分子科学研究所

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研究・研究者

研究者インタビュー|山本 浩史 教授

Researcher interview 2020. 12 (Prev≪ 1 | 2 )

 

電子豹変す―研究の醍醐味と運営の妙味―

 

猜疑から真実へ

――少し具体的な研究内容についてお伺いします。先生は基板の上に物質をのせて、その電気的な特性を調べる研究をされていますが、このようなシステム自体、今までなかったものなのでしょうか。

そうですね。私が扱っているのは分子性導体というもので、分子研の初代所長・赤松秀雄先生や三代目所長・井口洋夫先生たちが作り始めた物質です。その分子性導体の、1 mmぐらいの比較的大きな結晶についての研究は進んでいたんですが、基板上で厚さ100ナノメートルぐらいの薄膜にして、電子デバイスとしての性能を評価するような研究は、私が始めた当時、ほとんどやっている人はいませんでした。

――その当時は、20世紀末頃でしょうか。その頃確か、世間を騒がせたヤン・ヘンドリック・シェーンの捏造事件が起きたと思いますが、もしかしたら近い分野での出来事だったのでしょうか。

あれは2000年の7月でしたかね。オーストリアの学会で、私もちょうどそこに参加していました。高名なバートラム・バトログ先生が凄い発表をしたわけですよ。その講演が終わった時には拍手喝采で、これならその辺の石でも全部電界効果で超伝導になるんじゃないか、みたいに、皆さん感じたと思いますね。まさにその事件の発端となる発表だったと思いますが、確かにかなり近い分野で、私も聞いていました。

――先生はまさにその場にいらしたのですね! その事件については、私は後から本(※※2)で読んで知ったのですが。それにしても、最初は誰も、その研究を疑わなかったんですか。

そうですね。バトログ先生ご自身も著名な科学者ですし、データもきれいでしたから。読まれた本にも書いてあったと思いますけど、他の研究者たちは早速、再現実験を始めました。でも誰もうまくいかなかった。きっと現場で実験をしているシェーンのところには「マジックマシン」があるんだという噂が立ちました。その頃我々は、最初から超伝導になるとわかっている物質を使って、それを一回絶縁体にしてから、シェーンが作ったのと同じようなトランジスタにすれば、本当に「石から超伝導に転移する」デバイスになるんじゃないかと思って、研究を始めていたんです。そうしているうちに、「マジックマシン」なんてなくて、実験データが捏造であることが明らかになりました。我々以外の、他の皆さんは、ああ、あれは嘘だったんだと、そこでやめてしまいました。

――ドラマのような展開ですね。世間に猜疑心が溢れる中、先生は本当のことを引っ張り出されたのですね。

そういうことですね。だからバトログ先生の発想は正しかったんです。でもその実験データがシェーンによる捏造だった。言うまでもなく捏造はいけないことで、そういうことをする人は科学の世界から出ていくべきです。でも、科学の歴史には、いろんな不思議なことが起きているのも事実です。例えば化学は、鉛を金に変えたいという欲望で、つまり錬金術として発展したわけですよね。つまり目標は嘘だったけど、金より貴重な学問体系が得られて、我々の生活が豊かになることにも役立った。科学は人間の営みですから、そんなに単純なものじゃないんだなと、科学史を紐解いていくと、思いますね。

――欲望や野心も渦巻く世界なんですね。欲望と言えば、ちょっと話が逸れますが、先生は、分子研の出版物の巻頭言(装置開発室のAnnual Report: http://edcweb.ims.ac.jp/publication.html)などで、研究における人工知能(AI)の役割について発言されていますが、欲望とか野心は、今のAIは持っていないんですよね。

今のところはそうですね。今のAIは統計学で最適解を出しているだけです。意思とか、欲とか、本当は、人間の脳は持っているわけですが、これを作り出すことはまだできていませんね。そういう意味では、今のAIは、脳の働きの一部をパワーアップするための、便利な拡張機能のようなものです。でももし本当に、意思や欲望を機械で再現できるようになると、それは恐ろしいことになりますね。そういう研究も、されていると思いますが。

