研究・研究者
研究者インタビュー|杉本敏樹准教授
Researcher interview 2020. 03 <前・中編はこちら>
――大変勇気の出るお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。では、少し話が変わりますが、せっかく水を専門にされている研究者とお話しできる機会ですので、一度聞いてみたかった事を質問させてください。水は身近で、生活や健康にも関わっていて、興味のある方は多いと思います。一方で擬似科学の主役の一つだったりもします。科学を専門とされない方々に、そのような水について語るとしたら、どのようなお話でしょうか。
水分子が面白いと私が感じるのは、最も身近な分子であり、空気(湿気)があればどこにでもくっついている、いう点です。例えば、湿度が高いと暑く感じるのも、水分子が皮膚に数分子層付着することで熱の伝達がし易くなって、空気の暑さが皮膚によく伝わってしまうためですよね。他にも、物体と物体の間が僅かにでも水で濡れていると滑りやすくなるなど、機械的な特性が変わることも身近に感じますよね。生命現象でも、タンパク質やDNAは水がないと機能しませんよね。水がないと私たち、死んじゃいますよね。でも、普通の水と、そうした重要な機能に関わるような環境にある水がどう違うのか、水分子同士がつながる結合を水素結合と習いますが、実際にどのような水素結合で繋がって特殊な機能を発揮しているのか、よくわかっていないんですよ。これを分子レベルの視点、つまり微視的な観点で明らかにしたいと思っています。今、何か目の前で水分子が特殊な機能を発揮していたとして、その機能の鍵になる繋がり方、つまり機能の本質を担う特殊な水素結合の仕方が分かったとしたら凄くないですか??そのような特殊な水素結合をもっと効率よく形成させて積極的に活用していくような物質表面のデザインも可能になりますよね?水の機能をよりよく活かして引き出すことができれば、水は身近な分子だけに、非常に影響力が大きくて、より豊かな生活のための新しいテクノロジーの創出に貢献できるのではないかと思っています。
――生命現象等において水の存在が大事だということは、事実としてはおそらく誰でもわかっていると思いますが、でもそれがどうして大事なのかは意外にわかっていないんですね。
そうだと思いますね。それを微視的に理解できれば、例えば固体表面と水分子の相互作用についてきちんと理解できれば、水分子がとても付着しやすいような微粒子や全く付着しない微粒子を作り分けられるようになるのではないかと思います。もし、水分子が異常に凝縮しやすくなるような微粒子を開発することに成功すれば、例えばそれを大気上空に噴霧することで湿度が低い環境でも水が凝縮しやすくなってまとまった雨が降るようなことが有り得るかもしれないとか、何だか擬似科学みたいになってきたけど、物質の表面や界面における水分子の振る舞いを理解できれば水が関与するいろいろな現象・技術に応用できるようになるのではないかなと思っています。分かりやすいと思って話しましたけど、ちょっと擬似科学っぽすぎる例でしたかね(笑)
――擬似科学のような、あるいはそれこそ手品のような科学ができるかもしれないんですね。それにしても、水は化学では主要テーマの一つに思いますが、あまりわかっていないのですね。
巨視的な、液体の水については古くからよく研究されていると思いますが、表面や界面を作っている物質と、そこに付着した水分子の多体系の間で、どういう特殊な相互作用が創発されて水の機能が発現するのか、微視的な観測はかなり難しくて、まだわかっていないことが非常に多いんですね。そもそも表面・界面の分子、さらに、そこにくっついている分子の数は、物質の内部に存在できる分子数と比べて圧倒的に少ないので、表面・界面の分子を観測しようとしても観測可能な程の強い信号が得られないというような問題にも直面しますし。また、水は極性分子なので、どっちを向いているかが重要になってきますけど、それを知るためには水、H2Oの、Hつまり水素の位置を特定する必要がありますよね。しかしこの水素の観測がめちゃ難しいんですよ。水素は、電子が一つしかないので、光で見ようとしても、光は電子に作用するので、ほとんどの場合は電子数の多い酸素の方を見てしまうためです。そうしたことから、微視的に水素結合を本当の意味でよく知ろうという研究は、これからなんです。水分子が置かれた特定の環境には、その環境独自の水素の振る舞いがあるはずですが、それがどのようなものなのか、具体的に観測するのはこれからの大きな挑戦課題なんです。
――水が働いている真の姿は、今まで、わからなかったのですね。
例えば、水を分解して水素と酸素を発生させる、光触媒というものがあります。そこで最終的に起きている反応は、化学式としては「H2OがH2 と 1/2 O2になる」と書くことはできます。しかし、触媒表面に水がどう吸着したら反応性が高くなるのか、といった、化学式では書けないような「反応素過程」が、本質的に重要になってくるのです。例えば、「表面上で事前にOHに解離吸着したものが光触媒反応に直接関与するのか?あるいは分子状のH2Oで吸着したものが光触媒反応に直接関与するのか?その場合に水分子がHを表面側に向けて吸着した方が良いのか?はたまたOを表面側に向けて吸着した方が良いのか??」などといった事も殆ど分かっていないのが現状なんです。そうした反応活性種の起源を微視的に探り、それがどのようなダイナミズムで水素・酸素発生反応に至るのかを解明することは現在でも最先端の研究課題なんですよ。水の存在している固体と液体の界面は、まさにそういう重要な反応素過程の宝庫だと言えます。22世紀に向けて解明していくべき極めて重要な基礎研究分野の一つだと私は確信しています。
――巨視的な系での素過程の絡み合いはとても複雑で、精密な理解は極めて難しいと思いますが...
