お知らせ
2026/06/26
プレスリリース
自然科学研究機構 分子科学研究所/総合研究大学院大学の長坂将成助教、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所/慶應義塾大学の熊木文俊博士研究員、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所/総合研究大学院大学の足立純一講師の研究グループは、軟X線吸収分光法を用いた固体と液体のリン酸の二重結合性の観測に成功しました。リン酸の二重結合性の変化は高リン酸化合物でも成り立つ一般的な現象であることを発見して、軟X線吸収分光法を生化学反応の詳細なメカニズム解明へ応用できることを示しました。
本研究成果は、国際学術誌『The Journal of Physical Chemistry Letters』に、2026年6月1日付でオンライン掲載されました。
細胞中のエネルギー生成や輸送などの多くの生化学反応にATPなどの高リン酸化合物が関わっています。リン酸基の二重結合性と生化学反応の関係を調べることが重要ですが、これまで有効な分析手法がありませんでした。研究グループは、O K吸収端XAS測定によるリン酸のP=O π*ピークの強度変化から、その二重結合性を調べることを着想しました。そこで、固体と液体のリン酸のO K吸収端XAS測定を行うと共に、分子動力学計算(5)と内殻励起計算(6)を用いて、リン酸の二重結合性の変化を調べました。
固体リン酸のXAS測定は、自然科学研究機構 分子科学研究所UVSORの軟X線ビームラインBL3Uで行いました。電子収量法(7)により、真空中の固体リン酸のXASスペクトルを得ました。リン酸水溶液のXAS測定は、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所フォトンファクトリーの軟X線ビームラインBL-7Aに、研究グループが開発した溶液XAS測定システム(8)を接続することで行いました。図1に示すように、固体リン酸のO K吸収端XAS測定から、NaH2PO4ではP=O π*ピークがほとんどありませんが、Na3PO4では大きなP=O π*ピークがあることが分かりました。これはリン酸の負電荷が大きくなるほど、リン酸の二重結合性が大きくなることを意味しています。内殻励起計算からも、リン酸の負電荷と二重結合性の関係を確かめました。固体のNa3PO4ではP=O π*ピークが観測できましたが、Na3PO4水溶液では、P=O π*ピークが消失することを発見しました。分子動力学計算と内殻励起計算を組み合わせた計算シミュレーションからも、Na3PO4水溶液においてリン酸への陽イオンや溶媒分子の相互作用によりリン酸の二重結合性が減少するため、P=O π*ピークが小さくなることを確かめました。
リン酸の価数変化やリン酸周りの陽イオンや溶媒分子との相互作用により、リン酸の二重結合性が変化することが分かりました。固体の二リン酸(9)のXAS測定から、リン酸の二重結合性の変化が、ATPなどの高リン酸化合物でも成り立つ一般的な現象であることを確かめました。

図1 : 固体と液体のリン酸のO K吸収端XASスペクトル。固体のNaH2PO4からNa3PO4になると、P=O π*ピークの強度が大きくなることが分かる。Na3PO4水溶液ではP=O π*ピークが消失することが分かる。
ATPなどの高リン酸化合物は細胞中のエネルギー生成や輸送などの様々な生化学反応に重要な役割を果たします。リン酸の反応性の変化は、リン酸基の二重結合性と関連があり、O K吸収端XAS測定によるP=O π*ピークからその二重結合性を観測できることを見出しました。XAS測定は、溶液中の化学反応のその場観測が行えますので、ATPの合成反応や加水分解などの高リン酸化合物の関わる様々な生化学反応のメカニズム解明への展開が期待されます。
(1) 軟X線吸収分光法
2 keV以下の軟X線を試料に照射して、その透過量を測定する手法である。軟X線照射により、炭素、窒素、酸素などの軽元素の内殻電子が励起されるため、元素選択的に物質の電子状態を調べることができる。例えば、酸素1s電子が励起される光エネルギー領域を酸素K吸収端と呼び、酸素原子周辺の電子状態を調べることができる。また、Mn, Fe, Coなどの遷移金属の2p電子が励起される光エネルギーをL2,3吸収端と呼び、金属錯体の中心金属の電子状態を調べることができる。測定には高強度の軟X線が必要なため、一般的に軟X線吸収スペクトルは、加速器が生み出す放射光を用いて測定される。
(2) リン酸のP=O π*ピーク
O K吸収端XASスペクトルで観測されるリン酸のP=O π*ピークは、リン酸のP=O基の酸素原子の内殻電子(1s軌道)が、P=Oのπ*軌道に励起する過程に対応する。
