お知らせ
2025/06/19
プレスリリース
分子科学研究所の西田純助教、湊丈俊主任研究員、熊谷崇准教授らの研究グループは、東京大学の大塚慶吾助教、理化学研究所開拓研究所の加藤雄一郎主任研究員(光量子工学研究センターチームディレクター)らとの共同研究により、カーボンナノチューブ(以下CNT)(注1)に光を当てたときに生じる励起子(注2)という量子的な粒子の動的な挙動を、従来の手法では達成が困難だった時空間分解能(注3)で観測することに成功しました。この成果は、超高速赤外近接場光顕微鏡(注4)と呼ばれる最先端の装置を用いることで実現されました。この装置は、フェムト秒オーダー(注5)の極めて短い赤外パルス(赤外フェムト秒パルス)を、ナノメートルスケール(注6)の極めて小さな空間に集光することにより、光と物質の相互作用を局所的に高感度で観測できる計測技術です。
CNTは直径約1ナノメートルの極めて細い半導体ワイヤとして、優れた電気・光学特性を有することから、次世代のナノエレクトロニクスや光デバイスの基盤材料の一つとして注目されています。光を照射すると、CNT内では励起された電子と正孔(注7)が静電的に結合して励起子と呼ばれる準粒子(注8)が形成されます。この励起子の生成・移動・消滅といったダイナミクス(注9)は、CNTの光吸収や発光、キャリア輸送など光電特性に深く関わっていますが、その典型的な時間スケールがフェムト秒~ピコ秒、空間スケールが数ナノメートルと極めて小さいため、従来の光学顕微鏡や時間分解測定法では、空間・時間の両面から同時に観測することが難しいという課題がありました。
今回の研究では、励起子が赤外光と相互作用する性質に着目し、可視光パルスで生成した励起子を赤外フェムト秒パルスの近接場光(注10)でプローブすることにより、励起子のダイナミクスをナノスケールで直接観測しました。これによって、CNT内部の微細な構造歪みや、複数のCNTが束状に集まったバンドル構造によって、励起子の動的な挙動、特に緩和時間が大きく異なることを明らかにし、ナノスケールの局所環境が励起子の生成と消滅に与える影響を解明しました。
さらに、赤外近接場光と励起子との相互作用のメカニズムについて理論モデルを構築し、数値シミュレーションによって実験データを定量的に再現できることを確認しました。これにより、超高速赤外近接場光顕微鏡で得られるデータを解釈するための理論的枠組みも構築されました。
この成果は、励起子の超高速現象をナノスケールで高精度に観測・解析する新しい道を拓くものであり、将来的にCNTを活用した超高速・高機能なナノデバイス開発や量子情報技術の実現に向けた基盤になると期待されます。
本研究成果は、国際学術誌『Science Advances』に、現地時間2025年6月18日付でオンライン掲載されます。
超高速赤外近接場光顕微鏡によるカーボンナノチューブの励起子ダイナミクス観測のイメージ図
カーボンナノチューブ(CNT)は、直径わずか1ナノメートルという極めて細い一次元構造をもつ半導体材料でありながら優れた光電特性をもつことから、次世代の高効率な光電子デバイスを実現する材料として注目されています。CNTに光を照射すると、電子と正孔が生成され、それらがクーロン相互作用によって結びついた励起子という量子的な粒子が形成されます。励起子は、CNTの光吸収や発光、キャリア輸送といった光電特性と深く関わっており、その生成、移動、消滅のミクロなメカニズムを深く理解し、制御することは、CNTを用いた応用において重要です。
しかしながら、励起子の空間的広がりはわずか数ナノメートル、寿命はフェムト秒からピコ秒と非常に短いため、従来の顕微分光技術ではその時空間ダイナミクスを直接的に評価することは困難でした。さらにCNTは、構造的な歪み、欠陥、隣接するチューブとの相互作用といったナノスケールの局所環境の違いによって、同一のチューブ内でも励起子の挙動が大きく変化することが知られています。
このような背景のもと、本研究では、ナノメートルの空間分解能とフェムト秒の時間分解能を兼ね備えた先端計測技術「超高速赤外近接場光顕微鏡」を用いて、CNT内における励起子の生成と消滅を高精度に計測することを目指しました。
本研究では、フェムト秒パルスレーザーと原子間力顕微鏡(AFM)を組み合わせた超高速赤外近接場光顕微鏡を用いて、化学気相成長法で単結晶水晶基板上に成長させたCNTにおける励起子の局所的な生成と消滅のダイナミクスを観測しました。これにより、基板の欠陥、CNT内の格子歪み、そしてCNT同士の相互作用により励起子の生成と緩和が影響を受けることを可視化しました。
局所的な励起子応答の観測
