研究・研究者
研究者インタビュー|杉本敏樹准教授
Researcher interview 2020. 03<前編は こちら>
――やはり出会いが重要なのですね。では、先生のご経歴から、後進へのメッセージやアドバイスをいただけませんでしょうか。
学部生・大学院生にかけて固体内部(バルク)の物性物理学、表面物理学と研究分野を変えてきましたが、助教時代には更に表面化学分野に転身して研究しました。表面物理学と表面化学は似て異なる分野です。2012年の松本研着任後の1年目は、とにかくこれまでと異なる研究手法や専門用語が飛び交っていて、それらに一通り慣れるのに精いっぱいでした。「自分がこれまで培ってきたものの中で、何が今後の松本研の発展に活かせるのか?」「学生指導面では、多くの実験手法については実質的に自分はむしろ学生から学んでいるという状況において、どのような観点で学生に接することで彼らをより良く導いていくことができるのか?」「即戦力にならない自分を助教として拾って下さった真意はどこにあるのか?」等について自問自答しながら過ごしていましたね。2年目くらいから、研究面も学生指導の面も自分の中の方向性がしっかり固まってきて、その甲斐もあって、学生達も松本研も自分も大躍進を遂げることができたと自負しています。
[松本先生との一枚] 2016年7月26日に、松本吉泰先生と共に京都大学広報室で研究成果の記者会見を行った時の写真。 通常の液体の水や氷は水分子の向きがバラバラなのですが,白金の表面では水分子の向きが揃った特殊な性質を持つ結晶氷が容易に形成される事を実証したことに対する報道です。 |
研究分野を変えると、それまでの専門分野の知見をベースに新しい研究分野にチャレンジできるので、ずっと同じ分野をやってきた人とは異なる斬新な目線・アイデアを持つようになります。逆に、新しい分野にチャレンジすることで、それまでに研究していた自分の専門分野を異なる観点から眺め直すことも可能になります。私は、研究者は独自性が重要だと思っています。それには多角的なものの見方が大切で、分野を適宜変えながら新しい事にチャレンジすることによって養うことができるものなのだと思います。私は、図らずもとても良いタイミングで研究分野を変更することができて、それが今にとても活きていると思っています。もちろん分野を変えると、短期的なデメリットはたくさんあります。新分野に挑戦し研究を立ち上げている時期は、いわば田畑を耕して種をまき水をやる時期に相当し、論文(収穫)は出ないです。しかし、田畑を事前にしっかり耕してメンテナンスをしている分、3~5年程度のスパンで考えれば、収穫期に実る成果も豊富で質の高いものになり得ます。
――先生のお話をお伺いすると、偶然の幸運がとても大きいように聞こえますが、もちろん大変な努力をされたのですよね。例えば若い方で、チャレンジ精神で分野を変えると、うまくいかなくなることも多いと思います。その場合どのように努力していけば良いのでしょうか。
先ず、基礎に立ち返って勉強し考え直すことが極めて大切だということは言うまでもないですよね。その上で、私は、本や論文を読み込みすぎるのも実はあまり良くないと感じていまして、適度なタイミングで自分が志す分野で活躍している人と知り合いになることがとても大切だと思っています。一流の研究者と話をすることで、その分野で活躍している人の興味や考えをできるだけ早い段階で的確に把握することができ、それがとても大きなメリットになると思っています。ですが、他人の考えを鵜呑みにするのではなく、それに対する批判や自分のアイデアなどをつけ加えて分野全体を再度眺め直すことが真に重要なプロセスです。このフェーズにいち早く到達することが先決だと思います。つまり、あるトピックについて研究者間の対話を通じて分野の全体像を早く的確に捉え、更に自身の興味や経験とも照らし合わせながら、自分が次に真に打つべき手を考えるということですね。その打ち手を思いついたら、それが世界的に本当に新しく意義あるものなのか否かを、本や論文を幅広くかつ深く読み込みながら再度考察を深め直すという感じです。そうした事から、人とのコミュニケーションもある程度は大切にした方がいいと思っています。そして、その中で自分の研究アイデアが70%程度妥当そうだと判断できたならば、たとえ100 %妥当か否か判断できなくても勇気をもって行動に移すのが良いと感じています。ただ、注意したいのは、単なる見切り発車で動き出すのではなく、自分なりに緻密に考え抜いた結果としての70%程度の段階でなるべく早く力強く行動に移すことが大事だと思います。このバランス感覚が大事だと思いますね。
