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研究・研究者

研究者インタビュー|山本 浩史 教授

Researcher interview 2020. 12(1 | 2 ≫next
 

電子豹変す―研究の醍醐味と運営の妙味― 山本 浩史 教授

今回の研究者インタビューでは、協奏分子システム研究センターの山本浩史教授にお話を伺います。山本先生は、有機分子を用いた新しいエレクトロニクスの開拓を目指して研究を推進されています。物質の色や導電性といった性質は、主にその物質中の電子の振る舞いが決めています。多くの物質では電子は一粒一粒勝手に動いていると考えれば概ね説明がつきます。しかしある種の物質では、周囲の空気を読んで集団行動する「強相関電子系」が出現します。山本先生はこの敏感な電子たちに文字通り「プレッシャー(圧力)」をかけるなど、様々な方法で集団行動を制御し、超伝導を思うままにオンオフできる素子の開発に成功されました。このことは高速・高効率な電子部品としての応用だけでなく、未だ説明が付かない高温超伝導の解明に繋がると期待されます。それでは本日はよろしくお願いいたします。

※山本教授のプロフィールはこちらをご覧ください。

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研究者へのみち

――どのような経緯で研究を志されたのでしょうか。

中学の頃から理科には非常に興味がありました。自分で、いつか教科書に載るようなことを研究できたら面白いだろうなと思いました。高校に入ってからは、物理を習って、それまで別々に見えていた自然現象が、数学で書かれた法則を通じて、突然繋がるという経験をしました。世の中って本当はこういう風にできていたのかと、自然科学に興味を持つようになりました。あとは、私の親も科学者だったので、そういう背景もありますけどね。

――これぞ、というような科学との出会いはありましたか。

この瞬間に、ということは特にありませんが、子どもの頃、科学の実験キットが付いてくる雑誌がありましたよね。あれは面白かったですね。また、中学になって『ニュートン』という雑誌が発刊されて、特に物理関係の記事が面白かったですね。毎月買っていました。

――その「実験キットが付いてくる雑誌」は学研の『科学』ですね。書籍以外では、いかがですか。

小学校の頃に渋谷の児童館でラジオなどを作るイベントがあって、それがきっかけで自分でも電子工作をするようになりました。『トランジスタ技術』という雑誌を買って、見よう見まねで作りました。子どもには難しい雑誌でしたが、何回も読んでいると、内容が繋がってきました。また、ちょうど当時「マイコン」と呼ばれていたNECのPC-8001などが発売されて、中がどうなっているのか、雑誌を読んで理解するのが好きでしたね。

――ではエンジニアリング的な方向もお好きですか。

ええ。エンジニアリングも、基礎も、両方好きですね。

――あまり迷われることなく、初めから理科系を志されていたご様子ですね。他の方向はお考えになりませんでしたか。

あまり考えなかったですが、教えるのは好きでしたので、教師は少し、候補でした。比較的早くから科学者になりたいなと思っていて、最初は理論物理学者に憧れていました。

――それは、無関係に見える現象同士が数学を通じて繋がること、に感銘を受けられたからですか。

そうです。例えば、物理の勉強を始めると、まず電気・磁気の実験で確かめられる「電磁誘導」を習いますね。それが後に「電磁波の波動方程式」になる。波動方程式は光も表していますので、これで電波と光が繋がるわけです。そういうとき、急に視界が開けて、今まで見えていなかったものが見えてきた感覚があります。別の例では、特殊相対論から、エネルギーと質量の等価性が出てきます。そういうとき、何だか頭がジーンとする感覚があるんですよね。これを味わってしまうと、そういうことに関わっていたいという気持ちになりますよ。

 

進展と転身

――それはサイエンスの一番本質の、内面的感動のようなものですね。一方ではエンジニアリングもお好きと聞きましたが、そうしますと、具体的な研究分野はどのように決められたのでしょうか。