図1Aでは、数本のCNTが束(バンドル)状になった試料のAFM像と、異なる位置におけるポンプ・プローブ信号(注11)(時間分解赤外応答)を示しています。可視光パルス(515 nm、150 fs)によって励起された電子-正孔対がクーロン相互作用で束縛され、励起子が形成されます。この励起子は赤外光に応答し、近接場散乱信号として検出されます。探針先端に局在した近接場にフェムト秒赤外パルス(6 μm、150 fs)を照射することで、CNT内における励起子の局所的な動きを直接可視化しました。その結果、AFM像で観測される基板の欠陥周辺では励起子の赤外応答がほとんど観測されないことがわかりました。
さらに、図1Bでは基板に欠陥がない均質な領域においても、同一CNT内の位置によって励起子の時間応答に差が生じることが示されています。図1Cは、ポンプとプローブの遅延時間がゼロのときの信号強度をCNTの軸方向に沿ってプロットしたもので、約150 nmのスケールで励起子応答が局所的に変化していることが確認されました。この空間的変動は、CNT内部に存在するわずかな格子歪みに起因すると考えられます。
図1(A)(左)複数のCNTから構成されるバンドルをAFMで観察した像。中央付近に基板の欠陥(暗い部分)が確認できる。(右)バンドル内の異なる位置における可視ポンプ・赤外プローブ時間分解測定の結果。縦軸は近接場過渡信号の強度(ΔS)、横軸はポンプとプローブの遅延時間。欠陥の近傍では励起子に起因する信号が著しく弱いことがわかる。(B)(左)(A)の白点線で囲った領域の拡大AFM像。表面は均一で、顕著な欠陥は見られない。(右)この領域における異なる位置で測定した時間分解信号。欠陥がないにもかかわらず、位置によって励起子応答に明確な差異が見られる。(C)ポンプ・プローブの遅延時間がゼロのときの過渡信号強度(ΔS)を、CNT軸方向の位置に沿ってプロットしたグラフ。基板の欠陥近傍では信号が消失しており、その影響は欠陥の位置から数百nmの距離にわたって励起子の応答に変化を与えていることが示されている。
CNTの格子歪みと励起子応答の相関
この歪みの影響を定量的に評価するため、AFMとラマン顕微鏡を組み合わせた相関計測を行いました(図2A)。AFM像からは単一のCNTであることが確認されましたが、ラマン顕微鏡により、Gバンドと呼ばれる振動モードの強度とピーク位置が空間的に変化していることがわかります。これらはCNT内の局所的な格子歪みの存在を反映しています。
図2Bおよび2Cでは、ラマン強度およびラマンシフトと、近接場赤外ポンプ・プローブ信号との空間的相関を示しています。CNTの格子歪みの大きい領域では、励起子の生成が抑制されることが確認されました。これは、構造の不均一性が励起子形成の効率に直接影響を与えることを意味します。
図2(A)1本のCNTで計測した(左)AFM像、(中央)CNTのGバンドと呼ばれる振動モードのラマン強度および(右)Gバンドのラマンシフトの変化を二次元プロットしたグラフ。AFM像の高さから、1本のCNTであることが確認できる。ラマン強度およびシフトは、CNTに内在する格子歪みを反映している。(B-C)格子歪みと関係するGバンドのラマン強度およびシフトの大きさと赤外近接場のポンプ・プローブ信号の相関を調べた結果を示している。格子歪みが大きいと、励起子の応答が抑制されることがわかる。
CNTバンドルの複雑構造における励起子ダイナミクスの不均一性
さらに図3では、複数のCNTから構成されるバンドルにおける分枝構造(図3A)に着目し、励起子ダイナミクスの局所的な変化を調べました。ポンプ・プローブ測定(図3B)では、異なる分枝において励起子の寿命が大きく異なることが確認され、図3Cの時間分解信号の二次元プロットからは、励起子の消滅過程がナノスケールで不均一であることが示されました。
この不均一性は、隣接するCNTとの相互作用を通じて励起子が移動する過程に起因すると考えられます。例えば、半導体型のCNT間では励起子が移動した後も比較的長寿命を保つのに対し、金属型CNTへ移動した場合には速やかに消滅します。観測された励起子寿命の違いは、これらの相互作用や構造の違いが複雑に関与していることが反映されていると考えられます。
図3(A)分岐構造をもつCNTバンドルのAFM像。画像の中央付近でB2、B3、B4へと分かれている様子が捉えられている。(B)CNTバンドルの異なる位置で測定した可視ポンプ・赤外プローブの時間分解信号で、近接場過渡信号強度(縦軸)をポンプとプローブの遅延時間(横軸)に対してプロットしたグラフ。位置によって、励起子の寿命が大きく異なっていることがわかる。(C)同一のCNTバンドルで測定したポンプ・プローブ信号の二次元プロット。黄色で表示している箇所で励起子が発生している。励起子が消滅していく超高速ダイナミクスにナノスケールの不均一性があることがわかる。
超高速赤外近接場光顕微鏡の理論的解釈
本研究ではさらに、励起子の赤外応答を記述するための理論モデルを構築し、CNT内の励起子内部準位遷移に伴う誘電率変化を導入した点双極子モデルに基づく近接場シミュレーションを実施しました。その結果、空間分布および時間応答の両方において、実験結果との良好な一致が得られ、観測された現象の物理的解釈に理論的裏付けを与えることができました。これは、赤外近接場光と物質の相互作用を正しく解釈するための理論的枠組みを提供し、その他の低次元系にも応用できるものです。
