お知らせ
2026/04/17
プレスリリース
理化学研究所(理研)開拓研究所坂井星・惑星形成研究室の古家健次研究員、分子科学研究所物質分子科学研究領域の杉本敏樹准教授、北海道大学低温科学研究所の渡部直樹教授らの共同研究グループは、星間空間の固体微粒子(ダスト)表面で起こる水素分子(H2)のオルソ・パラ核スピン転換[1]が、星形成領域の化学進化(原子から分子が生成される過程)に与える影響を理論的に調べました。特に、ダスト表面に吸着した水素分子(H2)の回転エネルギー差に着目して、星間環境における転換速度を評価した結果、星間空間では、ダスト表面での核スピン転換によって水素分子(H2)のオルソ・パラ比[1]の低下にかかる進化時間が大幅に短縮されることを明らかにしました。
本研究は、水素分子(H2)の核スピン状態を手がかりとした星形成環境の進化時間の推定や、惑星の材料となる分子への重水素濃縮[2]過程の理解に貢献する成果です。
本研究は、『The Astrophysical Journal』オンライン版(4月6日付)に掲載されました。
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星間空間(分子雲)のダスト表面で起こる水素分子(H2)のオルソ・パラ核スピン転換
(背景画像は©NASA)
太陽のような恒星は、星間分子雲と呼ばれる極めて低温(約10ケルビン(K):Kは絶対温度の単位、約-263℃)のガス塊の中で誕生します。星間分子雲は主に水素分子(H2)と固体微粒子(ダスト)から構成されていますが、水や有機分子をはじめとする多様な分子も存在する、化学的に豊かな環境であることが天文観測から明らかになっています。
このような環境において、水素分子は最も存在量が多く、さまざまな分子生成の出発点となる分子です。水素分子はそれを構成する水素原子核スピンの向きの違いにより「オルソ」と「パラ」という二つの状態を取ります。オルソ水素はパラ水素より大きな回転エネルギーを持ち、その差は基底状態においても170Kに相当するため、極低温(約10K)の分子雲環境において実質的に高温のエネルギー源として振る舞います。従って、その存在比(オルソ・パラ比)は化学反応の進行を左右する重要なパラメーターです。しかし、星間分子雲中の水素分子を直接観測することは難しく、オルソ・パラ比やオルソ・パラ間の転換の実態は十分に解明されていません。そのため、オルソ・パラ転換をミクロな過程として理解し、それを星間環境へ適用するための理論的研究が不可欠です。
これまで、水素分子のオルソ・パラ比は、主にダスト表面での水素原子の再結合による水素分子生成過程や、気相(物質の状態のうち気体になっている状態)中でのイオンとの反応によって決定されると考えられてきました。一方で、ダスト表面における核スピン転換も重要な過程であり、その転換速度は実験室において測定が進められてきました。しかし、これらの測定結果を星間環境へ適用する際には依然として不確定性が残されています。特に、ダスト表面に吸着した水素分子では回転運動が制限されるため、オルソとパラの回転エネルギー差[3]が気相とは異なりますが(図1)、その差が星間環境に及ぼす影響はこれまで十分に検討されていませんでした。

図1 2次元的に制限された吸着水素分子の回転運動の模式図
気相における水素分子(H2)は3次元で自由に回転でき、オルソとパラの回転エネルギー差が大きい(170K相当)。一方、ダスト表面では水素分子は回転が2次元に制限されており、気相と比べ回転エネルギー差は小さい(85K相当)。
共同研究グループは、水素分子のダスト表面への吸着、表面拡散、熱脱離、核スピン転換の各過程を統合した数値シミュレーションを行い、星間環境における核スピン転換速度を評価しました。ここで重要なのは、分子雲中では水素分子の大部分が気相に存在する点です。このため、ダスト表面でのオルソ・パラ転換速度のみからは、水素分子全体としての転換の進み方を正しく見積もることはできません。
本研究では、共同研究グループがこれまでに独自に開発してきた、気相とダスト表面の双方を考慮したモデルを用い、さらにダスト表面において2次元的に制限された回転状態にある、オルソ状態とパラ状態の回転エネルギー差をパラメーターとして、星間環境における実効的な核スピン転換速度の評価を行いました。