そうです、そこにいかに切り込んでいくかということですよ!それこそが、水のサイエンスを開拓する醍醐味だと思っています。分子研では、表面・界面という特殊な環境下で多体の水分子が織りなす特別な水素結合の正体を明らかにしながら、機能発現のメカニズムに迫っていきたいと思っています。
――表面・界面こそ本当に反応している場所であるにもかかわらず、従来そこは見えていなかった、ということでしょうか。それを観測して、理解した上で制御する、先生のご研究が現実世界に結実したら、大変なインパクトがありますね。
――現実世界と言えば、近年、インターネットに代表される情報技術(IT)が発達して、そこで「情報」を作ったり、加工したり、運んだり、かなり自在に扱えるようになりました。それに対して「物質」、特に「物質の表面」はまだ全然扱えていないように思います。先生のご研究で、コンピュータの中で情報を扱うように、実際の世界で物質が扱えるようになるのでしょうか。
例えばインターネットの中で、情報処理・情報通信を担っている物理現象については、既に物理学で明確な解が出ているものがほとんどですよね。物理学的観点からきちっとメカニズムが明解になったものについては、もちろん試行錯誤は必要でしょうが、技術として使いこなす実用レベルでの開発研究が実現しています。例えば、電信技術のようなものは、物理学としては電磁気学で有名なマックスウェル方程式などを用いて真に基礎から理解できている現象・技術なので人類は自在に使いこなせるのだと思いますね。一方で、物質科学では単純な数式に落とし込めない複雑な多体効果が本質的に重要になってきて、まだよくわからないことが多すぎて、人類はまだ適切に使いこなすことができていないという印象を受けます。例えば、表面・界面が関与する物質科学においては、表面・界面での素過程は多くの場合ブラックボックスの状態で、そのブラックボックスが解明されて、肝になる構造パラメータ等が具体的に明解になってくることによってはじめて、「その構造パラメータをこう設定してこのように物質を作ったら、こういう付加価値の高い化学反応も高効率に起こせるようになるよ!」とかいうように物質を自在に取り扱える時代が到来するのではないかと思います。
――そういう「基礎」を明らかにするのが基礎科学ですよね。基礎科学は役に立たないどころか、一番役に立つのですね!根本のブレークスルーが起きるところが基礎科学、ということなんですね。
時間がかかるかもしれないけれども、人類が確かな一歩を歩んでいくためには、本質的に謎になっているところを的確に見出して、地道に解き明かしていくことが基礎科学の重要な役割なのだと思っています。
――ところで、今まで伺った先生の研究に対するお考えは、現状ではスタンダードではないのでしょうか。先生の研究室のホームページに「主流に迎合しない」と書かれているのを拝見しました。
現在はまだあまり主流ではないと思いますね。今までの分子レベルの計測の例としては、代表的には走査トンネル顕微鏡(STM)っていうものがあるのですが、これを用いた研究は確かに画期的だったのですが、私には「木(ミクロ)を見て森(マクロ)を見ず」という感じが否めない研究がかなり多いような気がしています。一方、私たちは逆に、全体的に森(マクロ)をしっかり見てきましたが、個々の木(ミクロ)の個性までは詳しく観測できないという限界、いわゆる光の回折限界・集光限界というやつがありまして、得られた結果についての根源的な意味での考察をあまり深めきれられずにフラストレーションが溜まるということも度々ありました。分子研では、「森と木が両方とも詳しく見えるようになると良いよね」という発想で、水分子を実空間で直接観測する微視的な分光計測法の開発にも新しく挑戦し始めました。ずっと森を見てきた私たちだからこそできる、独自の視点で木を見る研究を展開し新しい学理を構築していこうと思っています。
――最後に、分子研についてはどのように思っておられますか?