――機械が欲望を持つというのは想像が難しいです。

人間の場合は、個体の利益を追求するわけじゃないですか。名誉欲とか、お金が欲しいとか。機械の場合は、何をプログラムするか、ですよね。

――人間の場合は、最終的には生存欲求ということでしょうか。

そうですね。でもAIが生存欲求を持つ理由はないでしょうから、プログラムする人の意思が反映されるのでしょう。それは今の、既に実現しているAIと、空想で語られて、恐れられているAIとの、大きな違いだと思いますね。私も小さいころからコンピューターに興味があったので、それが行きつく先はどうなるのか、結局、脳とは何が違うのか。これからの研究分野として、興味はあります。

――話を逸らせてしまってすみません。それで、捏造事件で皆失望して、研究をやめてしまった中、先生が続けられたのは何故なんでしょう。

我々が扱っていたのは、超伝導になることがわかっている物質だったので、これだったら本物ができるだろうという気持ちと、さっきも言いましたが、確信というか、根拠のない自信ですね。また、自由にチャレンジさせてくれた、当時勤めていた理化学研究所の環境も良かったと思います。

――ところで、そういった物性物理、固体物理などの分野の社会的意義を、教養のある、でも理科系は専門でない方に説明するとしたら、どのような感じでしょうか。

太陽電池、電気自動車、コンピューターが進歩して、普及していく。ドローンが飛んで、そのうち人が乗れるようになる。そういったことは、例えば一個一個の磁石がだんだん強くなっていくとか、小さな研究成果の積み重ねで、それが結局、我々の生活を変えていくわけです。固体物理や、化学はそういう意味で我々の生活を支え、そして変えていく学問であるのは間違いないです。個々の原理の説明は難しいですけどね。物質の科学は地味ですが、根底から世の中を変えていく学問だと思います。物質の力というのは凄いと思います。

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研究とマネジメント

――先生の研究哲学、スタイルについてお聞きしたいのですが、先生は日々の研究活動の中で、特に意識して行われているようなことはありますか。

研究は、一人でできれば簡単ですが、やはり現実的にはチームでやることになります。個人の学力や、根気、体力も大事ですが、チームでやっていける人間力も重要になります。基本的に、研究のできる人が、研究室の主宰者になるわけですが、いざ研究室を主宰するときに、うろたえないように、予めマネジメントを学ぶ機会があれば良いと思っています。そういうことは、科学の実験をやっているだけでは学べないので、私は本などで勉強しました。例えば『アット・ザ・ヘルム』(※2)という、研究室マネジメントの本があります。人を雇うとはどういうことか、予算獲得や論文執筆など、いろいろな仕事をチームとしてやっていくには何に気を付けるべきか、などが書いてあります。もう少し一般的には、有名な『7つの習慣』(※3)などを読んで、実践しています。分子研で研究室を立ち上げるときにも、この2冊は参考になりました。

――マネジメントの重要性を意識されているんですね。先生は研究室を主宰されているだけでなく、装置開発室 室長、研究力強化戦略室 副室長でいらっしゃいます。そういった運営に関わるお仕事は、確かに研究とはちょっと違うところがあると思います。実はその辺りのお仕事について、是非お聞きしたいと思っていました。

運営の仕事というのは研究を推進するための手段なんですけどね。運営もエンジニアリングです。元になる理屈があって、その通りにやれば、皆が気持ちよく働ける。それは皆のためになる循環を作り出す、ということです。皆が自分だけのために働いていると、そういう循環は起きません。「情けは人の為ならず」ですね。さっき挙げたような本には、もう少し理屈を付けて、このことが書いてあります。あと、リーダーは方向性を示すという重要な役割があります。リーダーが迷っていたら、皆困ります。一方で間違っていると気付いたら進む道を変える決断力も必要です。諺で言えば「君子豹変す」ですね。こういったマネジメントの初歩を、講習会などで学ぶことができれば、研究室運営が楽になって、研究成果にも繋がると思います。例えて言えば、九九のような基礎知識を知らなくても掛け算はできますが、大変ですよね。