得られた転換速度を、ガスと氷の分子組成進化を扱う化学反応ネットワークモデル[4]に組み込み、分子雲環境における化学進化を解析しました。その結果、ガスの数密度[5]が約10,000/cm3以上の条件において、ダスト表面での核スピン転換が水素分子のオルソ・パラ比の進化を加速することが明らかになりました。
この効果が顕著に現れる温度は、オルソ・パラ間のエネルギー差に依存し、気相と同程度のエネルギー差の場合には約14K以下、ダスト表面でより小さい回転エネルギー差を取る場合には約16K以下となることが分かりました。特に、この過程は最終的なオルソ・パラ比の値を大きく変えるのではなく、平衡状態に到達するまでの時間スケールを大幅に短縮することに寄与することが示されました(図2)。
さらに、星形成過程を模擬した化学反応ネットワークモデル計算により、ダスト表面での核スピン転換を考慮すると、水素分子のオルソ・パラ比が分子雲の高密度領域において低下し、それに伴ってH3+などの分子イオンへの重水素濃縮が促進されることが示されました。

図2 星形成領域のダスト表面での核スピン転換による水素分子オルソ・パラ比進化の加速
(左)気相での核スピン転換のみを考慮した従来モデル。
(中央・右)本研究で開発したダスト表面での核スピン転換を考慮したモデル。中央のモデルはオルソ・パラの回転エネルギー差を気相中と同じ170Kと仮定。右のモデルは回転エネルギー差を120Kと仮定。横軸は温度。縦軸は水素分子オルソ・パラ比の代用として天文観測で使われるH2D+分子(重水素一つ(D)と水素(H)二つで構成されるイオン分子)のオルソ・パラ比で、H2D+分子のオルソ・パラ比は温度と水素分子オルソ・パラ比の関数として与えられる。帯は「太陽型原始星」といわれる星形成領域IRAS16293-2422における観測値。色の違いは時間の違いで、時間が経つにつれ、H2およびH2D+分子のオルソ・パラ比は小さくなる。
本研究により、ダスト表面における核スピン転換が水素分子のオルソ・パラ比の進化を加速する重要な過程であり、吸着水素分子のオルソ・パラ間の回転エネルギー差も温度環境によってはその進化に影響することが示されました。ダスト表面における回転エネルギー差を解明することが今後の実験研究の課題となります。
また、本研究で得られた知見を観測データと組み合わせることで、分子雲などの星形成領域における物理環境や進化段階のより精密な推定が可能になると期待されます。これにより、星形成領域で観測される重水素濃縮の理解が進むとともに、水素分子の核スピン状態を手掛かりとした星形成環境の進化時間の推定に対してより精密な制約を与えることが期待されます。
<タイトル>
H2 Ortho-Para Spin Conversion on Inhomogeneous Grain Surfaces. II. impact of the rotational energy difference between adsorbed ortho-H2 and para-H2 and implication to deuterium fractionation chemistry
<著者名>
Kenji Furuya, Toshiki Sugimoto, Kazunari Iwasaki, Masashi Tsuge, Naoki Watanabe
<雑誌>
The Astrophysical Journal
<DOI>
10.3847/1538-4357/ae43e3
[1] 水素分子(H2)のオルソ・パラ核スピン転換、オルソ・パラ比
水素分子には、水素原子核のスピンの向きの組み合わせの違いにより、オルソとパラと呼ばれる二つの状態がある。オルソは二つの水素原子の核スピンの向きが平行、パラは反平行の配置に対応する。水素分子の核スピン転換とは、分子中の原子核スピンの配向が変化し、それに伴ってオルソ状態とパラ状態が相互に変換される現象(オルソ状態がパラ状態になる、あるいはその逆の変化が起こること)を指す。オルソ状態とパラ状態の電磁放射(回転遷移)を介した変換はほぼ無視できる。一方で、気相中における陽子(プロトン)交換反応を通じて、オルソ・パラ転換が進行することが知られている。また、固体表面に吸着した水素分子についても、表面との相互作用により核スピンの混合が促進され、転換が起こる。オルソ状態とパラ状態の存在量の比をオルソ・パラ比と呼ぶ。
[2] 重水素濃縮