そうですねぇ、分子研のインタビューで言うも何なのですが、京都大学で助教をしていた時から、物理・化学系の様々な先生方から「分子研の准教授は、新しい研究を着想して分野の次代を担う研究者が着任するところだ」ということを聞かされていました。
助教時代の中盤以降、特に2017年頃には、個人的に様々な先進的な研究構想を持っていました。松本教授が2018年の3月にご退官されることが決まっていたこともあり、その後には自分も京都大学から転出したいと思っていたのですが、「挑戦的な新しい研究を立ち上げて実現できる場所は日本にあるのか!?」と実は途方に暮れていました。というのも、引退される松本先生の装置群の多くは20年ぐらい前に購入されたものでして,松本先生も私もそれらで現実的に開拓可能なことはある程度やりきったような感がありました。また、安易に松本先生から装置を引き継いでしまった場合、せっかく次のキャリアに進んだとしても、そこでもそれらの装置に依存してしまうスネカジリ的な状態になり、それまでと大差ない研究展開に陥ってしまう可能性がありましたので、かなり大きな心理的抵抗がありました。松本先生からは,かつて松本先生が分子研の准教授にご着任された際に、全くゼロの状態から新分野に挑戦して研究室を立ち上げ様々な困難を乗り越えながら大きく発展してこられたと聞いていましたので、私の方針として、准教授に昇進した暁には松本先生の装置に頼らず新たな研究室を立ち上げたいと思っていました。ですが、そうかといって、今の最新鋭の超高性能レーザー光源や各種計測機器を導入して実験システムを構築していくためには、総額1億円程度はゆうに超える金額の研究費が実質的に必要になるということも分かっていました。1億円という金額は、30代中盤の研究者にはそうそう準備できる金額ではないんですよね。実は,それまでに准教授の公募が出ていたいくつかの研究教育機関に対して事前に問い合わせをしていたのですが、ラボのスタートアップ支援金は多いところでも数百万円でしたので、それでは私が真に立ち上げたいと思っていた「森と木を両方を見ながら水分子の新しい表面界面分子科学を開拓する」という構想はどうあがいても実現できそうになかったんですよ。ですので、2017年は「さて、いったい自分の次の研究拠点をどこに定めるべきなのか?現実を直視して妥協し、当面は今の装置で可能なことに尽力するべきなのか?」等ということを日々何となく考えながら目の前の研究・教育活動に従事していました。
そうこうしているうちに、2017年の10月1日に分子研の物質分子科学研究領域にて准教授の公募が始まったことを知りました。実際に分子研に見学に来て諸先生方に話を聞いてみると、分子研では非常に手厚いスタートアップ研究費支援制度がある事を知り感動しました!また、見せて頂いた実験室の造りも、とても素晴らしいものでした。実験室の空調や、窓の断熱、遮光、床の振動対策、さらに電圧の安定性など、一見地味なことが、精密な計測研究には重要になってくるんですよね。これは分子研から他の研究教育機関に栄転された先生から聞いた話ですが、着任先の実験室を分子研の実験室のレベルにまで徹底して改造すると、実験室の整備だけで数千万円の費用が必要になってしまわれたそうです。その話の通りに、分子研に見学に来た時にはとにかく実験室の造りの精巧さに感銘を受けましたね。それから液体ヘリウムを常時使用できる夢のような環境にも鳥肌が立ちました。
そういった日本屈指の実験室環境の良さと、恵まれたスタートアップ資金に大きな魅力を感じてワクワクしながら准教授ポストに応募したのがつい先日のことのように思えてきます。そして、その時の期待は全くもって裏切られていないと感じています!競争的資金と分子研のスタートアップ研究費により、世界屈指の最新鋭のレーザー光源や各種計測機器を導入しながら新しい実験環境を整えることに成功しましたからね!当初の構想を上回る研究を展開するガッチリした土台が整いつつあると思っています。夢を持った若手研究者が、新しい装置を立ち上げ設備を整えながら本当にやりたい独創的な研究を展開できるという点が、分子研の最大の魅力だと感じています。夢のある研究所だと思っていますし、私はとても感謝しています。だから私は、分子研では、重箱の隅をつつくチマチマした研究に終始してしまわないように心掛けています。物理・化学分野の新しいコンセプトを確立し次代を担う研究者集団のPIとして責任を持って、挑戦して、種をまいて、新しい研究展開の実現に向けて日々精力的にワクワク活動しています。こういう部分にも、学生の時に比較的容易に成果が出せる研究テーマを選ばなかった経験が生きてきているのではないかと思っています。
2018年5月1日に分子研に着任してからのこの二年間は、世に出した研究成果自体は松本研助教時代にまとめきれなかった研究をまとめ上げたものが主でした。ですが、水面下では、先進的な実験装置や革新的なアプローチ法の完成に向けての準備を着々と進めることができました。それがどこまで大きな発展性を見せられるのかが杉本グループとしての今後の勝負どころであり、非常に楽しみでもあります!