――研究と運営では、かなり頭を切り替える必要がありそうです。両方の、しかも沢山のお仕事を、日々どのようにされているのか、秘訣や工夫のようなものがあるのでしょうか。

基本は、優先順位を付けることですかね。そして順位の高いものからやっていく。人に任せられるものは任せて、ただし結果は自分が引き受ける。ですから、自分自身は、自分が一番責任を持たなければいけないものからやっていく。あまり未来とか、過去とか、心配しないで、今できることを精いっぱいやる。それだけだと思いますね。特に子育てをしている時期なんて、忙しいですよね。工夫としては、ありきたりですがリストに書き出すことは有効ですね。書くと色々なことに気付きます。また予め、何が一番大切なのか、言葉にして書いておくと、優先順位付けを迷いにくくなりますよ。あとは、仕事帰りなどに、今日あったことを振り返ってみると、見落としに気付くことがあります。「そういえば今日ちょっと彼、不安そうな顔してたな......」なんて、思い浮かぶんですね。何故だろうと少し遡って考えると、思い当たることが出てきて、それで問題を未然に防ぐことができます。問題発生を予測する勘は、不本意ながらもいろいろ困ったことに直面して、身についてくるものだと思いますが。

 

研究の場から離れて

――研究以外の、ご趣味やご関心などについて、お聞かせいただいてもよろしいですか。

私は一つの趣味を突き詰めるタイプではないのですが......、将棋が好きなので、藤井くんの棋譜は大体全部チェックしていますね。今までにない発想の手がどんどん出てくるので、見ていて楽しいですね。

――藤井聡太さんの将棋は、やはり全然違うんですか。プロでも理解できない手を打つとか。

私も全然理解はできないんですけど、斬新ですね。指した瞬間、何が起きたんだろうという感じの指し手が出てきます。眺めているだけですが、楽しいですね。あと、最近はちょっと海に行ったりしています。私は中学校、高校と水泳部で、大学ではスキューバダイビングをやっていたので、海は結構好きなんですよ。最近、船舶免許をとって、ちょっと船の操縦を始めています。

――船の免許ですか。それはどんな免許なんですか。
小型船舶の1級です。技術さえ伴えば、陸から離れて、世界一周もできる免許です。もちろん、船もちゃんとしていないとダメですけどね。

 

書物との対話

――では最後に、もう少し、お勧めの本をご紹介いただけませんでしょうか。
私は朝永振一郎の著書が好きなんですが、特に『物理学とは何だろうか』(※4)と『スピンはめぐる』(※5)の2冊は面白かったですね。『物理学とは何だろうか』という本は、後半が熱力学の話で、これが特に面白かったですね。『スピンはめぐる』は「ディラック方程式」というものについての話です。量子論と特殊相対論を合わせると、何故かそこに、表題の「スピン」が生まれ、それまで関係ないと思っていたことが突然くっついて、世の中はそういうふうにできていたのか、とわかる。そういう瞬間に、科学者たちの考えていたことが、人間的なところも含めて、生き生きと書かれています。数式も出てきますが、飛ばして読んでも大丈夫です。
あとは、いろいろ小説も読みます。夏目漱石は全般的に好きですが、特に『三四郎』(※6)は好きですね。漱石は他の作品の中で「高等遊民」という言葉を使っていますが、『三四郎』にもその考えが出てきます。サイエンスも文化の一つじゃないですか。そういうのは楽しんでやらないと、成果も出ないですよね。ありがたい話ですが、給料をもらって遊んでいるようなものです。『三四郎』を読むと、そのぐらいの遊び心のある人たちが文化を醸成させていくのでは、という考えが伝わってくるような気がします。漱石って日本と西洋の文化がぶつかり合って、お互いの矛盾が噴出するようなところで、凄く考え抜いて、苦労した人だと思うんです。それが小説として昇華されていて、非常に面白かったですね。