(3) リン酸の二重結合性
化学物質は、C‒C, C‒N, C‒Oなどの単結合や、C=C, C=N, C=Oなどの二重結合により構成される。リン酸H3PO4は、単結合のP‒OHと二重結合のP=Oから構成すると考えられている。
(4) アデノシン三リン酸(ATP)
3つのリン酸基が結合した化学物質であり、加水分解によりリン酸が放出されるときに、大きなエネルギーが得られる。そのため、生体のエネルギー通貨と呼ばれていて、生体内でエネルギーを貯蓄する重要な化学物質である。
(5) 分子動力学計算
分子間の相互作用を基にして、その分子配置の時間発展を計算する手法である。
(6) 内殻励起計算
XASスペクトルに対応する内殻励起スペクトルを、目的の分子構造から量子化学計算により求める手法である。モデル構造ごとに内殻励起スペクトルを得られるので、実験で得られたXASスペクトルと比較することで、溶液中の分子構造を調べることができる。
(7) 電子収量法
軟X線を試料に照射すると、試料に含まれる原子の内殻電子が励起されることで、内殻軌道が空く。空になった内殻軌道を埋めるため、他の軌道から電子が内殻軌道に遷移するが、その時に生成するエネルギーが、オージェ電子や軟X線蛍光として放出される。オージェ電子が放出されることにより試料表面が正に帯電するが、電子収量法はそれを中和するために流れる電流を測定することで行う。
(8) 溶液XAS測定システム
軟X線は大気や液体に強く吸収されるため、溶液のXAS測定を行うには、液体層の厚さを数マイクロメートル以下にする必要があり、測定が非常に困難であった。長坂らは、分子科学研究所UVSORにおいて、液体層を2枚のSi3N4膜(100 nm厚)で挟んで、その厚さを精密に制御する方法を独自に開発することで、溶液のXAS測定を実現した。現在、分子研UVSORと高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリーに、開発した溶液XAS測定システムを設置している。
(9) 二リン酸
Na2H2P2O7やNa4P2O7のように、2つのリン酸基が結合している化学物質である。複数のリン酸基が結合している化学物質を、高リン酸化合物とよぶ。
掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Letters
論文タイトル:
"Double-Bond Character of Phosphates in Solid and Liquid Phases Probed by Oxygen K-Edge X-ray Absorption Spectroscopy"
(「酸素K吸収端X線吸収分光法による固体と液体のリン酸の二重結合性の観測」)
著者:Masanari Nagasaka, Fumitoshi Kumaki, and Jun-ichi Adachi
掲載日:2026年6月1日(オンライン公開)
DOI:10.1021/acs.jpclett.6c00737
自然科学研究機構 分子科学研究所
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
本研究は、科研費(基盤研究(B) JP25K03396, 若手研究 JP24K21042)の支援の下で実施されました。実験は自然科学研究機構分子科学研究所共同利用研究(課題番号:25IMS6x54)と高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所放射光共同利用実験課題(課題番号:2023G032, 2024G126)により実施しました。計算は自然科学研究機構岡崎共通研究施設・計算科学研究センターを用いました(課題番号:25-IMS-C226)。
長坂 将成(ながさか まさなり)
分子科学研究所/総合研究大学院大学 助教
TEL:0564-55-7394 FAX:0564-55-7493
E-mail:nagasaka_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
自然科学研究機構・分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7340
E-mail:press_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
TEL:046-858-1629
E-mail:kouhou1_at_ml.soken.ac.jp(_at_は@に変換してください。)
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 広報室
TEL:029-879-6047
E-mail:press_at_kek.jp(_at_は@に変換してください。)