本研究は、カーボンナノチューブ内に生成された励起子の超高速ダイナミクスを、ナノメートルの空間分解能とフェムト秒の時間分解能で直接可視化することに初めて成功した成果です。これまで平均化されて捉えられていた局所的な構造歪み、欠陥、CNT間相互作用が、励起子の生成効率や寿命に与える影響を定量的に明らかにしました。
特に、励起子をわずか10個程度という極微小なレベルで検出できる高感度計測技術を実現した点は、将来的に単一励起子の制御を目指す量子光技術やナノスケール光デバイスの開発に資する重要な一歩です。また、本研究で確立した赤外近接場による時間分解計測法は、CNTに限らず、グラフェンや遷移金属ダイカルコゲナイドといった他の低次元材料系にも広く応用可能であり、ナノ空間におけるエネルギー移動や光-物質相互作用の解明に貢献することが期待されます。
本成果は、ナノ材料科学、光エレクトロニクス、量子フォトニクスといった幅広い分野に波及効果をもち、次世代の超高速・超高感度ナノ光計測の基盤技術としてナノスケールの光と物質の相互作用についての理解を前進させるものです。
掲載誌:Science Advances
論文タイトル:Ultrafast infrared nano-imaging of local electron-hole dynamics in CVD-grown single-walled carbon nanotubes
著者:Jun Nishida*, Keigo Otsuka, Taketoshi Minato, Yuichiro K. Kato, Takashi Kumagai*
(*責任著者)
掲載予定日:2025/06/18
DOI:10.1126/sciadv.adv9584
本研究は、自然科学研究機構分子科学研究所の西田純助教、湊丈俊主任研究員、熊谷崇准教授、東京大学の大塚慶吾助教、理化学研究所開拓研究所の加藤雄一郎主任研究員(光量子工学研究センターチームディレクター)らの共同研究として行われました。
本研究は、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「時空間極限における革新的光科学の創出(JPMJFR201J)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(JP24H01209、JP22K14653、JP24K01443、JP22H01411、JP23H00262)、自然科学研究機構先端光科学研究分野(01213008)、文部科学省「マテリアル先端リサーチインフラ」事業(課題番号 JPMXP1223MS5036、JPMXP1224MS5004)の支援を受けて実施されました。
西田 純(にしだ じゅん)
自然科学研究機構 分子科学研究所 メゾスコピック計測研究センター / 総合研究大学院大学 助教
TEL:0564-55-7412
E-mail:nishida_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
熊谷 崇(くまがい たかし)
自然科学研究機構 分子科学研究所 メゾスコピック計測研究センター / 総合研究大学院大学 准教授
TEL:0564-55-7410
E-mail:kuma_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209
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東京大学 大学院工学系研究科 広報室
TEL:03-5841-0235
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理化学研究所 広報部 報道担当
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総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
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E-mail:kouhou1_at_ml.soken.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
科学技術振興機構 広報課
TEL:03-5214-8404
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加藤 豪(かとう ごう)
科学技術振興機構 創発的研究推進部
TEL:03-5214-7276
E-mail:souhatsu-inquiry_at_jst.go.jp(_at_は@に変換してください。)