研究・研究者
研究者インタビュー|飯野亮太教授
Researcher interview 2019. 12
今回は、生命・錯体分子科学研究領域の飯野亮太教授にお話を伺います。飯野先生は、私たちの体内にもあるタンパク質などの生体分子に、光を散乱する標識を取り付けて、その動きを観察する研究をされています。生体分子は体の中でまるで精密な機械部品のように文字通り「動いて」いますが、小さすぎて従来、顕微鏡では見えませんでした。飯野先生はこの動きを、生体分子に「散乱材」を取り付けることによって、動画として撮影することに成功されました。この成果は生体分子機械をはじめとするナノマシンの動作解明はもちろんのこと、化学反応機構解明への応用も期待されています。
※飯野教授のプロフィールはこちらをご覧ください。
――ではまず、研究者を志した理由やきっかけを教えてください。
大学に入ったら、意外に時間があったので、一般向けの科学の本をいろいろ読みました。そして面白い本にたくさん出会いました。それらの本の著者は大学の先生でした。だから、大学の先生は素晴らしいな、自分も大学の先生になってこんな本が書けたらいいな、と思ったんです。
――では子どもの頃から研究者を志していたのではなかったのですね?
そうですね。高校の頃には、特に将来像はなかったですね。でもサラリーマンになるイメージはありませんでした。父が会社を経営していて、凄いなと思っていました。研究者はサラリーマンというよりは中小企業の社長のようなものでしょう。時間の裁量もあるし、自分の判断で方針を決められますよね。
――確かにそうですね。では、学問的に重要な出会いは大学だったんですね?
そうです。生物学という分野についても、大学で、本の中で出会ったんですよ。もともと修士までは化学を専攻していて、博士課程から生物寄りのテーマに変えたんです。高校でも生物は選択していませんでした。
――生物学の中でも、今のご専門に進まれたのは何故ですか?
修士の頃に、1分子イメージングという手法が世界的に始まりました。この分野は日本人の貢献が大きいんです。その頃、私は化学をやっていましたが、蛍光を発する分子1個が、本当に見えて、しかも動いている様子を見て、衝撃を受けました。だって化学はモル、10の23乗個の世界でしょう。だからこれをやりたいと思って、博士課程から、1分子イメージングができるところ、つまり生物物理学を志したんです。
でも、よく覚えているのは、指導教官に止められたんです。生物物理学なんていう学問はありませんよ。そんな中途半端なところに行ったら後悔するよ、って。でももう決めていたので移りました。全然後悔していません。そのとき移ってよかったと今でも思っています。でも、修士課程で化学のトレーニングをしっかり受けてから、生物物理の分野に入ったのは良かったと思います。やはり基本は分子なんですよ。
――いきなり生物物理を目指すのとは違うのですね?
生物物理は、いわゆる境界領域で、当時、既に学会はあったけれど、化学や物理をやっている人からみたら、何をやっているのかわからない感じだったと思いますね。でもその境界領域で1分子イメージングのような、全く新しいことが生まれてきたわけです。だから今の研究でも、領域の境界で、尖ったことをやるのが大事だと思っています。
――それは先生の研究哲学でしょうか?
そうです。共同研究が好きで、いろいろな人とやっていますが、実験がうまくいかないとき、異分野の人と話をすると、あっというまに解決できたりします。だから積極的に交わって面白いことをしていくのが大事だと思っています。でも境界領域は中途半端になりがちです。それではダメで、境界のどちら側から見ても面白いと言われるような研究でなければいけません。
――スキマに入っているだけでは、単にブレているだけになってしまう、ということでしょうか?
そうです。学問は、広く浅くは、あまりよくありません。しっかり自分の中に学問の芯を作った上で、広げていくのが重要です。私の場合、その芯のひとつは光学顕微鏡です。これは根本から理解しています。そして、生物物理の核は、私が修士で学んだ化学、つまり分子です。「生物物理」という名前なんですけどね。
――それでは、研究者になるには、しっかりした芯を作ることが必要なのですね。
そう。そのためには、自分が面白いと思うことをとことん追求すればいいんです。面白いと思ったら、いつでも、どんどんそっちに行けばいい。自分を信じて。なんとかなりますよ。そしてその過程で、基礎を固めるんです。基礎が固まっていないのにいろいろな分野に手を出すのはお勧めできません。
――何か一つの分野でしっかり修行してから、ということですか?