現在使用しているレーザー光源は世界最高峰の性能を有しています。例えば、このSPFIRE ACE-PAという超短パルスレーザー光源(フェムト秒チタンサファイア再生増幅器,800nm, 35fs, 5kHz出力)は、基本性能として16Wの出力を誇り、現在の大勢を占める2Wレベルの同型レーザー光源よりも約10倍高い出力や卓越した出力安定性を有します。他にも、MHzオーダーの高繰り返しで世界最高峰の60Wの出力を誇る高繰り返しフェムト秒レーザーシステム(CARBIDE)の導入が実現しました。これらの世界最高峰のレーザー光源群を武器として、非線形光学効果を巧みに操った前人未到の分子分光研究に挑んでいます。 |
――一方で、分子研でのグループ構築においてどのようなことが今後の課題だと思われていますか?
そうですねぇ。分子研は、プロの研究者の間では十分に認知度が高い研究機関なのですが、大学生も含めて世の中的には知名度があまり高くないということが個人的にはネックなのではないかなと思っています。先ほども述べましたが、分子研は、夢を持った選ばれし若手准教授が集い、新しい装置を立ち上げながら本当にやりたい独創的な研究アイデアを具体化し挑戦することができる日本屈指の研究機関です。まさに、次の数十年の基礎研究を牽引し得る新たな芽が出てきている世界に誇るべき研究所だと思います。しかし、その最高峰の環境で先進的な分子科学を学び研究している学生さんが極めて少ないことは、世界をリードする科学技術立国を目指している日本にとって実はとても大きな損失ではないのかと感じ始めています。今はインターネット環境等がとても整備されてきていますので、分子研の教員がHPやSNS等を通じて日本・世界の学生さんや若手研究者に向けて研究室の魅力を発信することができる時代に突入して来ています。自分自身も含め、そうした新しい時代に、情報発信についてまだあまり創意工夫を凝らせていないのではないかと思っています。ですので、2020年度以降は、私たちのグループから先進的な研究成果を世に出すことはもちろんのこと、それに加えて様々な媒体を通じて、全国の志のある学生・大学院生の方々に私達の研究活動について広く発信して知ってもらう創意工夫をしたいなと思っています。研究者として大成する夢を持った多くの人達に分子研での研究の取り組みや魅力を十分に知ってもらって、そういう方たちが自然と分子研に足が向かうような環境を徐々に整備していきたいなと考えています。私たちの引退後の次の15年後・30年後をリードできる有望な若手研究者を育成することは、今の最先端を牽引している私達に課せられた非常に大事な使命・責務だと思っていますし(笑)。
――そうですね。今後の動向がとても楽しみですね。分子研の広報としてもとても心強く思います。本日はどうもありがとうございました。
あっという間に彼是2時間も経ってしまいましたね。
絶妙な角度から質問して頂けて私の様々な想いを引き出して下さったので、やや話過ぎてしまったのですが、基礎科学を志す学生さん達にかねてより伝えたいなと思っていた『挑戦の重要性』等についてもたくさんお話しできたのでとてもありがたい機会だったと思っています!本日はありがとうございました!!
もし、このインタビューでお話ししたことが全て記事になってしまうんだとすると、10年後・20年後・30年後の未来の自分がこの記事を読んだ時に恥ずかしくならないように日々精進しないとですね(笑)。
文/片柳英樹(研究力強化戦略室 広報担当)
写真/原田美幸(研究力強化戦略室 広報担当)