial Hydrogen Bonds on Photocatalytic Hydrogen Evolution” (「水分解水素発生光触媒における界面水素結合のプラスの影響とマイナスの影響」)
著者:
Zhongqiu Lin, Hikaru Saito, Hiromasa Sato, and Toshiki Sugimoto
掲載日:2024年7月5日(オンライン公開)
DOI:10.1021/jacs.4c04271
分子科学研究所
本研究は、JSPS 科学研究費助成事業基盤研究(A)(22H00296)、特別研究員奨励費(23KJ1003)、JST-CREST(JPMJCR22L2)、JST創発的研究支援事業(JPMJFR221U)、大学共同利用機関法人自然科学研究機構分野融合型共同研究事業(01112104)、環境省「地域資源循環を通じた脱炭素化に向けた革新的触媒技術の開発・実証事業」の支援の下で実施されました。
杉本 敏樹(すぎもと としき)
分子科学研究所/総合研究大学院大学 准教授
TEL:0564-55-7280
E-mail:toshiki-sugimoto_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
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総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
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