お知らせ
2024/09/17
プレスリリース
自然科学研究機構 分子科学研究所/総合研究大学院大学の長坂将成助教、理化学研究所計算科学研究センターの水流翔太特別研究員、名古屋大学物質科学国際研究センター/大学院理学研究科の山田泰之准教授の研究グループは、水溶液中のポルフィリン金属錯体の軟X線吸収分光計測から、その金属-配位子間の非局在化を中心金属と配位子を分離した電子状態解析により明らかにしました。更に、窒素K吸収端XAS計測と内殻励起計算により、水溶液中のCoPPIXの配位構造を調べて、CoPPIXが水溶液中でも5配位を維持することを見出しました。
本研究成果は、国際学術誌『Physical Chemistry Chemical Physics』に、2024年9月3日付でオンライン掲載されました。
ポルフィリン環が金属を囲うポルフィリン金属錯体は、血液の酸素運搬に重要なヘム鉄や光合成反応(5)に重要なクロロフィルなど、様々な生化学現象に重要な役割を果たす有色の物質であることから「生命の色素」と呼ばれています。そのため、ポルフィリン金属錯体の構造と物性との関連を求めるために多くの研究が行われてきました。これまでは、金属錯体の構造は主に結晶状態において、単結晶X線構造解析(6)により決定されてきました。一方、金属錯体がその機能を発現するのは、結晶状態ではなく溶液中や足場タンパク質(7)中のため、溶液中の金属錯体の電子状態や配位構造の直接観測が強く求められてきました。研究グループは、水溶液中のポルフィリン金属錯体に対して、その電子状態や溶媒である水分子との配位構造のその場観測を目指し、XAS計測を行いました。このXAS計測では、金属L2,3吸収端による中心金属と、窒素K吸収端による配位子であるポルフィリン環の寄与を分離した金属錯体の電子状態解析を行いました。特に、配位子の窒素K吸収端XASスペクトルにより、金属錯体の電子密度分布が金属-配位子間で非局在化することが、どの程度中心金属に依存しているのかを直接比較しました。更に、CoPPIX水溶液の窒素K吸収端XAS計測と内殻励起計算により、水溶液中のCoPPIXの配位構造の解明に取り組みました。
水溶液中のポルフィリン金属錯体のXAS計測は、自然科学研究機構 分子科学研究所UVSORの軟X線ビームラインBL3Uに、研究グループが開発した溶液XAS測定システム(8)を接続することで行いました。図1(a)に示すように、軟X線領域には、Fe, Co L2,3吸収端と窒素K吸収端があるため、金属錯体の中心金属と配位子を分離した電子状態解析が行える特長があります。
図1 : (a) 金属錯体水溶液のXAS計測の模式図。Fe, Co L2,3吸収端から金属錯体の中心金属が、窒素K吸収端からその配位子の電子状態が分かる。金属錯体への水分子の配位構造も調べた。(b) FePPIX, CoPPIX, PPIXの窒素K吸収端XASスペクトル。配位子のC=N π*ピークから、金属錯体の配位子の電子状態が分かる。
図1(b)に水溶液中のFePPIX, CoPPIX, PPIXの窒素K吸収端XASスペクトルを示します。中心金属のないPPIXには水素原子の有無による2種類の窒素原子があり、これに対応する2つのC=N π*ピーク(9)が現れています。FePPIXでは配位子の4つの窒素原子は等価になりますが、C=N π*ピークは複数存在することが分かります。これは、窒素原子の2p軌道と鉄原子の3d軌道が分子軌道をなすことによる金属-配位子間の非局在化を反映したものです。CoPPIXのC=N π*ピークは、FePPIXと比較して高エネルギー側にシフトすると共に、複数のピーク間のエネルギー差が大きくなっています。FePPIXとCoPPIXのC=N π*ピークの違いは、金属錯体のスピン状態や電子状態の違いを反映したものであることが分かりました。これまで主に行われてきた中心金属を吸収端とするXAS計測では、配位子が同じで中心金属が異なる金属錯体の電子状態の直接的な比較は不可能でした。本研究では、金属錯体の配位子の窒素K吸収端XAS計測により、金属-配位子間の非局在化の中心金属依存性を直接観測することに成功しました。
溶液中のポルフィリン金属錯体は、溶媒分子による錯体構造の変化や、溶媒分子の金属錯体への配位などが知られています。研究グループは、水溶液中での配位構造が分かっていないCoPPIXについて、窒素K吸収端XAS計測と複数の配位構造モデルに基づく内殻励起計算を行い、CoPPIXが水溶液中でポルフィリン環の4つの窒素原子と1つの水酸化物イオンが配位した 5配位構造を維持することを明らかにしました。
光合成反応などの様々な生化学現象において、溶液中や足場タンパク質中の金属錯体が重要な役割を果たしますが、溶液中の金属錯体の構造は溶媒分子の配位などにより連続的に変化します。本研究で開発した溶液の金属錯体のXAS計測では、機能を発現した状態での金属錯体の電子状態解析が可能なため、金属錯体が関わる様々な生化学現象のメカニズムの解明が期待されます。特に、窒素K吸収端XAS計測では、配位子側からの金属-配位子間の非局在化の観測が可能なため、配位子が共通で中心金属の異なる金属錯体の構造変化や物性への影響が直接観測できます。更に、溶液中の金属錯体の配位構造についてもその場観測できますので、光合成反応などの生化学現象のメカニズムの解明と共に、人工光合成系(10)などの新たなデバイス開発につながると期待されます。
(1) ポルフィリン金属錯体
図1に示すように、ポルフィリン環の中心に金属が存在する錯体構造となる。本研究で用いたポルフィリン環は、プロトポルフィリンIXである。