――難しい状況であるほど、コミュニケーションを大切にすることを意識する、ということですね。うまく行かなくなると、逆に、一人で悩んだり、引きこもりがちになりそうですね。
そうなんですよね。一人でじっくり考えて解決する力は当然ながら大切なんですけども、クリエイティブに考えるというフェーズを超えて悩み込んでしまうフェーズに入ってしまった場合には、いろいろな人と話をすることが重要だと思います。すぐに解決に結びつかないかもしれないけれど、話をしているうちに斬新なインスピレーションが湧いてきたり、異なる切り口から解決を図ろうとする創意工夫が生まれてくると思いますよ。
――では人見知りタイプの人はどうすれば良いでしょうか。
そう切り替えされますか(笑)。そうですね、社交の得意不得意は研究者同士の交流の幅の広がり方に関係してくると思うので、人見知りタイプの人は多少は苦労するかもしれませんね。でも、研究者としてのコミュニケーションでは、所謂"おしゃべりの上手下手"よりも、その人が"研究者として備えている造詣の深さ"の方が遥かに大事になると思いますので、おしゃべり自体が必ずしも得意でなくても、質の高いコミュニケーションは十分に取れるのではないでしょうか?特に、研究者の場合はサイエンスという共通言語、つまり物理学や化学の各分野においてある程度は共通の基礎的な考え方が普及していますから、自分が愛し信念を持っているサイエンスの共通言語を通じてのコミュニケーションは必ずできると思います。まあ、もしもそれすらもできない、しようとしない人であれば、研究者にはあまり向いていないのかもしれませんけどね。実際に、研究成果を生んだ後には、成果を発信するための深いコミュニケーション能力が必須になってきますからね。口頭にしても、文書にしてもですね。普段からいろんな背景を持つ研究者の人たちとサイエンティフィックなコミュニケーションがとれていないと、例えば論文の読者やレフェリーが自分の原稿を読んでどう感じるのか、どういうレスポンスがありえるのかを予測できなくなってしまうので、本当にインパクトのある切り口で良い発表をしたり論文を執筆するのは難しいかもしれないですね。そう考えると、一人で引きこもるという選択肢は、実質的にはあり得ないのかもしれませんね。
――ここからは、ご趣味や、研究以外のご関心なども含めてお話いただけませんでしょうか。
そうですね、私の趣味はジョギングですね。手軽にできますし、汗をかいた後はすっきりします。スポーツは全般に好きなのですが、特にジョギングは、一人で、どんな時間でも気が向いた時にできるのがいいですね。
――スポーツとして、フルマラソンに出場されたりするんですか。
最近はジョギングする頻度が減ってしまっていてフルマラソンに挑戦できるレベルじゃないんですけど、学生の時に出たことがありますよ。D3のときに、これから博士論文をまとめていこう、というタイミングでしたね。私は通常よりも半年早く夏に学位を取得すると決めていたこともあって、博士論文をまとめるという途方もないワーク、大きな壁を何とかアクティブに乗り越えるために、ここはまずは趣味のジョギングで、フルマラソンを乗り切らないといけないんじゃないかと勝手に思い込んでいました(笑)。趣味のジョギングでフルマラソン程度も乗り切れないようではアカン」と、「そんな体たらくでは博士の学位を早く取得するなんていうことはとうてい無理ちゃうか」と勝手に奮起して、近隣の研究室の博士研究員の人を誘って一緒に練習して出場しました。
――半年早く卒業というのは何故ですか。
D3の春から、DC2(博士課程在籍者が応募できる区分の日本学術振興会(学振)特別研究員)に採用されましたので、半年早く卒業すれば、早く博士研究員(PD)になることができました。今とは違って、当時はDC2からPDになると給料が上がったんですよね。D3の段階ではそれなりに研究成果も出ていたので、ぐずぐずしないで早く卒業して、夏からは学生ではなく博士研究員として次の新しい研究を始めたかったんです。そこで福谷先生と相談したところ、学位の審査基準はクリアできているはずなので、「挑戦してみたらいいんじゃない?」という後押しをしてもらえたわけです。
ところでちょっと長くなってしまうのですが、学振特別研究員のことで学生さん達に是非とも伝えたいことがあるのですが、そのことについても話をしていいでしょうか?
