お知らせ
2026/05/29
プレスリリース

図1.アトムカメラの概念図。光ピンセット中に捕捉された1個の超低温ルビジウム(Rb)原子を空間的に掃引し、光パターンの強度分布および偏光分布を可視化する。
【概要】
自然科学研究機構 分子科学研究所の富田隆文助教、大森賢治教授らの研究グループは、光ピンセット*1で捕捉した、ほぼ絶対零度*2の1個の超低温原子をカメラとして用いることで、光の強度および偏光*3分布をナノメートル(100万分の1ミリ)スケールで可視化する新しい顕微観測技術「アトムカメラ」を開発しました。本研究では、光ピンセットで捕捉した単一原子を走査型プローブ*4として利用し、微細な構造を持つ光パターンの強度分布および偏光分布を、従来の光学顕微鏡の回折限界*5を超える空間分解能で画像化することに成功しました。
この成果は英国の科学雑誌「Nature Communications」のオンライン版に2026年5月29日に掲載されます。
近年、量子コンピュータに代表される量子技術の研究開発が世界的に進んでいます。この量子技術において広く用いられる光の微細な空間構造を自在に制御することは、極めて重要です。特に、レーザー光は物質の量子状態を制御する代表的なツールであり、レーザー光で作られた多数の微小な光の点や格子状の光パターンは、中性原子量子コンピュータ*6の制御に使われるなど中心的な役割を果たしています。
光学デバイスにより生成されるレーザー光の微細な空間構造を適切に制御するためには、真空容器などの量子デバイス内部で作られた光パターンを直接観測する必要があります。しかし、環境からのノイズに敏感な量子ビットなどが置かれた真空容器内部に、診断用のカメラを設置することは困難です。また、レンズ等を用いて光の様子を遠方から検出した場合、拡大光学系自体が生み出す収差*7によって、必ずしも現実の光パターンを正しく検出できないといった問題がありました。
研究では、光ピンセットによって捕捉された単一のルビジウム原子*8を用いました。プローブである原子を、光ピンセット技術によってナノメートル(100万分の1ミリ)精度で空間的に掃引しながら、原子内部のスピン状態のエネルギー変化を測定することで、各場所における光の局所的な情報を取得しました。得られたエネルギー変化量の情報から、光の強度分布を可視化することに成功しました(図2)。
さらに、スピンのエネルギーシフト量は、光の強度だけではなく光の偏光にも依存することに着目し、光の持つ偏光分布まで直接観測することに成功しました。この技術の性能評価として、レンズによって1マイクロメートル(1000分の1ミリ)ほどの狭い範囲に強く集光されたレーザー光に現れる、特殊な偏光構造を可視化できることを実証しました。強く集光されたレーザー光は、レンズを通過する前で単純な直線偏光であっても、レンズ通過後の焦点位置では円偏光を持った構造が形成されることが知られています。本技術を用いて、この特殊な偏光分布を直接観測することに成功しました(図2)。
本手法で用いられるプローブとなる原子は、レーザー冷却*9によって、光ピンセットの中で量子力学的にとり得る最も低いエネルギーの状態まで冷却されています。測定分解能は原理的に原子1個がもつ量子力学的な位置揺らぎ(本実験の条件では約25ナノメール)によって決まり、極めて小さな空間スケールでの光計測が可能です。実験では100 ナノメートル(1万分の1ミリ)以下の空間分解能を実証しました。これは、レンズなどを用いる通常の光学顕微鏡の限界である回折限界を大きく超える分解能です。

図2.アトムカメラによって撮影された光パターン画像。(左)特殊な光学デバイスで作った微細な格子構造の強度分布。(右)強く集光したレーザー光に現れる特殊な偏光分布。赤色/青色の領域はそれぞれ、画面上向き/下向きを軸に時計回りに回転する円偏光を表す。
本研究で開発された「アトムカメラ」は、従来困難だったナノスケール光構造の直接観測を可能にする新しい計測技術です。光の微細構造を高精度に計測する技術は、近年開発が活発に進められている中性原子量子コンピュータや中性原子量子シミュレータ*10において、中性原子を制御するレーザー光の構造を把握・制御するために活用されます。特に、中性原子量子コンピュータの量子ビットである原子は、レーザー光の強度だけではなく偏光にも依存してその挙動が変わるため、強度と偏光の両方を計測できる本手法は有効なツールとなります。
*1 光ピンセット
レーザー光をミクロンスケールの細さに集光することで、その焦点部分に微小粒子を捕捉する技術。1970年代にA.アシュキンによって発明された。本実験では、レーザー光を1ミクロン以下の細さまで集光することで、もっとも明るい焦点部分に原子が引き寄せられ、原子を1個1個個別に捕まえることが可能になっている。
*2 絶対零度
原子・分子の運動が止まった状態を0度とする温度を絶対温度と呼ぶ。単位はケルビン。ゼロ・ケルビンのことを絶対零度という。絶対温度0ケルビンは摂氏-273.15℃で、摂氏0℃は絶対温度+273.15ケルビン。
*3 偏光
光の波の振動方向の性質。光は空間中で特定方向に振動しながら進む。振動方向が直線的なものを直線偏光、回転しながら進むものを円偏光と呼ぶ。今回の実証実験では特に、円偏光の分布を撮影した。
*4 プローブ
測定対象を調べるために用いられるセンサー部分のこと。本研究では、単一原子そのものをプローブとして利用し、光の局所的な情報を取得した。
*5 回折限界
光は波としての性質を持つため、通常の光学顕微鏡では光の波長より小さい構造を鮮明に見分けることが難しい。この観測可能な細かさの限界を回折限界と呼ぶ。
*6 中性原子量子コンピュータ
光ピンセットで空間中に並べて捕捉した中性原子を量子ビットとして用いる量子コンピュータハードウェアの一方式。室温で動作し冷凍機を必要としない、量子ビットである原子を計算途中に移動させることができる、量子ビット数を増やすのが比較的容易である、量子ビットが情報を保持できる時間が長い、などの優れた特徴を有しており、近年、世界的に研究開発が活発に進められている。
*7 収差
レンズを通した光が理想通りに集光されず、像がぼやけたり歪んだりする現象。カメラや顕微鏡などの光学系で問題となる。
*8 ルビジウム原子
アルカリ金属原子の一つで、原子番号37の原子。原子核の周りの電子のつまった電子軌道のうち、一番外側の5s軌道に一つの電子を持つ。
*9 レーザー冷却
レーザー光を用いて原子の運動を弱め、極低温まで冷却する技術。原子の熱運動を小さくすることで、高精度な量子制御や精密計測が可能になる。
*10 中性原子量子シミュレータ
レーザー光で捕捉した中性原子を人工的に配列し、原子同士の量子的な相互作用を利用して、物質中の電子や磁性体などの複雑な量子現象を模擬する装置。通常のコンピュータでは計算が難しい量子系の解析への応用が期待されている。
本研究は、JSTムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2269)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)(JPMXS0118069021)、日本学術振興会 科研費 特別推進研究(16H06289)・研究活動スタート支援(19K23431)・学術変革領域研究(22H05267)の助成を受けて行われました。
大森研究室ホームページ https://ohmori.ims.ac.jp/
自然科学研究機構 分子科学研究所 光分子科学研究領域 大森研究室
〒444-8585 愛知県岡崎市明大寺町字西郷中38番地
E-mail:
tomita@ims.ac.jp(富田 隆文(助教))
ohmori@ims.ac.jp(大森 賢治(研究主幹/教授))
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7374
E-mail: press@ims.ac.jp