お知らせ
2025/04/16
プレスリリース
近年、らせん状の構造を持つキラル分子中を電子が通過すると、通過した電子に巨大なスピン偏極が誘導される、との報告が相次いでいます。この現象は、「キラリティ誘起スピン選択性(Chirality-Induced Spin Selectivity : CISS) (注4)」と呼ばれ、世界中で爆発的に研究が行われているトピックです。このCISS効果には、キラルな構造内に本質的に存在する、電子とスピンの非自明な結合機構が関与していると考えられています。しかし、その傍証は多数報告されているものの、それを定量的に評価することは困難であり、CISS研究における重要な課題とされてきました。
この課題を解決すべく、今回、自然科学研究機構 分子科学研究所 協奏分子システム研究センター/総合研究大学院大学の佐藤拓朗助教、後藤拓大学院生、山本浩史教授らの研究チームは、キラルな対称性を持つ有機超伝導体に着目し、スピン軌道相互作用(注5)と密接に関連する非相反性(注6)を検証しました。その結果、超伝導状態において、理論予測値を大きく上回る巨大な非相反伝導を観測することに成功しました。特筆すべきは、このような巨大応答を、非相反伝導に必須とされるスピン軌道相互作用が非常に小さな有機物質中で発現した点です。これにより、キラリティがもたらす非自明な電子の運動とスピンとの結合が示唆され、さらにその強度が通常の有機物質におけるスピン軌道相互作用から予想される値を大幅に超えることが分かりました。また、キラリティが誘導するスピン三重項クーパー対の生成を仮定すると、観測された巨大非相反効果が説明できることも明らかになりました。本成果は、キラリティという特徴的な構造を軸に、新たな超伝導デバイスや機能性設計の指針を与えることが期待されます。
本研究成果は、2025年4月15日(現地時間)にアメリカの学術誌「Physical Review Research」のオンライン版で公開されました。
近年、らせん構造に代表されるキラルな構造は、ミクロの世界では、単なるねじれた構造という幾何学的な特徴を超えて、その中を流れる電子に非自明な影響を及ぼすことが分かってきました。特に顕著な例は、キラルな有機分子中で多数報告されている、キラリティ誘起スピン選択性(CISS効果)と呼ばれる巨大なスピン偏極現象です。通常、電流を担う電子自身のスピンが、流れる過程でどの程度偏極するか、すなわちスピン偏極の効率は、物質中のスピン軌道相互作用という相対論的効果に起因し、重い元素ほどその効率が高くなることが知られています。この点でCISS効果は、炭素や水素などの軽い元素から構成される有機物質中で観測されるため、従来のスピン軌道相互作用の枠組みでは説明がつかず、キラリティが本質的に有する非自明な電子の運動とスピンとの結合機構の存在が示唆されています。しかし、これまでの研究では、CISS効果そのものの検出の難しさ、比較対象の選択の難しさ、さらには微視的な理論モデルの欠如といった様々な理由から、キラリティに由来するスピン-電流結合を定量的に評価することが困難でした。
一方、分子系ではなく結晶系の領域に目を向けると、物質中のスピン軌道相互作用に起因する興味深い物性が数多く開拓されています。特に、空間反転対称性が破れている(反転させても重ね合わせられない)物質では、スピン軌道相互作用が電流の非相反性、すなわち一種の整流効果(物質中で電流が一方向に流れやすくなる現象)に大きな影響を及ぼします。この現象は、反転対称性の破れた構造の中でも特にポーラー型(注7)と呼ばれる構造を用いて研究が展開され、近年では、ポーラー構造を有する超伝導体においても、超伝導の揺らぎを介した非相反電流(バルク整流効果)が観測されるに至っています。さらにこれらの現象は、スピン軌道相互作用とバンド構造を組み合わせた理論モデルで実験値が定量的に再現されるまでに理解が進んでいます。
この状況は、裏を返せば、超伝導という枠組みにおいて、ポーラーな超伝導が、もう一つの空間反転対称性が破れた系である、キラル型超伝導体に対する明確な比較対象となり得ることを意味しています。すなわち、キラルな超伝導における非相反性を精査し、既に構築されている微視的理論を活用することで、キラリティに起因するスピン‐電流結合を定量評価できる可能性が生まれます。
このような背景のもと、研究チームは、キラルな結晶構造を有し、かつ超伝導状態を示す物質として、古くから知られる二次元有機伝導体である-(BEDT-TTF)2Cu(NCS)2(以下、-NCSと略称)に着目しました。-NCSの超伝導相においては、CISS効果が発現することが確認されており、キラリティと超伝導の結合を検討する上で恰好の研究対象となります。本研究では、キラル超伝導-NCSの薄膜デバイスを作製し、非相反伝導の有無を検証しました。その結果、超伝導揺らぎが存在する温度域において巨大な非相反伝導が観測されたのみならず、その非相反性の強度が既に報告されている無機系ポーラー超伝導の値を大きく上回ることが判明しました(図1)。無機系ポーラー超伝導では、その非相反性増大のために積極的に重い元素を活用していることを踏まえると、軽い元素からなる有機結晶でこのような結果が得られた点は、極めて驚異的です。さらに、理論モデルを用いた解析の範疇では、通常の有機物質のバンドパラメータだけでは観測された非相反強度を再現できず、