――はい、もちろん。お願いします。
私は、DC1(修士課程2年で応募する区分の学振特別研究員)は不採択だったんです。審査結果も良くありませんでした。学部の時と大学院では研究室が変わって新しい分野に挑戦していましたからね。とにかく、自分が思う「今後はこの研究をやらなアカン!」という熱い想いを申請書にぶつけてみたのですが、所謂スタンダードな型にはまった行儀のいい書き方からかけ離れてしまって読みにくい書類になっていた事と、当時はまだ成果が出ていなかった事で良い評価を得られませんでした。当時は、想いをぶつけた提案が不採用になってしまったことが大変ショックでした。また、「学振に採択されやすくなるように、事前に研究業績を得やすい研究テーマに取り組んでおくべきだったんじゃないか?自分の研究テーマ選びは失敗だったんじゃないか?」と自問自答する日々が続きました。M2の秋頃のことですかね。そのように落ち込んでいた時に、福谷研に日常的に出入りしておられた村田好正名誉教授(福谷先生が助教をされていた時のラボの教授)が、朗らかに次のような事を私におっしゃって下さいました。
「う~ん、僕が審査員だったら、申請書を初めて書くM2の春の段階でいくつも研究成果があるような人は先ず真っ先に審査対象外としますね~。そんな人は、ラボの先輩のテーマをただ引き継いで研究しているだけか、長期間挑戦する要素があまりない瞬発的な小ネタの研究をやっているだけのことが多いと思いますからね~。若いうちは、目先の成果を得ようとして打算的な研究に走ってしまわずに、本当の興味の赴くままにじっくり様々な試行錯誤や失敗を繰り返す人になって欲しいですね~。一度しかない人生なんだから、独創的な研究成果を挙げることを夢見て、将来本当に必要となる研究の実践力をしっかり磨いて欲しいですね~。だから、杉本君がまだ成果が無いのは大きな挑戦をしている確固たる証拠で、そういう人は将来的に大成する可能性があるから、学振に落ちたことは全く気にする必要無いと思いますね~。そういう人を落としてしまうような審査方式は、本当は良くないと思いますね~。」
村田先生のモノマネをしながら覚えている内容をほぼそのまんまお伝えしましたが、表面科学分野を牽引してこられたこの巨人の大先生が、若輩の自分では考えが全く及ばなかった視点からアドバイスを下さったことに当時の私は大きな衝撃を受け、大泣きをしてしまいました。今でもその時のことが鮮明に記憶に残っていますね。私は村田先生に大きく励まされ、周囲のライバル的な存在の学生が多くの成果を出す中で、心を腐らせることなく試行錯誤を重ねて研究に没頭することができました。今となっては、そうした学生時代に長く下積み経験を積むことは、その後に開拓的な研究成果を得ることに大きく繋がり、競争の激しい中で魅力的な助教・准教授のポストを勝ち取ることができるようになった秘訣なのではないかと思っています。
[村田先生との一枚] |
そうした経験を踏まえて、これは後進へのアドバイスでもありますが、DC1への応募は研究者を志す学生にとって一つの落とし穴になり得ると思います。研究分野によって多少は背景・事情が異なるかもしれませんが、私は少なくとも次代の基礎科学をリードする研究者を目指すのであれば、これに採択される事に主眼をおいて目先の研究実績を積むことを主目的とするような小手先の研究に手を染めることはやめた方が良いと考えています。大学の教員になってから、自分のアイデアがほとんど入っていなくてすぐに成果が出るような小さな研究成果を引っ提げてDC1に通ったことを喜ぶ学生さんが一定数いらっしゃることに驚きました。研究室の戦略としてそのように指導している教員も結構おられて、また、後輩にそのようなアドバイスをしている博士課程の学生さんも結構いらっしゃることにビックリしました。それでは、その学生さんが研究者として荒波を生き残っていくための馬力・底力・多感な感性を養なうチャンスを奪ってしまう事になりかねないですよね。『三つ子の魂百まで』という言葉がありますが、私が知る多くの先生方や先輩・同期、あるいは教員として接してきた学生さん達の中で、大成してこられた方はほとんどの場合、1年ちょっとで直ぐに成果が出て論文になるようなこじんまりした研究テーマではなく、成功を夢見て失敗をおそれずクリエイティブに試行錯誤を継続し、あるきっかけで光明が見えて研究が大きく軌道に乗ってくるというような経験をされているように思います。そうした泥臭い経験の中で、研究者として生きていくための実行力・実戦力・勘所を養ってこられた方だからこそ大成できるのではないかなと感じます。この考え方については、すべての学生さんに対して無条件に当てはめることができるわけではないですし、時折反論される方がいらっしゃることも承知しています。ですが、学生時代は本来は"失敗"が許されるはずのものですので、単に先生の指示や研究室の方針通りに研究するだけではなく、研究の中で湧いてくる自分の考えや興味関心に基づいていろいろな事にチャレンジして欲しいなと私は願っています。