修行と捉えるより、面白いと思うものをまずどんどん深く追求していく、ということです。そしてその後、拡げていくのが良いと思いますね。
ところで、境界ということについていえば、1分子イメージングは基礎研究ですが、最近応用に使われ始めています。例えば「1000ドルゲノム」といって、1000ドルで個人のゲノムを読んでしまうような時代になりつつあります。でも、この技術の基礎は1分子イメージングなんですよ。そして残念なのは、日本は基礎では強かったのに、こうした応用分野は欧米に持って行かれてしまっているんです。
――基礎と応用の「境界」を、日本は乗り越えられなかったということでしょうか?
そうです。残念です。この産業分野は盛り上がっているんですよ。例えば高精度出生前診断技術がありますよね。これも1分子を検出する基礎技術の応用です。その分野では日本は、基礎はあるのに、貢献できていない。だから、広めに見渡して、境界を乗り越えるような事を常に考えているのが大事なんです。
――何故貢献できていないのでしょうか。個人、あるいは社会の中にある、日本人の気質のようなものでしょうか?
気質はあると思いますね。日本では職人気質が尊ばれますよね。つまり、日本では、「私しかできない」ことが凄い、でも欧米では、「だれでもできるようにする」ことが凄い、という文化の違いがあると思います。自動化、省力化など、欧米を見習うべきところは見習って、産業を振興するべきです。自分の開発した装置や技術が、他の領域で何に使えそうか、常に気にしておく必要があります。そのためには、今の社会で使われている、いろいろな技術について、限界や、ニーズを、押さえておくと良いですね。
一方で、最近はむしろ学生の方から「役に立つ研究がしたい」と言われたりします。それは良いのですが、基礎研究の面白さ、大切さを伝えていくことも大事でしょう。それも分子研の重要な役割だと思います。
――ありがとうございました。ところで、少し話が変わりますが、せっかく生物物理学の研究者とお話しできる機会ですので、一度聞いてみたかった事があるのですが......。
どうぞ。
――科学的常識としては、生命は偶然誕生したと言われていますが、どう思われますか。生命の発生には何か特別な理由があったのでしょうか。子どもから「ひとはどこからきたの?」って聞かれるんです。
ええと、生命の起源を研究するには、どこから着手すべきか、という質問と考えて良いかな。私はね、高等な生き物より下等な生き物が好きなんですよ。バクテリアとか。彼らは栄養さえあれば無限に増える。何となく生き物に見えない。精巧な機械のようです。生命の神秘とかじゃなくて、こんな精巧な機械は何故できたのだろう、という興味があるんです。昆虫だって、外部の刺激を感知して応答する、凄く良くできたロボットみたいですよね。こうした、自然が作った凄い機械を人工的に作れないか、そして作れれば、理解したことになる。これがつまり、私の研究です。
――生きているかいないか、というところに無理に神秘のベールのようなものをかけないで、こんな凄い機械がどうしてできたのか、物理や化学の延長で理解していけば良いということでしょうか?
そうです。良く怒られるんだけど、私は、あまり人間の研究に興味がないんですよ。いや興味はあるけど、凄く難しいなと思います。脳とかね。
――脳は特に難しそうですね。でも先生のお考えとしては、例えば我々の脳の中にある「意識」も、物理や化学の法則を、そのまま延長すれば理解できるだろう、という予想になりますでしょうか。だとすると、意識はコンピュータソフトのような形で実装できるのでしょうか。あるいは意識の発生には、何か我々がまだ気付いていない自然法則の発見が必要でしょうか?
うーん。どうだろう。自然法則としては、ものすごく新しいモノはないんじゃないかな。脳の神経ネットワークはとても複雑だけど、その論理回路としての繋がりが解明されれば、意識はコンピュータ上にソフトとして実装できると思いますね。私は「生物機械論」寄りなんですよ。
――見解をお聞かせいただいてありがとうございます。ではもう一つ、少し失礼な質問かもしれませんが、例えば、先生の研究分野には興味がないけれど、知的な人が、この分野の研究に触れることには、どのような意味がありますか?