通常のスケールをはるかに超える有効スピン軌道相互作用と、有意なスピン三重項成分を含むクーパー対の存在が必須であることが明らかになりました。
図1 (a) 超伝導における非相反伝導の模式図。クーパー対の揺らぎが作る有限の抵抗値が、ある進行方向と180度逆の進行方向とで、異なる値を持つため、方向に応じて流れる電流値が異なる。(b)有機キラル超伝導において観測された巨大な非相反伝導。比較のため、無機ポーラー超伝導における非相反伝導の強度を右側に示した。無機系ポーラー超伝導における従来の報告例の最大値を、有機キラル超伝導が上回っていることが分かる。
驚くべきことに、このキラル超伝導体におけるもう一つの超伝導バルク整流効果である超伝導ダイオード効果も併せて調べたところ、極めて高効率の超伝導ダイオード効果が観測されました。その効率は最大5 %と有機物質としては破格に大きく、無機系ポーラー超伝導における初期の報告値(~6 %)に匹敵します。これらの結果はいずれも、キラリティが持つ非自明なスピンと電流の結合機構が、超伝導相において有効なスピン軌道相互作用として働き、電気抵抗および臨界電流に対して巨大な非相反性をもたらしていると解釈できます。スピン三重項クーパー対の混成も、この有効スピン軌道相互作用によって誘導されたと考えることができます。
他にも、スピン三重項クーパー対の存在を支持する結果が得られています。一般にスピン一重項とスピン三重項の両成分を同時に有した超伝導体では、その混成を反映し、超伝導ギャップや超伝導臨界電流が複数の成分を獲得するということが知られています。実際、同一デバイスを用いた微分抵抗の測定を行ってみると、確かに2種類の異なる臨界電流が観測され、これらの磁場に対する応答が大きく異なるという事実も得られています。これは磁場に対して強固なスピン三重項が混成した、という描像と整合する結果となっています。
今回キラル超伝導の実験を通して明らかになった強固なスピン電流結合は、従来、CISS効果を説明しうる相互作用として盛んに議論されてきたものの、その定量的評価が困難であったという未解決の課題に対し、重要な知見を提供するものです。この成果は、物理学および化学の両分野に大きなインパクトを与えるとともに、これまで主に無機物質を対象として、重い元素やポーラーな対称性を指針に新規物性やデバイスの開発が進められてきた超伝導バルク整流効果の研究に、キラリティという新たな視点を加えたことになります。今回の成果により、キラリティと固体電子物性の研究が広がりと普遍性を持って、構成要素を限定せず様々な系に展開され、新しい研究の創出を促すことが期待されます。
掲載誌:Physical Review Research
論文タイトル:"Sturdy spin-momentum locking in a chiral organic superconductor"
(キラルな有機超伝導で生じる巨大スピン軌道結合)
著者:Takuro Sato, Hiroshi Goto and Hiroshi M. Yamamoto
掲載日:2025年4月15日(オンライン公開)
DOI:10.1103/PhysRevResearch.7.023056
本研究は、JST戦略的創造研究事業さきがけ (Grant Number JPMJPR2356)、JSPS科研費 (Grant Numbers 24K01331, 23H00291, 23H00091 and 21H01032)、自然科学研究機構OPEN MIX LAB事業(OML012301)、自然科学研究機構分子科学研究所 課題研究(23IMS1101)、三菱財団助成の支援の下で実施されました。
佐藤 拓朗(さとう たくろう)
分子科学研究所 協奏分子システム研究センター/総合研究大学院大学 助教
TEL:0564-55-7347
E-mail:takurosato_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
山本 浩史(やまもと ひろし)
分子科学研究所 協奏分子システム研究センター/総合研究大学院大学 教授
TEL:0564-55-7334
E-mail:yhiroshi_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7340
E-mail: press_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
TEL:046-858-1629
E-mail:kouhou1_at_ml.soken.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
科学技術振興機構 広報課
TEL:03-5214-8404 FAX:03-5214-8432
E-mail:jstkoho_at_jst.go.jp(_at_は@に変換してください。)
安藤裕輔(あんどう ゆうすけ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
Tel:03-3512-3526 Fax:03-3222-2066
E-mail:presto_at_jst.go.jp(_at_は@に変換してください。)