星や惑星が形成される分子雲では、さまざまな分子で重水素(D)の割合が通常より大きく増加する現象が観測される。これを重水素濃縮と呼ぶ。この現象は分子の形成環境や進化過程を知る手がかりとなり、太陽系の原始物質との化学的つながりを理解する上でも重要である。重水素濃縮の出発点となる化学反応は、分子イオンH3+とHD(水素-重水素)の反応であり、その進み方は水素分子のオルソ・パラ比に強く依存する。
[3] オルソとパラの回転エネルギー差
水素分子が自由に回転できる気相中では、オルソ状態とパラ状態のエネルギー差は約170Kである。この差は両者の基底回転状態の違いに由来し、低温環境では基底状態のみを考えれば十分である。一方、固体表面に吸着した水素分子は、表面との相互作用により自由に回転できない。極端な場合として、回転が2次元的に束縛されると、オルソとパラのエネルギー差は約85Kまで低下する。微粒子状の星間ダスト表面では、これらの中間的な値を取ると考えられるが、その詳細はよく分かっていない。
[4] 化学反応ネットワークモデル
星間分子雲の中の分子は、化学反応や、星間ダスト表面への吸着や脱離といったさまざまな物理的化学的な素過程により、つくられたり壊されたりする。これらの素過程を反応速度式という方程式に書き表し、方程式を解くことにより、分子雲環境下でどのような分子がどの程度存在するかを理論的に予測することができる。このような理論的手法は化学反応ネットワークモデルと呼ばれる。
[5] 数密度
単位体積当たりに存在する分子数を表す物理量を数密度という。地表大気の主成分は窒素分子と酸素分子であるが、それらの数密度はおよそ1019/cm3である。
理化学研究所 開拓研究所 坂井星・惑星形成研究室
研究員 古家健次 (フルヤ・ケンジ)
分子科学研究所 物質分子科学研究領域
准教授 杉本敏樹 (スギモト・トシキ)
国立天文台 天文シミュレーションプロジェクト/科学研究部
助教 岩崎一成 (イワサキ・カズナリ)
北海道大学 低温科学研究所
助教(研究当時) 柘植雅士 (ツゲ・マサシ)
(現 広島大学 大学院先進理工系科学研究科 化学プログラム 准教授)
教授 渡部直樹 (ワタナベ・ナオキ)
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業学術変革領域研究(A)「次世代アストロケミストリー:素過程理解に基づく学理の再構築(研究代表者:坂井南美、JP20H05844)」、同挑戦的研究(萌芽)「高感度非線形ラマン分光法による物理吸着水素分子の極低温量子ダイナミクスの直接観察(研究代表者:杉本敏樹、JP21K18896)」、同基盤研究(A)「新原理高次非線形分光法で拓く未踏の電気化学固液ナノ界面水研究(研究代表者:杉本敏樹、JP22H00296)」、同基盤研究(B)「極低温氷表面実験から解き明かす分子雲での酸素・窒素原子の行方(研究代表者:柘植雅士、JP24K00686)」、同基盤研究(C)「星・惑星系形成過程に伴う複雑有機分子の生成と進化の理論的研究(研究代表者:古家健次、JP25K07364)」、自然科学研究機構若手研究者による分野間連携研究プロジェクト「コヒーレントラマン分光法による星間ダストモデル表面上の水素のin-situオルト/パラ状態計測とマクロシミュレーションが拓く星形成・物質進化ダイナミクス研究(研究代表者:杉本敏樹、01312101)」による助成を受けて行われました。
発表者・機関窓口
<発表者>
理化学研究所 開拓研究所 坂井星・惑星形成研究室
研究員 古家健次 (フルヤ・ケンジ)
分子科学研究所 物質分子科学研究領域
准教授 杉本敏樹 (スギモト・トシキ)
北海道大学 低温科学研究所
教授 渡部直樹 (ワタナベ・ナオキ)
<機関窓口>
理化学研究所 広報部 報道担当
Tel: 050-3495-0247
Email: ex-press_at_ml.riken.jp(_at_は@に変換してください。)
分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
Tel: 0564-55-7209 FAX: 0564-55-7340
Email: press_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
北海道大学 社会共創部 広報課 広報・渉外担当
Tel: 011-706-2610
Email: jp-press_at_general.hokudai.ac.jp(_at_は@に変換してください。)