そうですね、まずは、例を挙げると、最近AIが凄い、っていうじゃないですか。でも実は、計算には莫大な電力を使っている。囲碁や将棋でAIが人間に勝ったといっても、費やしているエネルギーを考えると、勝ってもおかしくないですよ。だから、AIより人間の方が劣っていると思う必要はないんです。人間の消費エネルギーは、1日にご飯を食べる量から計算できますよね。スパコンの消費電力も調べればわかります。これを比較すると、人間はとても省エネルギーであることがわかるでしょう。やはり生き物は凄いんです。私が研究している分子機械も、エネルギー変換効率が良くて、少ないエネルギーできちんと役割を果たします。
――それは科学を学ばなければ得ることのできない視点ですね。AIのニュースも、ええと、科学リテラシーがあれば......
そう、これはまさに科学リテラシーの一例です。エネルギーという共通の物差しを持てば、いろいろな物事を比較できるようになります。AIと我々自身の能力を比較するときに、消費エネルギーに対して達成した仕事、という観点があれば、AIのニュースも、もう少し冷静に受け取ることができるでしょう。
――また少し話が変わりますが、先ほど読書がお好きとお聞きしました。最近のご趣味など聞いてもよろしいでしょうか?
本を読むのは今でも好きですが、最近は忙しくてなかなか読めません。だから最近の趣味は子どもの成長を観察することです。子どもは生物的にも社会的にもどんどん変わっていく。もちろん知能も。最近まじめにやってもトランプで負けてしまいます。見ていて飽きないですね。人間的な意味でも、研究の意味でも、子どもは大きな存在だと思います。
――私にとっても子どもは大きな存在です。でも、敢えて言えば、子どもは大変なコストでもありますよね。
それはそうです。確かに、楽しいことも楽しくないこともある。でも、子どもがいると、振り回されるので、人生の「振れ幅」が増えますよね。刺激があって良いです。人生が平板なものじゃなくなる。誰かの言った言葉かもしれないけど、人生はいつも上がっているか下がっているかしていないと、退屈なんですよ。
――確かに子どもには振り回されます。では、研究生活でも「振れ幅」は重要でしょうか?
重要です。大きくすべきです。若い人は失敗を恐れるところがあって、1回失敗すると、もうダメだと思ってしまう。そんなことはないんです。研究なんてほとんど失敗です。だから、やればやるほど振幅は大きくなるものです。要は、上に振れたときに、どこまで高く行けるかですよ。その後落ちるかもしれないけどね。常にトライする。現状に満足せずに挑戦することが重要です。
――人生の振れ幅といえば、先生は多くの大学を歴任されて、分子研にいらっしゃいました。いろいろな環境を経験されたと思いますが、大学と分子研では、研究の上でどのような違いがありますか?
まずメリットとして、研究以外の業務は圧倒的に少ないです。より集中できるという点では、分子研は素晴らしい環境です。大学では研究以外にも、授業とか入試とか、重要な仕事がたくさんあります。分子研にも総研大はあるけど、それでも研究に割ける時間は多いです。一方で、分子研のデメリットを敢えて言えば、毎年、学生がどんどん入って来るわけではないので、人の入れ替わりが少ないということです。この点では振れ幅が小さくなりがちです。学生が入って来ると大変なことも多いけど、そこで起こる様々なことが、研究所にはあまりないんです。そして研究グループは固定メンバーで、だんだん皆一緒に歳をとっていく。これはあまりよくないことです。これを改善するために、分子研のミッションの一つである、人材循環が重要なんです。
――分子研は人材循環を重視していますが、それは分子研の人がよく入れ替わるから、ではなく、むしろ入れ替わらなくなりがちだから、頑張って入れ替わろう、ということですか?
そうです。その努力の方向性は正しいです。私の研究室でも、できればもう少し学生さんが入ってくるような状態にしたい。でもなかなか難しくて、まだ充分ではありません。研究室の運営で、一番よく考えることは、どうやって流動性を維持するか、メンバーがフレッシュな気持ちで研究に取り組めるためには、どうしたら良いかということです。
――では、先生はいつもフレッシュな状態を維持されていらっしゃいますか?
いや、最近はちょっと問題を感じていますね。分子研は環境に恵まれていて、良いのですが。しかし分子研に限らず、居心地の良さゆえに長居してしまって、そして最終的に不幸になる、ということはあり得ますよ。どれだけ居心地が良い「コンフォートゾーン」にいたとしても、そこを積極的に抜け出す努力が必要です。分子研は楽しく研究できるけど、いつかは出て行かなければなりません。常に変化を恐れず、むしろ変化を求めることが重要です。
――ありがとうございました。
文・構成/片柳英樹(研究力強化戦略室 広報担当)
写真/原田美幸(研究力強化戦略室 広報担当)