物理とエレクトロニクスに興味があったので、大学に入った時は物理学科に進もうと思っていたんですが、入ってみて考え直しました。最近、朝ドラを見ていたら、「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なものだ」(※※1)というセリフがありました。その頃の私にとって、化学がちょうどそういう感じで、敢えて化学科に進んだんですよ。有機化学に進んで化合物の合成をしていました。でもやっぱり作る方法の研究より、作った先のことをやりたいと思い、博士課程で進路変更しました。

――現在の先生の研究内容からは、有機合成化学というのはちょっと意外なバックグラウンドですね。

物理は後から自分で勉強しました。でも化学を知っているのは、同じ物理をやるにしても、それを実現する手段として、凄くメリットがあると思いますね。つまり、その物理を研究する舞台として、どういうパーツが良いか。化学を知っていれば、そのパーツとして適した分子を選ぶことができます。

――でも有機化学はちょっと違う、とお感じになったのですか。

面白いと思って始めたんですが、私自身は有機化学に出てくるような「法則」には、最終的には強い興味を持てなかったんですよ。やはり物理法則に関わる方が楽しいと思いました。ただ、いきなり物理100%ではさすがに専門が違いすぎるので、有機合成も生かせるところを探しました。

――分野を変えるといろいろ大変だと思いますが、その時はどうだったのでしょう。

最初は本当に結果が出ませんでしたね。それでもやっぱり自由に研究できるのは凄く幸せでした。興味のある対象に分野を変えて、新しいことをどんどん勉強できたので、そんなに大変という感じではなかったですね。

――とはいえ、いろいろ悩みもおありだったのではと思いますが。

そうですね。有機化学の世界って、徒弟制度的なところがあるので、他の研究室に移ることが許されるのかどうか良くわからなかったんですよね。先生に怒られるんじゃないかと思って。就職も考えました。その時、研究室の助教授の先生が「君は絶対ドクターに進んだ方が良い。教授の先生は自分が説得してあげるから、希望の研究室を探してきなさい」って、言ってくれたんですよね。それで進学を志しました。

待つ力

――研究を志す人としては、希望した分野をいざやってみたらちょっと違う、というのはある種のピンチだと思いますが、先生のご経験から、そのようなときにはどうすれば良いのでしょう。

うーん。どうですかねえ。修士に進んで、あ、間違ったなと思っても、修士が終わるまでは飛び出すわけにはいかないじゃないですか。そうすると、あとは時間が解決する問題になります。私はそれに気付いて、待つことができました。じっと待つとか、根気とか、実験でも大事ですよね。実験の時って、この方向に結果があると思って、真っ暗闇の中を進んで行くじゃないですか。そういう、自分を信じて進む、根拠のない信念みたいなものは凄く大事ですね。人に相談しても良いけど、それで解決する問題ではなくて、答えは自分の中にあるんですよ。間違ったと思ったときに、自分を見失わないことが一番大事かなと思います。むしろそういう状況のときこそ、いらないものを省いていって、最後に残るのは何なのか、見えてくるんですよね。

――進路選択の後で後悔した経験のある方も多いのではと思います。そういう時に「失敗しちゃった! ダメだ!」と焦るのではなく、今は自分でよく考えるチャンスだと思うべきなのですね。

まあそうですね。これについては、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』(※1)っていう本を中学の時に読んでいたんですけど、その中に、シッダールタが遊女から愛を習う、という場面があって、遊女が「あなたは何ができるんですか」と言ったら、シッダールタが「私は、考えることと、待つことと、断食することならできます」と答えて、様々なことを実現していくんです。考える力、待つ力って凄いんだなあと。この場面が印象に残っていて、修士の時に、ここはとにかく待つしかないんだ、と思えました。

――確かに、まずいなと思うと悪あがきをしてしまいそうです。

ええ。若い時って、自分の思い通りじゃない人に対して、正義感で攻撃しちゃうじゃないですか。だけど、それって相手には何も関係ないことですよね。それなら今はとにかく待つんだなと腑に落ちたので、あまり道を間違えなかったという気がします。その時に『シッダールタ』は役に立ったのかもしれないですね。この話は仏教を基にしたヘッセの創作なので、ドイツ人の哲学が入っていて、本当のお釈迦様だったら、そんなときどうされるのかは、わかりませんけどね。

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