(2) 軟X線吸収分光(XAS)計測
2 keV以下の軟X線を試料に照射して、その透過量を計測する手法である。軟X線照射により、炭素、窒素、酸素などの軽元素の内殻電子が励起されるため、元素選択的に物質の電子状態を調べることができる。例えば、窒素1s電子が励起される光エネルギー領域を窒素K吸収端と呼び、窒素原子周辺の電子状態を調べることができる。また、Mn, Fe, Coなどの遷移金属の2p電子が励起される光エネルギーをL2,3吸収端と呼び、金属錯体の中心金属の電子状態を調べることができる。測定には高強度の軟X線が必要なため、一般的に軟X線吸収スペクトルは、加速器が生み出す放射光を用いて測定される。
(3) 金属-配位子間の非局在化
金属錯体において、金属の3d軌道と配位子である窒素原子の2p軌道が分子軌道をなすことにより、その電子密度分布が非局在化することをいう。金属錯体の配位数や中心金属の種類や酸化数により、金属-配位子間の非局在化の状態は異なる。
(4) 内殻励起計算
XASスペクトルに対応する内殻励起スペクトルを、目的の分子構造から量子化学計算により求める手法である。モデル構造ごとに内殻励起スペクトルを得られるので、実験で得られたXASスペクトルと比較することで、溶液中の分子構造を調べることができる。
(5) 光合成反応
植物が太陽光を吸収することにより、水が分解されて酸素が放出される反応をいう。多数の有機分子・金属錯体や光化学系IIタンパク質などのタンパク質が関与する極めて複雑なエネルギー・電子移動により光合成反応は進行する。
(6) 単結晶X線構造解析
結晶試料にX線を照射して、その回折パターンからその三次元構造を決定する手法である。単結晶の試料が測定には必要なため、溶液中の金属錯体の構造解析は不可能である。
(7) 足場タンパク質
複数のタンパク質に同時に結合することにより、タンパク質の間のエネルギー・電子移動の効率を制御するタンパク質をいう。
(8) 溶液XAS測定システム
軟X線は大気や液体に強く吸収されるため、溶液のXAS測定を行うには、液体層の厚さを数マイクロメートル以下にする必要があり、測定が非常に困難であった。長坂らは、分子科学研究所UVSORにおいて、液体層を2枚の窒化シリコン膜(100 nm厚)で挟んで、その厚さを精密に制御する方法を独自に開発することで、溶液のXAS測定を実現した。現在、分子研UVSORと高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリーに、開発した溶液XAS測定システムを設置している。
(9) 配位子のC=N π*ピーク
窒素K吸収端XASスペクトルで観測される金属錯体の配位子のC=N π*ピークは、配位子のC=N基の窒素原子の内殻電子(1s軌道)が、C=Nのπ*軌道に励起する過程に対応する。配位子のπ*軌道は中心金属の3d軌道と分子軌道をなすので、金属錯体の金属-配位子間の非局在化の影響を調べることができる。
(10) 人工光合成系
酸化チタンなどの光触媒を組み合わせることで、天然の光合成反応のように、太陽光から高効率に化学エネルギーを得る複合的なシステムをいう。
掲載誌:Physical Chemistry Chemical Physics
論文タイトル:” Metal-ligand delocalization of iron and cobalt porphyrin complexes in aqueous solutions probed by soft X-ray absorption spectroscopy”
(「軟X線吸収分光法による水溶液中のポルフィリン鉄錯体とポルフィリンコバルト錯体の金属-配位子間の非局在化の計測」)
著者:Masanari Nagasaka, Shota Tsuru, and Yasuyuki Yamada
掲載日:2024年9月3日(オンライン公開)
DOI:https://doi.org/10.1039/D4CP02140A
自然科学研究機構 分子科学研究所
理化学研究所 計算科学研究センター
名古屋大学 物質科学国際研究センター/大学院理学研究科
本研究は、科研費(基盤研究(B) JP19H02680, 基盤研究(B) JP22H02156)とフンボルト奨学金(JPN1201668)の支援の下で実施されました。実験は自然科学研究機構分子科学研究所共同利用研究(課題番号:19-518, 20-719)により実施しました。計算の一部はデンマーク工科大学の資源を用いて行いました。
長坂 将成(ながさか まさなり)
分子科学研究所/総合研究大学院大学、助教
TEL:0564-55-7394 FAX:0564-55-7493
E-mail:nagasaka_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
自然科学研究機構・分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7340
E-mail:press_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
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理化学研究所 広報室 報道担当
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名古屋大学 総務部 広報課
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