――文化の発展にはそういう人たちが必要なんですね。でも、分子研の研究者を見ていると、確かにそういう面も感じますが、お仕事としては大変お忙しいですよね。とても給料をもらって遊んでいるようには見えませんが。
それはまあ、仕事なので当然、しょうがないですけどね。漱石の高等遊民も基本はニートなので、生活力は無いんです。だから職業として成立させるための苦労はしないといけない。ただ、そんな中でも、その精神を忘れちゃいけないなと思っています。心の余裕がないと、新しいサイエンスは出てこないです。あまりに忙しくて、目の前のことしか見えなくなって、ちょっとまずいなと思ったら、切り替えも大切ですね。そういうときに『三四郎』に出てくる広田先生のイメージが参考になっています。

――ほかにはどのような小説を読まれるんですか。
 最近だとドストエフスキーが面白かったですね。『罪と罰』(※7)や『カラマーゾフの兄弟』(※8)。とても長い小説ですが、飛行機の待ち時間に読んだりしていました。ドストエフスキーは心理描写が凄くて、「心のひだ」というものが、確かにあるんだなあと思います。研究室の人と話す時でも、相手がもやもやして、思っていることを表現しきれないようなとき、いろいろな可能性を探って、こちら側でそれを表すような言葉にしようとする。そんな時には、ドストエフスキーの、あのくどい表現を読んでいると、ここまでくどくても良いんだな、という視点がもらえて、ちょっと役に立ったかもしれないですね。

――先生は分子研の出版物などに寄稿されていますが、読むたびに正直なところ感銘を受けています。それにはやはり、こうした教養のバックグラウンドがあったんですね。

ははは。それはどうですかね。でも、読書はいろいろな気付きが得られますね。今自分の抱えている問題を、周りの人に相談しても、それで解決するかどうかわからないですよね。相談して意見をもらってしまうと、やっぱり全く参考にしない、というのも難しい。だけど本の中に、自分から訪ねていくと、昔の人が、同じような悩みを抱えて、いろんなことを考えているんです。そういう人たちと出会い、その思考に触れることができます。本であれば、そこからヒントをもらうのも、もらわないのも、こっちの自由ですからね。以前、「想像力と数百円」(※※3)みたいなキャッチコピーがあったと思いますが、本当に、数百円払えば、そこに凄く大きな世界が広がっていて、それを疑似体験できるわけですよ。もちろん生身の世界も楽しいですけど、そうした本の中の世界というのも楽しいと思いますよ。

――いろいろな分野の本をご紹介いただいてありがとうございます。本日はありがとうございました。

 

山本先生のお勧め図書一覧(お勧め理由は本文をご参照ください)


(※1) 『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二訳(新潮文庫 1959)他
(※2) 『アット・ザ・ヘルム -自分のラボをもつ日のために- 第2版』キャシー・バーカー著 濱口道成訳(メディカルサイエンスインターナショナル 2011)
(※3) 『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』スティーブン・R・コヴィー著 フランクリン・コヴィー・ジャパン訳(キングベアー出版 2013)他
(※4) 『物理学とは何だろうか(上・下)』朝永振一郎著(岩波新書 1979)
(※5) 『新版 スピンはめぐる -成熟期の量子力学-』朝永振一郎著(みすず書房 2008)
(※6) 『三四郎』夏目漱石著(新潮文庫 1948)他
(※7) 『罪と罰(全3巻)』フョードル・ドストエフスキー著 亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫 2008)他
(※8) 『カラマーゾフの兄弟(全5巻)』フョードル・ドストエフスキー著 亀山郁夫訳 (光文社古典新訳文庫 2012)他

筆者注:
(※※1) NHK連続テレビ小説『エール』第5話
(※※2) 『論文捏造』村松秀著(中公新書ラクレ 2006)
(※※3) 「新潮文庫の100冊キャンペーン」糸井重里(新潮社 1984)

文/片柳英樹(研究力強化戦略室 広報担当)
写真/原田美幸(研究力強化戦略室 広報担当)

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