――大学院で異動された上で、そういう経験を経ながら短縮で学位取得というのは凄いですね。遠くまで見通されていたのですね。
いえいえ、そうしたことは、博士課程に進学するまでは全然見通せていなかったんですよ。東大の物理工学専攻には優秀修士論文賞というのがあって、それをとりたいと修士1年の夏に思ったんですが、何しろ福谷研では新しいことに挑戦していたので、実質的に実験データが出はじめて軌道に乗りかけてきたのは修士論文発表会の1~2週間前でした。だから修士の研究という意味では、ベストは尽くしたけれど、予備的なデータばかりでしたし、得られた直後の結果についての考察も間に合っていなかったので発表の完成度自体はそれほど高くなかったと思います。修論審査をご担当された先生方には、粗削りながら博士課程で何か成し遂げたいという信念と気迫だけは感じてもらえたんじゃないかなとは思いますが(笑)。そういう事で、優秀修士論文賞を取れなかったことに対しても非常に悔しい思いをしましたが、福谷先生の部屋で「内輪の賞を取った取らないの出来事でいちいち一喜一憂することはないよ。もちろん取れるに越したことはないが、取れなくても何も問題ないと思う。今ようやく研究者としての基礎ができかけてきた頃じゃない?これからのもっと大きな成功と発展を目指そうよ!」と激励されました。その日の夜は、研究室の隅の机で一人ずっと泣いてしまったのですが、その翌日からは気分がスッキリしてまた研究に励み直したことがもう10年以上も前で懐かしいですね。このように、修士の2年間だけを見ると、私の研究ペースはむしろ遅かったんですね。短期的には多くのライバルに負け多くの挫折も味わいました。ただオリジナリティ自体は高かったので、一旦軌道に乗り出すとその後どんどん新しい成果やアイデアが出てきて、大躍進できたように感じます。
研究分野を変えることは、最初は不利に感じることもあり苦しい時期が続くかもしれませんが、独自の着想が得られますし、既存の研究分野のお作法みたいなものから脱却して、複合的な目線を養うことができます。ですので、結果として、中長期的なスパンでは独創的な成果が出やすくなるのではないかと思います。はじめの2~3年は不利かもしれないけれど、5年から10年ぐらいのスパンで考えると不利にはならないのではないでしょうか?離陸するまでは確かに大変だけれども、誰も到達できないような遠くまでしっかり飛んで行くためには、まず地上でしっかりと整備・準備して燃料を積み込み、そこから焦らず最高速度までちゃんと加速した方が良いということではないかと思います。
――離陸する前の苦しいところで、ダメだと思って諦めず、離陸まで頑張るにはどうすればいいでしょうか。
うーん、それはもう自分を信じましょう(笑)。ある意味、たとえ根拠がなくても自信を持てるかどうかにかかっているんじゃないでしょうか!それから、身近に凄く成果を出している人がいる場合に、何か一つでも自分の方が勝っている部分を見つけて、「あいつよりも自分の方がここが優れている!」とか、「あいつは凄いジャーナルに成果が載ったらしいけど、所詮はボスの言いなりのテーマじゃないのか!」などというように、自分の心の中で叫んでみるのも、メンタルのバランスをとるためにはありかもしれませんね。ただし、面と向かって発言してしまうと喧嘩になりますので、心の中で思うだけで、実際の発言には気を付けましょうね(笑)。
――それはつまり、まだ滑走路にいるうちから、人と比べて負けているなどと思わない方が良い、ということですね。
まさにそうです。それを言いたかったんですよ!その段階では自分が負けているなんて思っちゃだめで、自分はこれから高く飛び立つんだと強く信じ思い込むことが大事ですよね。自分は、周りと比べてまだ飛び立てる速度に達していないだけなのだと。分野を変えて得た自分の翼は重く飛び立ちにくくて、人よりもスピードをつけなければ離陸できないけれど、その翼は丈夫で安定感があるものになっているから、いざ飛び立てたらいい感じに上昇できて凄いよ、という感じです。自分より先に飛び立っていく人たちを見て卑屈になって、負けているなんて思っちゃダメです。まあ、人によっては本当に失敗してダメになってしまう可能性もあるかもしれないですけれど、その時はまた別の事に挑戦すればいいですよね。僕の場合は、研究の世界でダメだったらお好み焼き屋さんをやろうと修士のころからずっと思っていますし。人と喋るのも好きなので。