お知らせ
2024/10/11
お知らせ
2024年ノーベル化学賞が、ワシントン大学David Baker博士、Google DeepMind社のDemis Hassabis博士とJohn Jumper博士に授与されることになりました。
David Baker博士は「計算機を用いたタンパク質の人工設計」、Demis Hassabis博士とJohn Jumper博士は「計算機を用いたタンパク質の構造予測」の功績が認められました。特に後者は、AI技術を用いることで構造予測の精度を飛躍的に向上させたことの功績が評価され、その技術はAlphaFoldという名前のソフトウェアで知られています。David Baker博士はタンパク質人工設計の功績で受賞されましたが、構造予測研究で長年世界的なリーダーとして分野を牽引され、またAI技術を用いた構造予測手法の開発にも成功し、さらにタンパク質人工設計にもAI技術を取り入れています。
タンパク質分子の機能発現は、その立体構造が重要であり、立体構造はタンパク質を構成するアミノ酸残基の並び(配列)で決まっています。しかし、あるアミノ酸配列があったときに、どのような立体構造に折りたたむかを予測すること、また逆に、ある立体構造を考えたときに、その立体構造に折りたたむようなアミノ酸配列を人工的に設計することは、前者は折りたたみ問題、後者は逆折りたたみ問題として、半世紀以上もの間、研究者の頭を悩ませてきました。今回のノーベル化学賞のひとつの見方として、計算機を用いてこれら「折りたたみ問題」の解決へ大きく導いた成果に対して与えられたものと評価することができます。加えて、ノーベル化学賞は、David Baker博士, Demis Hassabis博士, John Jumper博士に授与されることになりましたが、今回の化学賞について深く考えると、功績の背景に多くの研究者の貢献が関わっていることが分かり、あるひとつの(またはいくつかの)発見に対して授与されたというよりも、半世紀以上の歴史の中でタンパク質科学に関わる多くの科学者が生み出してきた知識の総体の「ある到達点」に授与されたものと評価することができます。
そしてこの到達点は、これまでの生命科学研究を大きく転換しようとしています。生物学的問題を分子レベルで考察するためには、その問題に関わるタンパク質の立体構造を実験的に解明する必要がありますが、タンパク質によっては「年」という単位の時間を必要とし、これが生物学を分子レベルで解き明かす大きな垣根となっていました。しかし、AlphaFoldに代表される構造予測の技術を用いれば、数十分と短時間で精度の高い予測構造を得ることが可能になっており、この垣根は随分と低くなりました(注1※)。これからは多くの生物学的問題について、分子構造レベルで考察を加えることで明らかになる場面が一気に増えるでしょうし、計算機を用いた分子シミュレーションが大きく貢献することは間違いありません。また、従来の生物学では、ある生物の持つ構造が不明なあるタンパク質の機能を知ろうとする場合、タンパク質の機能を壊す(ノックアウト)という手法がとられてきました。しかし、これからは壊すのではなく、タンパク質の構造を予測し機能を類推すること、さらには、人工設計の技術を用いてタンパク質を改変し、その機能を調節すること、さらには新しい機能を付与することで、進化の過程で生まれてきた生物に新しい特性を付与する試みが増えることでしょう。さらにその先に、ゼロから人工設計した、自然界に全く存在しないタンパク質で生命を創成できる日が来るかもしれません。
これらの観点から本ノーベル化学賞は、生物学と化学の垣根を大きく取り払った、多くの科学者の生み出した知識の総体に功績が与えられたものとして評価されて良いかもしれません。
タンパク質の構造が高い精度で推測可能になってきたことで、生命科学の研究は、これまで以上に機能解明へと進むことが期待されます。細胞内のタンパク質の動的な構造変化(ゆらぎ)と機能発現の関係など、より複雑な系を直接観測する技術の開発は、益々重要となってきます。分子科学研究所では、UVSOR synchrotron facility(極端紫外光研究施設)がカバーする幅広い光(テラヘルツ、赤外、可視、紫外、真空紫外線、軟X線やガンマ線など)と、高次高調波レーザー光、キラル光など様々な光を組み合わせるマルチモーダル光計測技術の開発を通じて、「フォトン生命科学(仮称)」という新たな分野横断的研究を推進し、生命科学研究の新たな展開に貢献したいと考えています。
古賀信康(大阪大学・蛋白質研究所、自然科学研究機構・ExCELLS)
渡辺芳人(分子科学研究所)
(注1※) タンパク質の変異体、天然に似た配列を持たないタンパク質、新規に人工設計したタンパク質など、構造予測の精度が低いものがあること、またタンパク質の多くは溶媒条件や相互作用する小分子によって立体構造(さらには4次構造)を動的に変化させ、このような動的な構造予測もまだ難しいことなどから、実験による構造解析が不要になったのでは無いことは重要な点です。